親方、仕事がなくなる
朝のコーヒーを飲んで、体操をして、「ご安全に」と言った。
——で、やることがない。
学院は二期生の実習が順調に回ってる。ユーリが現場監督を務めて、メルダが工程管理をして、セオが資材を手配してる。ガルドとトルテが力仕事を仕切ってる。ルッカは鍛冶実習棟で二期生に工具の手入れを教えてる。エルノは仕様書の改訂作業に入ってる。
俺が口を出す場面がねえ。
試しに「何か手伝うことあるか」って訊いてみた。ユーリが「大丈夫です、回ってます」と即答しやがった。回ってるのは分かってる。分かってるから困ってんだ。
街道の定期点検は各宿場の管理人が回してる。首巻きを巻いた管理人が毎日歩いて路面を確認して、異常があれば精霊の交信で報告してくる。報告は来てるが「異常なし」ばかりだ。異常なしはいいことだ。いいことだが、俺の仕事にはならねえ。
市場の浴場はフェルマンが運営してる。下町湯はセオが手配した管理人が回してる。どっちも繁盛してる。故障や修繕の依頼は——来てねえ。
ダムの管理人も水道橋の管理人も全部ちゃんと動いてる。
俺が何もしなくても、全部回ってる。
「……暇だ」
声に出しちまった。学院の庭で一人で「暇だ」って呟く四七歳の土方。絵面がひでえ。
コーヒーのお代わりを淹れた。二杯目。普段は一杯で現場に出る。二杯目を飲む朝なんざ覚えがねえ。味はうまい。うまいが、手持ち無沙汰で飲むコーヒーは落ち着かねえ。尻がむずむずする。座ってられねえ。立ってても落ち着かねえ。
市場をぶらついてみた。休みの日と同じだ。だが今日は平日だ。平日にぶらつく土方ほど惨めなもんはねえ。手ぶらで歩いてる。突き棒も持ってねえ。ポケットに手を突っ込んで歩いてたら、マルタさんに「ムナカタさん今日はお休み?」と訊かれた。休みじゃねえ。仕事がねえだけだ。違いが分かるか。分かんねえか。俺にも分かんねえ。
魚屋の前を通った。排水溝を見た。反射的に見ちまう。職業病だ。水が流れてる。勾配は正しい。直す必要がねえ。
パン屋の煙突。煤は溜まってねえ。ちゃんと掃除してるらしい。直す必要がねえ。
鍛冶屋の床。水平だ。石板がしっかり噛んでる。直す必要がねえ。
靴屋の壁。地震のヒビを埋めたモルタルが安定してる。直す必要がねえ。
飯屋の梁。南側に本棚を動かしたおかげで反りが戻ってる。直す必要がねえ。
仕立屋の屋根。瓦がずれてねえ。雨漏りの報告もねえ。直す必要がねえ。
っていうか、全部直す必要がねえ。一軒も壊れてねえ。一箇所もゆるんでねえ。嬉しいのか悲しいのか分からねえ。
飯屋に入った。梁を見ながら飯を食った。梁は安定してる。本棚を動かした効果が出てる。飯はうまい。だが梁が気にならなくなると、飯屋に来る目的が純粋に飯だけになる。それはそれでいいんだが——なんか物足りねえ。飯を食いながら天井を見て問題がないか確認する。問題がない。飯だけ食って出た。
全部——直す必要がねえ。
「……勘弁してくれ」
壊れてくれとは言わねえ。壊れないことが一番いい。俺が直した箇所が全部持ってるってのは、仕事が正しかった証拠だ。喜ぶべきだ。
喜んでる。喜んでるが、手が空いてる。手が空いてると尻がむずむずする。座ってられねえ。これは職業病だ。いや、病気じゃねえ。体質だ。土方の体質。手を動かしてないと落ち着かねえ体質。治す気もねえ。
* * *
学院に戻った。講堂に入ったら、ユーリが二期生に座学をやってた。
「——地盤調査の基本は三つ。一つ、土質の確認。掘って触って舐めて判断する。二つ、地下水位の確認。精霊探査か井戸の水位で把握する。三つ、支持層の深さ。突き棒を打って、硬い層に当たるまでの深さを測る。——質問は」
「先輩、粘土質と砂質の見分け方って、触っただけで分かるもんですか?」
「握って固まったら粘土質。崩れたら砂質。——棟方さんがカイザで教えてくれた方法です。実際に握ってみろ。ほら、この土」
二期生が土を握ってる。崩れた。「砂質だ!」「そう。じゃあこっちは?」「固まった! 粘土!」。——やり取りが自然だ。ユーリが仕切ると、堅くならねえ。穏やかだが的確だ。俺みてえに怒鳴らねえ。俺のやり方じゃなく、ユーリのやり方で教えてる。
邪魔しちゃいけねえ。黙って出た。
鍛冶実習棟を覗いた。ルッカが二期生にロックボルトの鍛造を教えてた。
「温度は色で見ます。赤い橙色の時に叩く。白くなったら高すぎ。——叩く回数は石を割る楔なら三十回。木を割る楔なら十五回。用途で硬さを変えます」
二期生がハンマーを振ってる。ルッカが手を添えて角度を直してる。ミリ単位の修正。鍛冶師の指先だ。
ここも俺がいなくていい。
校舎の裏に回ったら、ガルドが帝国の弟子と壁を積んでた。
「違う! 目地を指で押せ! 奥までだ! ——ほら、ここに空洞がある。感じるか?」
「あ、確かに指が沈みます!」
「そこだ。そこを潰せ。——よし、もう一個積め」
ガルドの教え方は殴って手で直す。だが声が増えてきた。言葉が出るようになってる。口下手は口下手だが、伝える言葉を選べるようになってる。
ここも——俺がいなくていい。全部回ってる。全部動いてる。俺が建てて、俺が教えて、俺が仕組みを作って——今は仕組みが勝手に回ってる。嬉しいのか寂しいのか分からねえ。たぶん両方だ。
カーラが通りかかった。
「あら、親方。何してるの」
「……見て回ってる」
「仕事は?」
「ねえ」
「ないの?」
「全部回ってる。俺がいなくても」
「いいことじゃない」
「……そうだな」
「寂しい?」
「うるせえ」
「素直じゃないわね」
カーラが笑って行った。下町湯の様子を見に行くらしい。あいつにはいつも仕事がある。風呂がある限り。
俺は——どうすりゃいい。
ミーナが校舎の柱の影にいた。いつの間にか。
「棟方。暇ですか」
「……暇だ」
「建ノ民の長もそうでした」
「何?」
「都市が完成した時、長はやることがなくなりました。全てが動いていて、全てが回っていて。——長は言いました。『俺の仕事は終わった』と」
「……で、どうなった」
「やめました。建てることを。——それが始まりでした。長がやめた。弟子たちも少しずつやめた。誰も新しく建てなくなった。維持だけになった。維持する理由も薄れた。——そして、全部崩れた」
「……」
「棟方。仕事がないのは、仕事が終わったという意味ではありません。——次の仕事を探しに行く時だという意味です」
そうだ。やることがないなら探しに行け。王都の中に仕事がないなら、外に行け。街道の先に行け。帝国に行け。エルフの森に行け。ドワーフの地下都市に行け。まだ見てない場所がある。まだ叩いてない壁がある。
それに——巡回ってのは大事だ。街道も橋もダムもトンネルも、建ててから時間が経ってる。風雨にさらされて、季節が何回か巡って、劣化してる箇所があるかもしれねえ。管理人がいても、プロの目で定期的に確認する必要がある。
仕事がなくなったんじゃねえ。仕事の種類が変わったんだ。建てる仕事から、守る仕事に。
「ミーナ。お前も来るか」
「行きます。——わたしも、見たいものがあります」
「何だ」
「あなたが建てたものが、どう使われてるか。——わたしは建ノ民の建物が崩れていくのを見ました。あなたの建物は崩れないのか、確かめたい」
「崩れねえよ。——崩れねえように建てた」
「それを確かめに行くんです」
生意気な嬢ちゃんだ。だが——まあ、来るならいい。
コーヒーを飲み干した。三杯目、飲みすぎだ。胃に来てる。四七歳の胃は三杯が限界だ。
「ガルド」
「おう」
「学院を任せる。——俺はちょっと出てくる」
「どこに行くんだ」
「仕事を探しに。街道と橋とダムとトンネルと宿場を全部回って、直すべきもんがあったら直してくる」
「……また旅か」
「旅じゃねえ。巡回だ」
「どのくらいかかるんだ」
「一ヶ月くらいだ。帝国の端まで行って帰ってくる。——エルフの森にも寄る」
「分かった。——学院は任せろ。二期生の面倒はユーリとメルダで回るし、帝国の弟子は俺が見る」
「頼む」
「ああ。——ご安全に、親方」
「ご安全に」
荷物をまとめた。突き棒。コテ。水準器。コーヒーの豆。首巻き。
——あと、カーラの分の荷物。どうせついてくるだろ。
「テツ! あたしも行く!」
ほらな。
「リルも連れてく。精霊の交信がねえと各地と連絡が取れねえ」
「はい! 行きます!」
三人と一体の記録体で出発だ。少人数。身軽でいい。




