親方、攻められる
要塞の完成から三日後の朝。
コーヒーを淹れようとした時、角笛が鳴った。
「北方より軍勢接近! 数は二百以上! ヴァルディア帝国軍!」
まさか……来やがったのか。
コーヒーは後だ。壁に上がった。
北の峠道から、鎧姿の兵士が列をなして出てくるのが見えた。歩兵が百五十ほど。弓兵が三十。それと——でかい木の櫓みたいなもんが三台。攻城兵器だ。投石機か何かだろう。
ヴォルフが壁の上に並んで双眼鏡——こっちの世界じゃ遠見の魔道具か——で、敵を観察してる。
「棟方殿、正規軍の偵察攻撃と見ます! 本格侵攻ではなく、この要塞の実力を試しに来たのでしょう」
「偵察兵の報告を見て、自分の目で確かめにきたわけだ」
「ええ……こちらの戦力は五十名。四倍の兵力差です」
「兵力は四倍だが、こっちには壁がある。——ヴォルフ大尉、提案がある」
「はい、何でも聞きましょう!」
「兵士には壁の上から弓を射らせるだけでいい。壁の外に出る必要はねえ。あとは、要塞に任せろ」
「要塞に、任せる……?」
「壁が勝手に戦ってくれる。『ひとりも死なねえ要塞』、俺はそう設計した」
ヴォルフが一瞬黙って、それから頷いた。
「分かりました。棟方殿の設計を信じます!」
* * *
帝国軍が台地の手前に陣を敷いた。
前面に盾持ちの歩兵。後ろに弓兵。さらに後ろに投石機三台。
はっ、教科書通りの攻城陣形だ。
だが——こっちの要塞は教科書に載ってない形をしてる。
帝国の指揮官らしい男が、馬上から要塞を見上げていた。初めて星型の城壁を見る顔だ。困惑してる。四角くも丸くもない。尖った角が五つ突き出してて、壁の配置が読めないんだろう。
まず弓兵が矢を放った。百本以上が飛んでくる。
壁の高さは八メートル。下から射ってもほとんど届かない。届いた矢も壁に当たって弾かれた。もちろん、コンクリートに矢は刺さらねえ。
「矢が弾かれてるぞ……!?」
「何だあの壁、石じゃないのか!?」
帝国兵のざわめきが聞こえてくる。
次。投石機が動いた。でかい石を腕に載せて、ぶん、と放り投げる。
石が壁にぶつかった。
ドゴン!! と、鈍い音。
壁は——傷ひとつ付かなかった。
石がぶつかった場所を見た。うっすら白い跡が付いてるだけ。コンクリートの表面が少し削れたが、構造的には何の影響もない。鉄筋が入ってる壁に、投石機の石じゃ物理的に壊せねえ。
「もう二発、来ます!」
カーラが壁の上から叫んだ。
二発目、三発目。どちらも壁にぶつかって弾かれた。三発全部同じ。壁はびくともしない。
帝国の指揮官が投石機を止めた。効かないと分かったんだろう。
次の手。歩兵の突撃だ。
盾を構えた兵士たちが、堀に向かって走ってきた。梯子を担いでいる。壁を登るつもりだ。
だがその前に——堀がある。
先頭の兵士が堀の縁に着いた。白い湯気の向こうに水面が見える。幅五メートル。向こう岸に壁がそびえてる。
一人が足を踏み入れた。
「あっっっつ!!」
温泉だ。
四十度以上の湯が張ってある。
鎧を着たまま飛び込んだ兵士が、慌てて這い上がった。
後続の兵士たちが足を止めた。
湯気の向こうに、熱い水堀がある。
当たり前だが、渡れやしねえ。
「堀の水がバカみたいに熱い! こんなの、渡れないぞ!」
「何だこの堀!? 熱湯……いや、風呂か!?」
風呂だよ。
温泉の堀だ、世界で唯一のな。
一部の兵士が堀を迂回しようとした。だが堀は、星型に要塞を一周してる。どこに行っても同じだ。
唯一の渡河点は跳ね橋。だが、跳ね橋は上がってる。壁にぴたりと立てかかった状態。
これも、渡れない。
堀を越えられない兵士たちが、壁の前でうろうろしてる。
そこに——稜堡からの側面射撃が始まった。
ヴォルフの指揮で、稜堡の上から矢が降ってくる。
敵は正面の壁を見てるが、矢は横の稜堡から飛んでくる。
三角形の突起が、壁に取り付こうとする敵の側面を撃てるように設計してある。
「な、横から!? どこから射ってるんだ!?」
「あの尖った壁の上からだ! くそ、死角がねえ!」
悪いが、こっちの死角は作ってねえ。
それが、星型稜堡の設計図だ。
* * *
俺は戦ってねえ。
壁の上にいるが、剣は持ってない。持ってるのは、コテと金槌だ。
やることは一つ。壁の状態を監視する。投石機の石が当たった箇所を確認して、ヒビがないかチェック。問題なし――コンクリートの表面が少し欠けただけ。
リルの精霊が壁の内部を走査してくれる。
「親方さん、壁の中の力の流れに異常はないです! 投石機の衝撃は表面で止まってます!」
「よし、鉄筋が効いてるな」
王都の竜降ろしの時は、壁の上をコテ持って走り回った。あの時は改修が間に合ってない区間があったからだ。
今回は違う。
最初から全部、俺が設計して、俺が建てた壁だ。
弱い場所がない。走り回る必要がない。
壁が勝手に守ってくれてる。
これでいい。これが理想だ。
親方が走り回らなくても耐える壁。俺がいなくても機能する要塞。
帝国軍の突撃は三回続いた。
三回とも同じ結果だ。
堀で止まり、稜堡から射られ、壁に手も足も出ない。
四回目はなかった。
帝国の指揮官が撤退の合図を出した。兵が引いていく。投石機を置いて帰ろうとした、重すぎて運べないらしい。結局、投石機を捨てて退却していった。とんだ置き土産だな。
そんなこんなで、戦闘終了。
こちらの損害——ゼロ。
怪我人すらいない。壁の上から矢を射っただけだから、当然だ。
帝国側の損害――死者はたぶんいない。
矢に当たった負傷者が十数人。
温泉に落ちた奴が何人か。
軽い火傷はしてるだろうが、命に別状はねえだろう。
戦闘というより、『世界最強・鉄壁要塞』の実力デモンストレーションだった。
* * *
兵士たちが、壁の上で歓声を上げた。
「勝った……勝ったぞ!!!」
「壁に傷一つ付いてねえ!!」
「あの投石機三台分の石を食らって、ヒビも入らねえのか!!?」
ヴォルフが俺の隣に来た。
「棟方殿……一人の犠牲者も出さずに、四倍の敵を退けた。——あんたの言った通りだ。壁が戦ってくれた!」
「壁だけじゃねえよ。堀も、橋も、稜堡も、全部が一つの仕組みとして動いた。一個だけじゃ意味がねえ。全部揃って、初めて『要塞』だ」
「この要塞を設計した男に、乾杯したいな」
「帰ってからな。今は、壁の点検が先だ」
壁を一周歩いた。
投石機が当たった箇所を三箇所確認。
いずれも表面が少し欠けただけ。
コテで補修、五分で終わった。
五分――竜降ろしの時は壁の上を走り回って一晩中補修し続けた。今回は五分。
成長したのは俺じゃない。壁だ。
* * *
夜。『勝ち飯』を作った。
猪肉のカツ。卵とじ。粟飯に載せる。衣のさくさくと卵のとろとろと甘辛い汁。
ガルドが二皿食った。カーラが三皿食った。ヴォルフが一皿食って目を閉じた。兵士たちにも配った。歓声が上がった。
「棟方殿の飯は、戦の後に食うと格別だな!」
「戦ったのは壁だけどな」
「壁を作ったのはあんただろう?」
まあ、それもそうか。
冷えた麦酒で乾杯した。ガルドが「っっっぷはーーーっ」と叫んだ。
うるせえ。でも、いい声だ。
温泉では、仕切りの向こうから、ルッカの声が聞こえた。
「親方。堀に落ちた帝国兵、大丈夫だったでしょう……か」
「温泉だ。死にゃしねえよ。いい湯加減だったはずだ」
カーラの噴き出す声が聞こえた。
「あいつら、世界一贅沢な堀に落ちたわけね!」
「帝国に帰って『敵の堀が温泉だった』って報告するのか。信じてもらえねえだろうなぁ」
全員が大きく、あっはっはと笑った。
この壁は、今日初めて本物の攻撃を受けた。そして——何事もなかったかのように立ってる。
投石機三台の石を跳ね返し、二百人の兵を寄せ付けず、守る側の犠牲ゼロ。
俺が建てた要塞だ。
……ああ。
今日の勝ち飯は、格別にうまかった。




