親方、国境を固める
要塞引き渡しの前日。最終点検をやる。
朝のコーヒーを飲んで、コテと金槌を腰に差して、一人で壁を歩き始めた。
全周、一つ残らず。
* * *
壁の上を歩きながら、手で壁面を撫でていく。指先に伝わるコンクリートの感触。硬い。冷たい。ざらついた表面に、型枠の木目が少しだけ残ってる。
一つ目の稜堡。壁の高さ八メートル。先端部の角を確認する。鋭角に尖った先端は、力が集中しやすい場所だ。
……ここ。
角の内側、壁と壁が合わさる部分に、髪の毛ほどの線が入ってる。ひび割れ——じゃない。コンクリートの打ち継ぎ目だ。二段目と三段目を打った時の境界線が、うっすら見えてる。
構造的には問題ない。打ち継ぎ目は必ずできるもんだ。だが放っておくと、ここから水が染み込んで、冬場に凍結して少しずつ広がる。十年後にはひびになりかねない。
コテでコンクリートの補修剤を薄く塗った。打ち継ぎ目を埋めて、水の侵入を防ぐ。
次の稜堡に移動。ここも角を確認……問題なし。壁面を撫でる。表面にわずかな膨らみがある。型枠の板が少し反ってた時の名残だ。強度には関係ないが、気になる。
金槌の柄で軽く叩いて、膨らみを均した。見た目の問題だ、機能には影響しない。だがな、見た目がきれいな壁は、守る側の士気に関わる。自分が守る壁がでこぼこしてたら、気分が悪いだろう。
三つ目の稜堡。ここは帝国軍の投石が当たった場所だ。前に五分で補修した箇所を、改めて確認する。
補修は持ってる。だが周辺に微細な衝撃痕がある。石が当たった時の振動で、表面のコンクリートに目に見えないくらいの傷が入ってる。今は問題ないが、次に同じ場所を叩かれたら弱点になる。
「リル」
壁の下にいたリルが顔を上げた。
「この辺のコンクリートの中、精霊に見てもらえるか。内部に亀裂が入ってないか」
「はい。——ノームが言ってます。表面から二センチくらいの深さに、細い亀裂が三本あるって。でも、鉄筋までは届いてないそうです」
「やっぱりな。——ここは表面を削って打ち直す」
金槌とノミで、表面の傷んだ層を二センチ分削り取った。新しいコンクリートを塗り直す。火の精霊に乾燥を早めてもらって、三十分で完了。
見た目は元通り。中身は新品。
「親方、そこまでやるんですか。構造に問題はないって——」
「問題がない時に直すのが、一番いい修繕だ。問題が出てからじゃ遅い。出る前に潰す、それが職人ってもんだ」
リルがうなずいた。
四つ目、五つ目。全稜堡を回って、細かい補修を七箇所やった。全部、放っておいても三年は問題ないレベルの傷だ。だが俺がここにいるのは今日が最後だ。三年後にまた来るかは分からない。だから、今できることは今やる。
壁を一周し終えた、合計二時間。
全周、異常なし。補修完了。
……よし。合格だ。
* * *
点検の後、もう一つやることがある。
要塞の中央に、塔を建てた。高さ五メートルの石とコンクリートの塔。天辺に鉄の篝台を据える。ルッカが鍛冶で作った鉄の皿だ。ここに薪と油を載せて火をつければ、夜でも遠くから見える。
「狼煙台です」
ヴォルフに説明した。
「敵が来た時、ここで火を焚く。東の駐屯地から見えるはずだ。距離は三十キロ。夜なら火が見えるし、昼なら煙が見える」
「なるほど、連絡手段にもなるわけか!」
「ああ、伝令を走らせるより早え。火を見た東の駐屯地が、また火を焚いて次の拠点に伝える。リレーで繋げば、数時間で王都まで届く」
「数時間……伝令の馬なら三日かかる距離だ」
「速いだろ。この世界には電話……いや、通信手段がねえから、火で繋ぐしかない。だが火なら光の速さで飛ぶ。遮るもんがなけりゃ一瞬だ」
ヴォルフが狼煙台を見上げた。
「棟方殿。あんたは要塞を建てただけじゃなく、要塞と国を繋いだんだな」
「砦が孤立してたら意味がねえからな。どんなに頑丈でも、援軍が来なけりゃいつか落ちる。壁の強さと、情報の速さ。両方あって、初めて国防だ」
ヴォルフが感心した顔をしてるが、狼煙なんて古代から使われてた当たり前の技術だ。万里の長城にも狼煙台がある、大した発明じゃない。
だが、この世界にはなかったらしい。
当たり前が当たり前じゃない世界。だからこそ、やりがいもある
* * *
午後。引き渡し。
要塞の管理をヴォルフの守備隊に正式に引き継ぐ。壁の補修方法、コンクリートの配合、温泉堀の管理、跳ね橋の点検手順。全部、エルノが書き出した保守手引書にまとめてある。
「この手引書の通りにやれば、素人でも基本的な保守はできます。分からないことがあれば、王都に手紙をよこしてください」
エルノが手引書を将校たちに配った。
こいつ、頼まれてもないのに手引書を作ってたらしい。
なかなかやるな。
「棟方殿に言われる前に作りました。測量データと合わせて、この要塞の全情報を記録しておくべきだと思ったので……」
「偉いぞエルノ。お前は、もう立派な技術者だ」
エルノの耳が赤くなった。もう慣れたがな、その反応。
夕方。最後の温泉に浸かった。
仕切りの向こうから、カーラの声が聞こえた。
「この温泉も、名残惜しいわね」
「王都にも温泉を掘るって約束しただろ」
「ほんとに掘ってよね」
「帰ったらリルの精霊に地下を調べてもらう。温泉脈があれば掘る」
「なかったら?」
「沸かす」
「温泉じゃないじゃない、それ」
「湯は湯だ」
ルッカの声もした。
「親方、この温泉の鉄分で焼き入れした鉄筋、すごくいい出来でした。持って帰っていいですか!」
「当たり前だ。お前の作品だ」
「ありがとうございます。これ、王都の鍛冶場で研究します!」
温泉の鉄筋。ドワーフの少女が山の温泉で鍛えた鉄。何が生まれるか分からんが、ルッカの手から出るもんなら期待していい。
* * *
翌朝。出発。
要塞の前で、ヴォルフと守備隊が見送ってくれた。
「棟方殿。この要塞は、我々の命そのものです。必ず守ります!」
「頼む。困ったことがあったら連絡しろ、飛んでくる」
「温泉が冷めたら連絡してもいいか?」
「……それは自分で直せ」
大きな笑いが起きた。
馬車に乗り込んだ。振り返ると、星型の要塞が朝日に照らされていた。
いい要塞だ、我ながら。
「親方、次は港か」
「ああ、南のレーゲン港。海の建築だ」
「海は初めてだな。泳げるか、親方」
「あんまり泳げねえ」
「泳げないのに、海の建築をやるのか?」
「泳がなくていいように建てるんだよ」
ガルドが笑った。カーラも笑った。リルが精霊と何か話して笑ってる。ルッカが温泉鉄筋を大事そうに膝に載せてる。エルノが早速、港の地形図を読み始めてる。
馬車が山道を下っていく。
後ろに山、前に平野、その向こうに海がある。
見たことのねえ場所。やったことのねえ仕事。知らねえ問題。
四四歳。まだまだ知らないことだらけだ。
……だから、この仕事はやめられねえ。




