親方、砂に杭を打つ
翌朝。干潮は朝の六時だとセドリックに聞いた。
コーヒーを飲む暇もなく港に出ようと思ったんだが、結局飲んだ。これだけは譲れねえ。
干潮の海岸。水が引いて、普段は海の底になってる場所が露出してる。湿った砂地が広がって、あちこちに水たまりが残ってる。貝殻と海草が散らばってて、小さな蟹さんが慌てて逃げてく。
「よし。歩くぞ」
「親方、足がずぶずぶ沈むんだが……」
「沈むから調査になるんだよ。どこまで沈むか、どこから硬くなるか。それを足で確かめる」
ガルドと二人で干潟に入った。リルは岸辺で精霊と連携。ルッカとエルノは陸で待機。カーラは「濡れるのは嫌ね」と桟橋の上から見てる。
港の前面。水深が普段は二メートルくらいの場所。干潮で水が三十センチまで引いてる。足首まで浸かりながら歩く。
砂を踏む。ずぶずぶ沈む。
足首、脛、膝の下まで沈んだ。
「ここは柔らかすぎる。こんなところに建物を建てたら、一年で沈むな」
場所を変えて、もう少し岸寄りを歩く。ここも柔らかいが、さっきよりましだ。
棒を持ってきた。長さ四メートルの丸太の棒。
こいつを砂に突き刺して、地下の硬さを探る。
丸太を砂に突き立てて、ぐいぐい押し込む。
一メートル。二メートル。三メートル——
ガスッ、と手応えが変わった。
「止まった」
「何かに当たったのか、親方」
「硬い層だ。砂の下に、もっと硬い地盤がある」
丸太を引き抜いて、先端を見た。砂と泥に混じって、灰色の粘土がこびり付いてる。
「粘土層だ。砂の下三メートルに、粘土の地盤がある」
「リル! ノームに確認してくれ! この下に硬い層があるはずだ!」
岸辺からリルが精霊と交信してくれた。
「ノームが言ってます! 三メートル下に粘土の層があるって! けっこう厚くて、硬いって! この辺り一帯に広がってるって!」
ビンゴだ。
砂の地盤は柔らかい。だが、その下に硬い粘土層がある。
三メートル掘れば——いや、掘る必要はねえ。届けばいい。
「ガルド。この丸太を、思いっきり砂に叩き込んでくれ!」
「叩き込む?」
「先端が粘土層に届くまで。さっき三メートルで止まっただろ、そこまで打ち込め!」
ガルドが丸太を両手で持ち上げて、砂に向かって叩きつけた。
ドスン!!
丸太が五十センチ沈んだ。
もう一回、ドスン!!
一メートル。
ドスン!! 一メートル半。
五回叩いて、丸太が三メートル沈んだところで動かなくなった。粘土層に突き刺さった。
「よし、引っ張ってみろ!」
ガルドが丸太を引っ張った。抜けない。
「全力でだ、引っこ抜け!」
「おりゃっ!!」
STR:Sの全力にも、丸太はびくともしない。
そうだ。粘土層に突き刺さった丸太は、絶対に引き抜けない。
「これだ」
「親方……これって?」
「『杭基礎』だ」
* * *
岸に上がって、全員に説明した。セドリックも来てる。
「砂の上に直接建物を建てたら沈む。だが、砂の下三メートルに硬い粘土層がある。ここに木の杭を打ち込めば、杭が建物を支える。砂には触れない。粘土が全部の重さを受け止める」
「木の杭で建物が支えられるのか?」
セドリックが半信半疑だ。
「一本じゃ無理だ。何十本も打つ。一本一本が粘土に刺さって、全部で荷重を分散する。俺の故郷じゃ、海沿いの街は全部これで建ってた。何百年も沈まずに立ってる」
「何百年も……」
「やって見せる。——ガルド、丸太を十本持ってこい。太いやつだ!」
ガルドが港の材木置き場から松の丸太を十本担いできた。一度に十本担ぐのはこいつくらいだ。
港の倉庫の前。一番地盤沈下がひどくて、建物が傾いてる場所。ここに杭を打つ。
「ルッカ、丸太の先端を尖らせてくれ。刺さりやすいように」
「はい、親方!」
ルッカが手斧で丸太の先端を削った。きれいな円錐形になる。
「まず並べる。建物の壁の下に沿って、一メートル間隔で打つ」
一本目。ガルドが丸太を立てて、でかい木槌で頭を叩く。
ドスン、ドスン、ドスン!!
丸太が砂に沈んでいく。
一メートル。二メートル。三メートルで止まった。粘土層に到達。
二本目。三本目。四本目。
ガルドが次々と杭を打ち込んでいく。汗だくだが、楽しそうだ。こいつは力仕事が好きなんだ。
十本の杭が一メートル間隔で砂に突き刺さった。地上に出てるのは先端の五十センチだけ。残りは地中で粘土を掴んでる。
「次。杭の頭を揃えて、この上に板を渡す」
杭の頭を水糸で水平に切り揃えて、太い板を載せた。これが建物の土台になる。
「セドリック、この板の上に乗ってみてくれ。——何人かでだ」
セドリックと船乗りが五人、板の上に乗った。六人分の体重がある。
にもかかわらず、板は——沈まなかった。
「これ、全然沈まないぞ!?」
「さっきまで、ずぶずぶだった砂の上に立ってるのに……なんでだ!?」
「『砂』の上じゃねえ、『粘土』の上だ。三メートル下の粘土が、杭を通してお前らを支えてる。砂は関係ねえ。杭が砂を貫通して、硬い地盤に直接繋がってる」
セドリックが板の上で足踏みした。びくともしない。
「……信じられん。この砂地に、こんなにしっかりした足場ができるとは!!」
「これを何百本も打てば、建物でも倉庫でも桟橋でも建てられる。砂の上に街が作れるってわけよ」
船乗りたちがざわめいた。
「砂の上に街を!?」
「杭を打つだけで!?」
「じゃあうちの傾いた家も——!!」
「直せる。杭を打って、建物を持ち上げて、新しい土台に載せ直す。傾きも直る」
歓声が上がった。港町の住民にとって、地盤沈下は宿命みたいなもんだったんだろう。それが杭を打つだけで解決する。
今回もいい仕事になりそうだ。
* * *
午後。杭基礎の応用を考える。
桟橋の再建にも使える。今の木造桟橋は、波で揺れるたびに杭が緩んで抜けていく。抜けるのは、杭が砂にしか刺さってないからだ。粘土層まで打ち込めば抜けない。
防波堤の基礎にも使える。海底に杭を打って、その上にコンクリートの防波堤を建てる。砂の海底でも、粘土に届く杭があれば、防波堤は沈まない。
「親方、杭は何本くらい要るんだ?」
ガルドが訊いた。
「港の全施設を建て直すなら——三千本くらいか」
「さ、三千……」
「お前が一日五十本打てるとして、六十日。二ヶ月だ」
「俺一人で、全部打つのか?」
「冗談だ。地元の連中にも手伝ってもらう。杭打ちは力仕事だが、技術はいらねえ。丸太を削って、叩き込むだけだ」
「ブロックと同じだな。誰でもできる仕事に分解するのが、親方のやり方だ」
「ほう、分かってきたじゃねえか」
ガルドがにやっと笑った。
エルノが港の地図に杭の配置を描き込んでる。等間隔に点が並んでいく。几帳面だ。
「棟方殿、杭の配置図を作りました。桟橋、倉庫、防波堤、それぞれの必要本数も算出しました!」
「もう計算したのか」
「地形図があれば計算は一瞬です。——合計三千二百四十一本です」
「……端数まで出すなよ」
「精度は大事です」
エルフの几帳面さは時々ありがたくて時々うっとうしい。まあ、精度が高い分には困らない。
* * *
夕方。宿に戻った。
今夜の飯は、昨日より豪華だった。セドリックが「棟方殿への歓迎です」と奢ってくれた。
焼き魚が三種類。蟹の丸茹で。貝の蒸し焼き。海草と野菜の和え物。そして——刺身。
生の魚を薄く切ったやつ。この世界にも、生魚を食う文化はあるらしい。
醤油はねえが、塩と柑橘の汁で食べる。
一切れ口に入れた。
「……」
うまい。
新鮮な魚の甘さが舌の上に広がる。ねっとりした食感。噛むと旨味が溢れ出す。
……やべえ。これはやべえ。
「親方、どうした。固まってるぞ」
「……うまい、うますぎる。この魚、何て名前だ?」
「『銀尾鯛』だそうです。この辺の名物だと」
銀尾鯛、覚えた。この港が完成したら、真っ先にこの魚の流通ルートを王都まで確保しよう。
王都の市場で売ったら、飛ぶように売れるぞ。
冷えた麦酒と刺身。最高の組み合わせだ。海の町に来てよかった、本気でそう思った。
「親方、それ仕事の感想じゃなくて飯の感想だろ」
「うるせえ。うまいもんはうまいんだよ」
飯を食い終えて、窓の外の海を見た。
明日から杭打ちだ。
三千本……気の遠くなる数だが、一本ずつ打てば必ず終わる。
土方ってのは、でかい仕事を小さい仕事の積み重ねで片付ける職業だ。一本の杭が一軒の家を支える。一軒の家が一つの家族を守る。その積み重ねが、港を作り、街を作り、国を作る。
一本ずつだ。一本ずつ、打っていく。
「さて。寝るか。明日は潮が引く前に起きるぞ」
「……もう一杯だけ飲んでいいか、親方」
「一杯だけな。二日酔いで杭が曲がったら海に落とすぞ」
「それは勘弁だな」
毎度のやりとりだが、これがあると一日が終わった気がする。
いい現場だ。飯がうまい現場は、いい現場になる。




