親方、国境に立つ
王都を出て西へ五日。
景色がどんどん変わっていく。平地が丘になり、丘が山になった。道は細くなり、馬車がすれ違えないほどの山道に変わった。空気が薄い。耳がつんとする。
「親方、山ってのはこんなにでかいもんなのか」
ガルドが馬車の荷台から身を乗り出して、切り立った岩壁を見上げてる。王都育ちのこいつにとっちゃ、山は初めてだ。
「グラオス山脈よりは低いぞ。あっちは、ドラゴンの巣だがな」
「こっちの山にはドラゴンはいねえのか」
「いない代わりに、隣の国の兵隊がいる」
西部国境。レグニカ王国と隣国ヴァルディア帝国の境界線。山脈が天然の国境になってるが、いくつかの峠道が両国を繋いでいる。その峠を押さえるのが今回の仕事だ。
棟方組のメンバーは全員連れてきた。ガルド、リル、ルッカ、カーラ。それに新入りのエルノ。精霊は四体。馬車二台に資材と工具を積んで、ぎしぎし言いながら山道を登ってる。
エルノが馬車の中で青い顔をしてる。山道の揺れに酔ったらしい。エルフは繊細だな。
「エルノ、外の空気を吸え。中にいると余計に酔う」
「は、はい……うぷっ……」
「吐くなら馬車の外にしろよ」
* * *
西部国境の駐屯地に着いた。
山の中腹に柵と丸太小屋が並んでるだけの、粗末な基地だ。兵士が五十人ほど。北の砦のバルクス隊長のところと似てるが、こっちの方が設備が貧弱だ。
駐屯地の指揮官、ヴォルフ大尉が出迎えた。三十代半ば。鋭い目つきの軍人だ。
「棟方殿。お待ちしておりました。アレクシス殿下から書状は受け取っています」
「ヴォルフ大尉。早速だが、現状を教えてくれ」
「端的に言えば、丸裸です」
ヴォルフが地図を広げた。手描きの粗い地図だが、地形の概要は分かる。
「ここが峠道です。幅は荷馬車一台がやっと通れる程度ですが、ヴァルディア帝国からの侵入路はここしかない。三ヶ月前から国境で小競り合いが増えてまして、いつ本格的な侵攻が始まってもおかしくない」
「そもそも、何で揉めてるんだ?」
「帝国は昔から、うちの穀倉地帯と南の港を欲しがってまして……三十年前にも一度攻めてきましたが、山脈に阻まれて撤退しました。それ以来にらみ合いが続いてたんですが——最近、帝国側が峠道を広げやがったんです。軍が通りやすいように、それと……」
ヴォルフが声を落とした。
「四年前の『竜降ろし』で、こちらが大きな被害を受けたのを知ってます。国力が落ちてる今が好機だと踏んでるんでしょう」
なるほど。ドラゴンに殴られてふらついてるところを、隣の国が横から蹴りに来るわけだ。えげつねえ話だが、国ってのはそういうもんなんだろう。
「で、肝心の防衛設備は?」
「丸太の柵と見張り台だけです」
丸太の柵。北の砦で魔物の夜襲を受けた時と同じだ。あの時は俺が城壁を直したから持ちこたえたが、ここには城壁すらねえ。
「親方さんの出す答えは分かってます。『要塞を建てろ』でしょう? しかし、問題が二つあります」
「聞こう」
「一つ。どこに建てるか。峠道の入口か、駐屯地の周囲か、山の上か。軍の技術士官が三人来て、三人とも違う場所を推薦して、結論が出ないまま半年経ちました」
「もう一つは?」
「地盤です。ここは山岳地帯で、地面の下は岩盤か、逆に崩れやすい砂礫の斜面。平地のような基礎工事ができるのか、見当がつきません」
なるほど。
場所が決まらない、基礎が打てるか分からない。
だから半年間、何もできなかった。
「明日、現場を歩かせてくれ。一日もらえりゃ答えを出す」
「……一日で? 技術士官が半年かけて——」
「半年、机の上で考えてたんだろ。俺は足で考える」
* * *
翌朝。夜明けと同時に山に入った。
峠道を中心に、周囲三キロを歩き回る。全員を連れていった。
まず峠道そのものを見た。岩壁に挟まれた細い道。幅は三メートルほど。左右は切り立った崖。上から石を落とせば簡単に通行を止められるが、逆に言えばこちらの軍も通れなくなる。ここに壁を建てても、守る側も不便になる。
「ここじゃねえな」
「え? 峠を塞ぐんじゃないんですか?」
エルノが意外そうな顔をした。
「峠を塞いだら、こっちも向こうに出られなくなる。防衛ってのは、壁で完全に閉じることじゃねえ。こっちが有利な状態で戦えるようにすることだ」
峠道を抜けた先、こちら側に開けた台地がある。標高は峠より少し低い。三方を山に囲まれて、南側だけが開けてる。
ここだ。
「リル、精霊にこの台地の地盤を調べてもらえるか」
「はい。——ノームが言ってます。表面は土と砂利ですが、一メートル下に硬い岩盤があるって。かなり広い範囲で岩盤が続いてるそうです」
「岩盤の表面は平らか、傾いてるか」
「ほぼ平らだそうです。少しだけ南に傾いてる」
岩盤が浅い位置にある平らな台地。基礎に最適だ。一メートル掘れば岩盤に届く。岩盤に直接アンカーを打てば、どんな重い要塞でも支えられる。
「エルノ、ここから四方の山の高さと距離を目測しろ」
「は、はい。——北の山が一番高くて、ここから約四百メートル。東と西の山はほぼ同じ高さで、三百メートルほど。南は開けていて、緩い下り坂です」
目測の精度がいい……エルフ特有の、森を読む空間認識力だ。
こいつ、測量の才能があるって踏んでたが、やっぱり当たってた。
「カーラ、冒険者の目で見てくれ。ここに要塞を置いたら、攻める側はどうする?」
カーラが周囲を見回した。
「峠道を通って来た敵は、この台地に出る。三方が山だから迂回はできない。正面——南側から攻めるしかない。でも台地の方が峠より高いから、攻める側は坂を登ることになる。守る側が有利ね」
「そういうことだ。地形が味方してくれる」
ヴォルフ大尉が横で聞いてた。
「棟方殿。技術士官の一人はここを推薦していたが、『岩盤が硬すぎて基礎が打てない』と却下されました」
「岩盤が硬いのはむしろ好都合だ。柔らかい地盤に基礎を打つより、硬い岩盤に『アンカー』を打ち込む方が、よっぽど頑丈にできる」
「アンカー……とは?」
「鉄の杭だ。岩盤に穴を開けて、鉄の杭を打ち込んで、コンクリートで固定する。岩盤と建物が一体化して、地震だろうが砲撃だろうが動かなくなる」
ルッカが目を輝かせた。
「親方、鉄のアンカー、わたしに作らせてください!」
「当たり前だ。お前以外に誰が作る」
場所は決まった。次は設計だ。
* * *
その夜。駐屯地の丸太小屋で、板の上に炭で図面を引いた。全員が覗き込んでる。ヴォルフ大尉も。
「普通の城壁は四角い。だが、それじゃダメだ」
「何故ですか?」
「四角い城壁は、角が弱点になる。角に取り付かれると、壁の上から矢を射る守備兵の射線が死角になる。角の外側が、見えねえんだ」
板に四角い城壁を描いた。角の部分に×印を付ける。
「だから——こうする」
四角の各辺に、三角形の突起を描き足した。星みたいな形。五つの角が外側に尖っている。
「稜堡だ。壁の角を三角形に突き出すことで、死角がゼロになる。どの角度から敵が来ても、隣の稜堡から側面を射撃できる」
ヴォルフの目つきが変わった。
こいつは軍人だ、「側面射撃」の意味は一発で理解できるだろう。
「この形なら……敵はどこから取り付いても、横から撃たれるのか!」
「そうだ。正面からしか攻められないのに、守る側は横からも撃てる。攻める側が圧倒的に不利になる」
「でも……こんな城壁は見たことがない!」
「この世界にはないだろうな。元の……俺の世界じゃ、三百年前に考案された設計だ」
元の世界の『ヴォーバン式稜堡』。フランスの軍事技術者が十七世紀に完成させた要塞設計。大砲の時代に対応するために生まれた形だが、原理は普遍的だ。死角をなくし、側面射撃を可能にする。この世界に大砲はねえが、弓と魔法でも同じ原理が使える。
「壁の材料はコンクリートと鉄筋。岩盤にアンカーで固定する。高さは八メートル。壁の厚さは一メートル。砲撃——まあ、この世界じゃ攻城兵器か。投石機で岩をぶつけられても、耐えられる設計にする」
「建設期間は……」
「三ヶ月。――資材は現地調達が基本だ。この辺の山に石灰岩はあるか」
「北の谷に石切場の跡があります! 使えるかは分かりませんが……」
「明日見に行く。——リル、精霊にこの辺の石灰岩の分布を調べてもらえるか」
「はい!」
「エルノ」
「は、はい!」
「明日から測量だ。この台地の正確な地形図を作る。高さ、距離、傾斜、全部測れ。お前の目と、この道具を使え」
簡易の測量器具を渡した。水糸と分度器と錘を組み合わせたもの。元の世界のトランシットには遠く及ばないが、エルノの目ならこれで十分な精度が出るはずだ。
「俺には、精霊の声は聞こえません。でも——地形を測ることならできます」
「だから連れてきた。精霊が聞こえなくても、地面は見える。山は測れる。それがお前の武器だ」
エルノが測量器具を両手で受け取った。細い指がしっかり握ってる。
ガルドが腕を組んでにやにやしてる。
「何だよ」
「いや。親方が新しい弟子に道具を渡す時の顔、毎回同じだなと思って」
「どんな顔だよ」
「嬉しそうな顔」
「……うるせえ。寝ろ」
* * *
翌朝。台地に立った。
朝日が東の山の上から差し込んで、台地を照らしてる。吐く息が白い。標高が高いぶん、王都より寒い。
ここに星型の要塞を建てる。この国の西の盾を。
足元の土を踏んだ。硬い。一メートル下の岩盤の感触が靴底に伝わってくる。いい地盤だ。
「さて」
コテを腰に差した。金槌を手に取った。
「仕事だ」
棟方鉄、四四歳。異世界土方。
第二の現場が、始まる。




