親方、海を見る
王都を経由して南へ六日。
道が下り坂になったあたりから、空気が変わった。
湿っぽくて、しょっぱい。風に潮の匂いが混じってる。
丘を越えた瞬間——視界が開けた。
海だ。
水平線が端から端まで一直線に伸びてる。
青い。でかい。果てがない。
グラオス山脈もでかかったが、方向が違う。山は上にでかいが、海は横にでかい。
「……」
ガルドが言葉を失ってる。王都育ちの獣人は海を見たことがない。リルも目を丸くしてる。精霊たちがふわふわ浮いて、海の方角をじっと見てる。水の精霊が嬉しそうに光ってる。仲間がいっぱいいるからか。
エルノだけが冷静に距離を測ろうとしてる。
「水平線までの距離は……地平面の曲率を考慮すると、この高度からだと約——」
「エルノ、測らなくていい。考えるんじゃなくて、感じろ」
「は、はい!」
カーラは海を見て一言。
「泳ぎたいわね」
お前は自由だな。
* * *
レーゲン港に着いた。
南部最大の港町。人口は三万人ほど。王都よりもかなり少ないが、この世界じゃそれなりの都市だ。大陸沿岸の交易船が寄港する商業港で、魚と塩と香辛料の産地。
で、第一印象だが……。
ぼろい。
港の桟橋が木造で、半分腐ってる。板が抜けてる箇所がいくつもあって、踏んだら海に落ちる。倉庫は石壁だが、潮風で石灰モルタルが溶けて、壁が崩れかけてる。港に面した建物は、どれも地盤沈下で傾いてる。
出迎えたのは港湾長のセドリックという男。五十代の元船乗り。日焼けした顔に深い皺。
「棟方殿、王宮から通達は受けております。港の改修をお願いしたい、と」
「まずは見せてくれ。この港にあるもん、全部だ」
「全部……と言いますと?」
「港の端から端まで。海岸線と、建物と、桟橋と、防波の設備と——あるなら」
「防波……はありません」
「ないのか」
「はい。嵐が来たら、祈るだけです」
祈って波が止まるなら、土方は要らねえ。
* * *
海岸線に沿って歩く。二時間かけて、港の全域を歩き回った。
まず地盤。
足で踏んだ感触が全然違う。王都や山の現場とは別世界だ。砂だ。地面の下が全部砂。踏むとじわっと沈む。
「リル、ノームにこの辺の地盤を見てもらえるか?」
「はい。——ノームが困ってます。砂が柔らかすぎて、力の流れが読めないって。石や岩盤みたいな硬い基準がないって」
精霊も困るレベルの軟弱地盤。砂の上に建物を建てるのは、豆腐の上に家を建てるようなもんだ。王都じゃ割栗石を突き固めれば済んだが、砂地盤にはそれが通用しない。突き固めても、水を含むとまた緩む。
次に、波。
港の外側に防波堤がない。外洋からの波がそのまま港に入ってくる。穏やかな日はいいが、嵐が来たら波が直接桟橋を襲う。桟橋が壊れるのは当然だ。
波の方向を観察した。風は南西から吹いてる。波も南西から来る。港の開口部が南西に向いてるから、波がまっすぐ入ってくる。最悪の配置だ。
「セドリック、嵐の時の波の高さはどのくらいだ?」
「ひどい時は三メートルを超えます。三年前の大嵐では、港の半分が水没しました」
三メートルの波が防波堤なしで突っ込んでくる。そりゃ水没する。
さらに歩く。
港から少し離れた場所に、岩場があった。天然の岩礁が海に突き出してる。
この岩礁の裏側——風下側に回ってみた。
波が穏やかだ。岩が波を遮って、裏側には波がほとんど届いてない。
「……なるほど」
「親方、何が分かったんだ?」
ガルドが訊いた。
「この岩礁が天然の防波堤になってる。裏側は波が静かだ。つまり、この岩礁を手本にして、人工の防波堤を作れば、港全体を波から守れる」
「岩を手本にする……?」
「自然が答えを出してるんだよ。波を止めるには、波の前にでかい壁を立てりゃいい。この岩がそれを証明してる。あとは同じことを人の手でやるだけだ」
波を観察し続けた。
岩礁に当たった波が、砕けて白い飛沫となって消える。
砕けた波は力を失って、穏やかな水面になる。
波を「止める」んじゃない。「砕く」んだ。
頭の中に、あるものの形が浮かんだ。でこぼこした、不思議な形のコンクリートの塊。元の世界の海岸で山ほど見たあれ。
まだ形にはしない。もう少し観察が要る。潮の満ち引き、波の周期、海底の地形。全部を頭に入れてから設計に入る。
「セドリック、潮の満ち引きは、一日に何回ある?」
「二回です。朝と夕方に引いて、昼と夜中に満ちます」
「干潮と満潮の水位差は?」
「一メートルほどです」
「海底の深さは? 港の入口で」
「満潮時に四メートルほどです」
全部、頭に入れた。
「明日から設計に入る。三日くれ、三日後に計画を見せる」
「お願いいたします。この港を——どうかお助けください!」
セドリックが深く頭を下げた。切実な顔だ。港が機能しなくなれば、この町は死ぬ。漁ができない、交易ができない。住民三万人の生活がかかってる。
「助けるんじゃねえ、直すんだ。なにせ、俺は『土方』だからな」
* * *
宿に入った。港町の宿は、潮風のせいで木がどれも塩を吹いてる。建物の状態は悪いが、飯はいい。
海の町だ、魚がある。
宿の飯に出てきたのは、焼いた白身魚と、貝の煮物と、海草のスープ。
王都じゃ干し魚しか食えなかったが、ここは捕れたてだ。
白身魚を一口。
「……うまい」
肉とは違う旨味。あっさりしてるのに、噛むと甘い汁が出てくる。焼き加減が絶妙だ。皮がパリッとして、身がふわっとしてる。
ガルドが皿ごと抱えて食ってる。
「親方、魚ってこんなにうまいのか! 王都で食ったのと全然違う!」
「干し魚と焼きたてを比べるんじゃねえよ。そりゃ違うだろ」
カーラは貝の煮物に夢中だ。ルッカは海草のスープを不思議そうに飲んでる。ドワーフは山の民だから、海のもんは珍しいんだろう。エルノは魚の骨を丁寧に外して食べてる。器用だな。リルの精霊たちは、水の精霊だけが元気いっぱいで、他の三体は海の気配に戸惑ってる。
俺は飯を食いながら、頭の中で港の全体像を組み立ててた。
砂の地盤をどうするか。防波堤をどこに建てるか。桟橋をどう作り直すか。倉庫の塩害対策をどうするか。
全部、答えはまだない。だが問題の形は見えた。問題の形が見えれば、解決策は必ず出てくると、経験がそう言ってる。
山とは全然違う現場だ。地面が柔らかくて、水が多くて、塩が全部を腐らせる。今まで通用した工法が、そのままじゃ使えない。
……だから面白い。
「ガルド、明日は朝から海岸だ。干潮の時間に合わせて出る。海底を歩いて調べるぞ」
「海底を歩く?」
「干潮になれば浅瀬が露出する。そこを歩いて、地盤の状態を調べる。水が引いてる間しかできないから、時間との勝負だ」
「分かった。——親方、一つ訊いていいか」
「何だ?」
「泳げないって言ってたけど、大丈夫なのか」
「泳がなくていいように干潮を狙うんだろ。段取りってのはそういうもんだ」
「……さすが親方だな」
さすがも何も、泳げねえ人間が海で仕事するには、水がない時間を選ぶしかねえ。弱点を知ってるから対策ができる。
キンキンに冷えた麦酒を一杯。
海の町の麦酒は、少し塩っぽい気がする。まあ、こういうのも悪くねえ。
「さて。新しい現場だ。明日から本気出すぞ」
海が、待ってる。




