親方、星を描く
朝のコーヒーを一杯。
苦い黒い汁が腹に落ちて、頭のスイッチが入る。三日目にして、もう棟方組の朝はこれなしじゃ始まらなくなった。ガルドなんか俺より先に豆を炒ってやがる。覚えが早いのはいいことだ。
さて、今日から本番だ。
星型稜堡の配置を、地面に描く。
* * *
星型の要塞ってのは、要するに正五角形の各辺に三角形の突起を付けた形だ。上から見ると五芒星——星の形になる。
問題は、これを実寸で地面に描くことだ。
要塞の外径は百五十メートル。この広さの正五角形を、でこぼこした台地の上に正確に描かなきゃならない。角度が一度ずれたら、百五十メートル先では何メートルもの誤差になる。
「エルノ、正五角形の内角は何度だ?」
「百八度です」
「即答かよ、頼もしいな。——じゃあ中心角は?」
「七十二度。三百六十を五で割った数です」
こいつ、数字に強い。エルフは知力が高いっていう種族設定は伊達じゃねえ。
「よし。やり方を説明する。まず中心に杭を打つ。ここが要塞の中心点だ」
台地の最も平らな場所に杭を一本打った。
「この杭から、七十五メートルの縄を張る。これが外径の半径だ。縄の先に杭を付けて、地面に円を描く」
ガルドが縄の端を持って歩いた。七十五メートルの縄をピンと張って、中心の杭を軸にぐるっと一周。地面に円の跡が刻まれた。
「次。この円の上に、五つの頂点を等間隔に打つ。ここが星の先端になる」
ここが肝だ。円周上に正確に五等分の点を打つ。分度器で七十二度ずつ測ればいいが、百五十メートル規模の円で分度器は使えない。
だが、方法がある。
「縄をもう一本用意しろ。長さは——エルノ、半径七十五メートルの円に内接する正五角形の一辺の長さは」
「えーと……半径掛ける二掛けるサイン三十六度……約八十八メートルです」
「暗算で出すなよ化け物か。——八十八メートルの縄だ」
八十八メートルの縄を作った。円周上の一点から、この縄をピンと張って円周と交差する点が、隣の頂点になる。一辺分ずつ繰り返せば、五つの頂点が正確に決まる。
コンパスと定規だけで正五角形を描く方法。中学の数学で習う範囲だ。
だがこの世界じゃ、こんな方法は誰も知らない。
「一つ目。ここ」
杭を打つ。
「二つ目だ」
縄を張って、交点に杭。
「三つ目、四つ目……五つ目」
五本の杭が、台地の上に星の頂点を描いた。
「エルノ、各頂点間の距離を検算してくれ」
「はい。——一辺目、八十七・九メートル。二辺目、八十八・一メートル。三辺目、八十八・〇メートル。四辺目、八十七・八メートル。五辺目、八十八・二メートル」
「誤差は最大〇・四メートル。百五十メートル規模で誤差四十センチ以内。——合格だ」
ヴォルフ大尉が杭の間を歩き回って、首をひねっていた。
「棟方殿。何をやったか分からんが、五本の杭が完璧な等間隔に並んでるのは分かる。どうやったんだ?」
「縄と杭だけだよ。あとは、算数だ」
「算数で、こんなことができるのか?」
「算数ってのは、世界で一番頼りになる道具だぞ。嘘をつかねえからな」
次。五つの頂点を直線で結んで、五角形の辺を地面に描く。各辺の中央から外側に三角形を突き出して、稜堡の形を作る。
全部の線を地面に石灰で引き終わったのが昼過ぎだ。
「ガルド、北の丘に登って、上から見てくれ」
「おう!」
ガルドが丘を駆け上がった。振り返って、台地を見下ろした。
「……おお」
「見えるか?」
「見えるぞ親方! でっけえ星が地面に描いてある! すげえ、きれいな形だ!」
ヴォルフも丘に登って見た。降りてきた時の顔が違った。
「……これは美しいな。要塞という名の芸術だ」
「芸術じゃねえよ。美しく見えるのは、無駄がないからだ」
ルッカが地面の線を触って言った。
「親方。この線の上に、壁が建つんですね!」
「ああ、このとおりの形に、寸分違わず」
「……わくわくします」
職人が「わくわくする」って言った時は、いい仕事になる。
経験上、間違いない。
* * *
午後。壁の基礎に入る。
まず稜堡の頂点——星の先端部分から着手する。ここが要塞の最前線だ。一番攻撃を受ける場所だから、一番頑丈に作る。
火割りで岩盤に穴を開けて、アンカーを打ち込む。昨日と同じ手順だ。火の精霊に岩を熱してもらい、水の精霊に冷水をかけてもらう。精霊の連携で、火割りの効率が倍以上になった。
だが——二つ目の稜堡の位置で問題が発生した。
「親方、ここの岩盤、様子がおかしいです!」
ルッカが地面に耳を当てて言った。ドワーフには石の声が聞こえるっていう比喩があるが、こいつの場合は比喩じゃなく本気で何か感じ取ってるっぽい。
「おかしいってのは?」
「中が空洞みたいです。叩くと……音が軽い」
ノミで岩盤を叩いてみた。確かに、他の場所と音が違う。コンコンじゃなく、ポコポコ。中が詰まってない音だ。
「リル、ノームにこの下を調べてもらえるか?」
「はい。——ノームが言ってます。岩盤の中に空洞があるって。幅は三メートルくらい、深さは二メートルくらい。自然にできた空洞だって」
岩盤の中に天然の空洞。こいつの上にアンカーを打つと、岩が割れて空洞に落ちる可能性がある。
「空洞の位置を正確にマーキングしてくれ」
リルが精霊と一緒に地面を歩いて、空洞の範囲を石灰で囲んだ。
楕円形で、ちょうど稜堡の頂点にかかってる。
ヴォルフが険しい顔をした。
「設計を変更するか。稜堡の位置をずらすとか」
「ずらさねえ。この位置がベストだ。空洞の方を何とかする」
「何とかって……」
「埋める」
空洞の上面に穴を開けた。火割りで岩を砕いて、直径三十センチほどの穴を貫通させる。暗い空洞が見えた。
「ここからコンクリートを流し込む。空洞がコンクリートで満たされれば、岩盤と一体化して、空洞じゃなくなる。むしろ周囲の岩盤よりコンクリートの方が均質だから、強度は上がる」
コンクリートを練って、穴から流し込んだ。灰色の泥が暗い空洞に流れ落ちていく。たっぷり流して、天端まで満たした。
「三日で固まる。固まったらこの上にアンカーを打つ。岩盤の空洞がコンクリートの塊に変わるんだから、問題ない」
ヴォルフが穴を覗き込んだ。コンクリートの表面が鈍く光ってる。
「弱点を強みに変えるのか。——棟方殿、あんたは本当に常識を壊すのが好きだな」
「壊すんじゃねえよ。作り変えるんだ。壊すだけなら誰でもできる」
ルッカが小さく拍手した。そのうしろでエルノがノートに何かを書き込んでる。空洞充填の手順を記録してるらしい。こいつ、教わったことを全部メモしてやがる。真面目なエルフだ。
* * *
日が暮れた。
今日の成果。星型の地上レイアウト完了。稜堡五つのうち、一つ目のアンカー打設完了。二つ目の空洞処理完了。
焚き火の前で飯を食った。
干し肉のスープに、硬いパンを浸して食べる。
うまくはねえが、腹は膨れる。
フェルゲン村から届いた干し芋をおやつ代わりにかじった。
甘くてうまい。芋はどの世界でも偉い。
冷やした麦酒を一杯だけ飲んで、図面を見直す。
「エルノ、明日の測量ポイントを確認しとくぞ」
「はい、三つ目と四つ目の稜堡の基礎位置です。地形図だとここが少し傾斜してるので、水糸を慎重に張る必要があります」
「分かってるな。任せるぞ」
「はい!」
エルノが測量ノートを抱えて寝場所に引っ込んだ。几帳面な奴だ。
ガルドがでかいあくびをした。
「親方。明日も早いんだろ」
「ああ、星のあと四つの先端を全部打ち終えるのが目標だ」
「四つ……ハードだな」
「ハードなのは嫌か?」
「嫌じゃねえよ。——ただ、もう一杯飲んでから寝たい」
「もう一杯だけな。明日二日酔いで使いもんにならなかったら、堀に叩き込むぞ」
「それは勘弁さ、親方」
二杯目を飲みながら、星空を見上げた。
明日、この地面の星が少しずつ立体になっていく。線だったものが壁になる。図面だったものが要塞になる。
頭の中に、完成した星型要塞の姿が見える。灰色のコンクリートの壁が、星の形に光ってる。
……早く見てえな、あの景色。
寝よう。明日は星を建てる日だ。




