親方、弟子に驚かされる
エルフの森を訪ねた。
フィーアが出迎えてくれた。吊り橋は全部健全だ。学院の卒業生が交換した接合金具が効いてて、地震の時も揺れなかったらしい。
「テツ殿。橋の下を見ていただけますか」
「何かあるのか」
「いえ。——いいものがあります」
橋の下に降りた。吊り橋のロープを固定してる岩盤の表面に、苔除けのモルタルが薄く塗ってある。
「これ、誰が塗った」
「うちの卒業生です。岩盤に苔が生えるとロープの固定部が滑るから、予防で塗ったと」
仕様書にはない対策だ。卒業生が自分の頭で考えてやった。しかも理屈が正しい。苔が生えれば摩擦が減って、ロープがずれる。そうなる前に防いだ。
「この塗り方、丁寧だな。薄くて均一だ。誰に教わった」
「誰にも教わってないそうです。必要だと思って、やったと」
「……いい判断だ。仕様書に追加する」
「嬉しそうですね、テツ殿」
「嬉しくねえ。——普通だ」
嬉しくねえわけねえだろ。だが顔には出さねえ。
フィーアが世界樹の繊維で編んだ首巻きを見せてくれた。エルフ仕様の首巻き。薄くて丈夫で、汗をよく吸う。
「学院の首巻き文化がこちらにも広まりまして。——森の職人たちが巻いてます」
「エルフが首巻きを……」
「似合うでしょう?」
長い耳から首巻きが垂れてる。似合うかどうかは分からねえが、巻いてるってだけでいい。現場の人間だって意味だから。
* * *
ドワーフの地下都市。
ドルクが迎えてくれた。ロックボルトの追加打ちが完了してて、地下大広間は安定してる。壁を叩いた。いい音だ。
「ルッカの鍛造したボルトは一級品だ。——あいつによろしく言ってくれ、親方」
「自分で言え。精霊の交信で言えるだろ」
「直接会った時に言いたいんだ。——じいさんの気持ちってもんを分かれ」
分かるかそんなもん。だが伯父と姪の仲は悪くねえらしいから、まあいい。
ドルクが鍛冶場に連れていってくれた。古代の歯車式ふいごの再現品が置いてある。ミーナが地下都市で見つけた古代の設計を元に、ドワーフの鍛冶師が復元したそうだ。
「これ、効率がいいんだ。従来のふいごの三倍の風量が出る。——あの嬢ちゃんの記憶のおかげだ」
ミーナが横で黙って見てる。自分の記憶が役に立ってるのを見てる。
「棟方。使われています。建ノ民の技術が」
「使われてるな」
「……嬉しい、です。たぶん」
「たぶんかよ」
「記録体なので、感情が正しいか自信がないんです」
「嬉しいと思ったなら嬉しいんだよ。難しく考えんな」
* * *
帝国に入った。街道を馬車で走る。路面は安定してる。宿場も全部稼働してる。管理人が首巻きを巻いて「ご安全に」と挨拶してくる。
ヴァルゲンでヴァルターに会った。帝国の建築研修を視察した。帝国の弟子たちが壁を積んでる。目地を指で押して確認してる。学院式が定着してやがる。
「儂の弟子たちが、お前の学院から帰ってきてから目地にうるさくなった。——いいことだ」
「うるさいくらいでちょうどいい」
「それと、壁を叩いて音を聴く癖がついた。街を歩いてると勝手に壁を叩きよる。住民に不審がられとる」
「職業病だな。俺もだ」
「親方もか。——やっぱり師匠に似るんだな」
「俺が師匠じゃねえ。ガルドが殴って教えただけだ」
「殴って教えるのもお前の流儀だろう。——まあいい。茶を飲め」
帝国の茶を飲んだ。甘い。合わねえ。だがヴァルターと向かい合って茶を飲む時間は悪くねえ。こういうのも巡回の一部だ。壁を叩くだけが仕事じゃねえ。
ヴァルターが茶碗を置いた。
「親方。帝国にも学院を作りたい。——お前のところの卒業生を一人、こっちに寄越してくれんか。教える側として」
「誰がいい」
「メルダ。あの女の段取りは化け物だ。あれがいれば帝国の学院も回る」
「本人に訊け。俺が決めることじゃねえ」
「分かっとる。——だが、親方の許しがあった方がメルダも動きやすかろう」
「許すも何もねえ。卒業生がどこで何をしようが自由だ。——メルダが行きたいなら行け。行かせる」
「ありがたい。——お前は本当に、手放すのが上手いな」
「上手くねえ。握ってねえだけだ」
カイザに向かった。
* * *
カイザ。ユーリが建てた住宅がある町。
着いて、最初に目に入ったのは——見覚えのない建物だった。
ユーリの住宅の隣。新しい二階建て。コンクリートブロック造り。屋根は木造トラス。——ユーリの住宅と同じ設計だが、何かが違う。
「ユーリ。あれは何だ」
「あ、棟方さん。——あれは、僕が卒業試験の後に追加で建てた集合住宅です。カイザの住宅が足りなかったので」
「追加で建てた? 俺に報告してねえぞ」
「すみません。——報告する前に見ていただきたくて」
近づいた。壁を叩いた。コン。いい音だ。目地に空洞はねえ。
基礎を確認した。深さ百センチ。割栗石の突き固めは完璧。排水溝が周囲を囲んでる。
——ここまでは俺が教えた通りだ。だが、一階と二階の間に何か変なものが挟まってる。
「ユーリ。この層は何だ」
「免震層です」
「……免震?」
「一階の壁の上に革と鉄板の支承を入れて、その上に二階を載せました。——地震の時に二階だけが滑るようにしてあります」
見た。確かに。一階と二階の間に、小型の免震支承が六基入ってる。鉄板と革の構造。方舟の支承と同じ——いや、違う。もっと小さくて、もっとシンプルだ。
「この支承、誰が鍛造した」
「カイザの鍛冶屋に頼みました。仕様はルッカさんに精霊の交信で確認しましたが、設計は僕がやりました。——方舟の支承だと大きすぎるので、二階建て住宅用に小型化しました」
小型化した。住宅用に。
方舟は巨大な建物だから免震支承もでかい。だが普通の二階建て住宅なら荷重が軽い。小さい支承で十分だ。——俺はそれをやってなかった。大きい建物にしか免震を入れてなかった。住宅に入れるって発想がなかった。
「……この支承の耐荷重はいくつだ」
「計算しました。二階部分の自重と積載荷重を合わせて、一基あたり三百キログラム。安全率は二倍を確保してます」
「計算は合ってるのか」
「エルノさんに確認してもらいました」
壁を叩いた。もう一回。支承の上下で音を聴き比べた。一階の壁と二階の壁で振動の伝わり方が違う。免震が効いてる。
「この建物、地震の時にどうなった」
「本震の時、一階は揺れましたが二階はほとんど揺れませんでした。——二階に住んでた家族が『下は揺れてたのに上は静かだった』と言ってました」
住宅用の小型免震。コストが低い。鍛冶屋が一軒あれば作れる。特殊な材料もいらねえ。革と鉄板だけだ。——これが普及したら、一般の住宅に免震が入る。金持ちの城や公共施設だけじゃなく、農家の家にも、下町の長屋にも。
なんで俺はこれを思いつかなかったんだ。でかい建物ばっかり見てて、足元の住宅を見てなかった。ユーリはカイザの住民と暮らして、住民が何を怖がってるかを知ってた。だから住宅に免震を入れた。——現場を見ろ。俺がいつも言ってることだ。こいつはそれを俺より忠実にやった。
「ユーリ」
「はい」
「……これ、仕様書に入れていいか」
「え?」
「お前が設計した住宅用免震支承。棟方学院の仕様書に正式に追加する。お前の名前入りで」
ユーリが固まった。
「僕の名前……ですか」
「お前が考えて、お前が設計して、お前が建てた。——お前の仕事だ。名前を入れるのは当然だろ」
「……はい。——はい!」
声が震えてる。泣きそうな顔だ。泣くなよ。壁が湿る。——いや、ここは外だった。湿んねえ。泣いていい。
カーラが横で鼻をすすってる。お前まで泣くな。
「親方……ちょっとだけ感動してるわよ、あたし……」
「うるせえ。——帰るぞ。仕様書の改訂作業がある」
リルが精霊に「ユーリさんの支承が仕様書に入りますー!」と報告してる。全大陸に伝わるぞそれ。まあいいか。いい知らせだ。
帰りの馬車でコーヒーを飲んだ。カイザの帰り道。前にここを通った時は、崩壊した瓦礫を見てコーヒーの味が分からなくなってた。今は——うまい。普通にうまい。
ミーナが馬車の隅に座ってる。
「棟方。弟子に追い抜かれた気分はどうですか」
「追い抜かれてねえ。——追いつかれただけだ」
「それは——嬉しいことですか」
「当たり前だ。追いつかれなきゃ教えた意味がねえだろ」
「……建ノ民の長は、追いつかれることを恐れました」
「馬鹿だな」
「はい。馬鹿でした」
ミーナが笑った。記録体の笑顔はぎこちねえが、嫌いじゃねえ。
王都が見えてきた。




