親方、火事場を仕切る
深夜に叩き起こされた。
「火事だ! 火事だぞ!」
怒鳴り声と、遠くでパチパチと何かが爆ぜる音。窓の外が赤い。
飛び起きて外に出ると、二ブロック先の長屋が燃えていた。
炎の勢いが強い。木造の長屋が密集している下町だ。一棟燃えれば隣に移る。隣が燃えればその隣へ。ドミノ倒しみてえに延焼が広がっていく。
通りには住民が溢れていた。バケツリレーで井戸の水を運んでいるが、焼け石に水——いや、まさに焼け石に水だ。火の勢いに全く追いついてない。
俺は走った。
火元に近づくほど熱気が増す。顔の皮膚がぴりぴりする。炎は既に三棟に延焼していた。風は北東から。このままいくと、風下にある長屋の密集地帯に一直線に燃え広がる。
最悪のパターンだ。
「おい、あんたら! この先に何棟ある!」
住民の一人を捕まえて訊いた。
「え……二十棟、いや、もっとか……」
二十棟以上が風下に並んでる。バケツリレーで止まる規模じゃねえ。水魔法の使い手がいりゃ話は別だが、下町にそんな都合のいい人材はいねえだろう。
領主の兵士が走ってくるのが見えた。が、そいつらは燃えてる長屋には見向きもせず、上町との境界に向かっていった。上町への延焼を防ぐのが目的だ。下町の火は放っておくつもりらしい。
……ちっ。まあ、そういうもんか。
考えろ。水で消せないなら、どうする。
答えは一つだ。
「おい、聞いてくれ!」
バケツリレーの住民たちに向かって声を張った。
「水じゃ止まらねえ! 延焼経路を断つ! この先の長屋を二棟——先に壊す!」
一瞬、全員が固まった。
「壊す……? 家を、壊すのか!?」
「そうだ! 火がそこまで届く前に、建物を取り壊して隙間を作る。火は燃えるもんがなけりゃ進めねえ! 二棟分の空間を開ければ、そこで延焼は止まる!」
「馬鹿言うな! あそこにも人が住んでるんだぞ!?」
「住人は今すぐ避難させろ! 二棟壊して止めるか、二十棟燃えるか、どっちがいい! 選ぶ時間はねえぞ!」
破壊消防。江戸の火消したちが使った手だ。消防車も水道もない時代、火事を止めるにはこれしかなかった。延焼の経路上の建物をぶっ壊して、火の通り道を断つ。乱暴に聞こえるが、理に適ってる。火ってのは燃料がなけりゃ消えるしかない。
住民たちの顔が不安げだ。だが、火は待ってくれない。
「俺を信じろとは言わねえ。だが見ろ、火はもう四棟目に移ってる。あと十分もすりゃ五棟目だ。水で止められるなら俺だってそうする。止められねえから言ってるんだ!」
沈黙。
そこへ——ずかずかと大股で歩いてくる影があった。
ガルドだった。
「親方、手伝う」
「お前……来たのか」
「騒ぎを聞いてな。……さて、何をすればいい?」
俺は少しだけほっとした。こういう時にすぐ動ける奴は、それだけで信頼できる。
「あの二棟を壊す。お前の力が要る」
「分かった、壊す」
ガルドが動いたことで、住民たちの空気が変わった。あの崩落を除去した男と、あの怪力の獣人が動く。何人かが「俺も手伝う」と声を上げた。
バケツリレーを止めて、延焼経路上の二棟の住民を避難させる。ここからは時間との勝負だ。
「まず屋根を落とす! 柱の根元を蹴り飛ばせ! ガルド、お前は主柱だ。一番太いやつを頼む!」
「任せろ!」
ガルドが主柱を両手で掴み、根元から引き抜いた。ベキベキと木が裂ける音がして、屋根が一気に崩れ落ちる。こいつの力はやっぱり規格外だ。冒険者の中で腐らせとくのが勿体ねえ。
俺は残りの柱と壁を指示通りに倒させて、崩した木材を手早く火元の反対側に寄せた。燃えるもんを延焼方向に残さない。これが肝心だ。
二棟目も同じ手順で倒す。もう手慣れたもんで、住民たちの動きも早くなっていた。
二棟分の空き地ができた。幅にして十メートルほど。火元側と風下側の間に、何もない空間が生まれる。
「水を撒ける分だけでいい、この空き地の地面を濡らしてくれ! 火の粉が飛んで着火するのを防ぐ!」
住民がバケツで地面に水を撒く。だが水の量が足りない。空き地の全面には到底行き渡らない。
その時——足元の土が、じわっと湿り始めた。
リルだった。いつの間にか駆けつけていて、地面に手を当てている。その手の下で、土がゆっくりと水分を含んでいく。
「精霊に頼んで……地面の水を引き上げてもらってます……!」
土精霊だ。地中の水分を吸い上げて、表面の土を湿らせてる。範囲は広くねえが、火の粉が最も飛びやすい風上側をカバーしてくれている。
「……助かる」
リルがこくこくと頷いた。顔が煤で汚れてる。この騒ぎの中、わざわざ来たのか。
炎が二棟分の空き地に迫った。
熱波が押し寄せる。顔を庇いたくなるほどの熱さだ。だが——火は、空き地の手前で止まった。
燃えるものがない。空き地の地面は湿っていて、飛び火しても燃え広がらない。
炎はしばらく燃え盛った後、勢いを失い始めた。
……止まった。
歓声——ではなかった。最初はただの沈黙だった。全員がへたり込んで、呆然と火の残りを眺めていた。
やがて、誰かが言った。
「止まった……のか?」
「止まった! ――止まったぞ!!」
「すげえ……本当に、止まったんだ!!」
俺もその場に座り込んだ。煤と汗でぐしゃぐしゃだ。
四棟が焼けた。二棟を壊した。計六棟。
だが、壊さなければ二十棟以上が灰になってた。この計算が正しかったかどうかは、壊された二棟の住人にとっちゃ関係ない話だろう。正しい判断でも、家を失った人間にとっちゃただの暴力だ。
分かってる。分かってるが、他に方法がなかった。
* * *
夜明け。
焼け出された住民たちのために、応急の仮設住居を組んだ。
と言っても大したもんじゃない。丸太を四本立てて、防水布を屋根代わりに張っただけだ。雨風は凌げるが、住居と呼べるレベルじゃない。
ガルドが黙々と丸太を運んでくれた。リルは精霊に頼んで仮設住居の周りの地面を固めてくれた。ぬかるんだ地面の上じゃ寝られないからな。
三人とも一晩中動き通しで、ボロボロだ。
仮設住居に毛布を配り終えたところで、ガルドがぽつりと言った。
「……親方」
「なんだ?」
「俺、あんたの弟子にしてくれねえか」
「……」
「昨日——ダンジョンの時からずっと考えてた。冒険者を三年やって、俺には何もなかった。パーティにも入れてもらえねえ、ランクも上がらねえ。力しか取り柄がねえ脳筋だって笑われて、それでも剣を振ってりゃいつか報われると思ってた」
ガルドの拳は震えていた。
「でも今夜、あんたの横で動いて……初めてだった。力が役に立ったのは。俺の力を、ちゃんと使ってくれる人の下で動いたのは」
……そうか。
俺は煤だらけの顔で、こいつを見上げた。
「弟子ってのは楽じゃねえぞ。朝は早い、仕事はきつい、怒鳴られることもある」
「構わねえ」
「給料は安い。冒険者みてえに一発でかい稼ぎはない」
「構わねえ」
「……そうか」
立ち上がって、煤だらけの手を差し出した。
「『棟方組』へようこそ。これからよろしくな、ガルド」
ガルドの大きな手が、俺の手を握った。
……しかし「棟方組」か。二人でか。寂しい工務店だな。
朝日が下町を照らし始めた頃、領主の屋敷から使者が走ってきた。
「棟方鉄殿ですか。ヴェルトール伯が、お会いしたいと仰せです!」
……来たか。
昨夜の火事を上町から見ていた連中がいるんだろう。二棟壊して延焼を止めた話が、もう上に伝わっている。
「面倒くせえなぁ」
「え?」
「いや、何でもねえ……行くよ」
ガルドを振り返った。
「お前も来い。弟子入り初日の仕事だ、荷物持ちな」
「荷物なんかねえだろ」
「じゃあ俺の護衛だ。貫録を出せ」
「護衛ってのは、戦えるやつがやるもんだぞ……」
「いいから、でかい顔してろ」
リルが少し離れたところで、くすくす笑っていた。
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