親方、下町に二軒目の風呂を建てる
古代の都から帰ったら、カーラが設計図を抱えて待ってた。
こいつがこの顔をする時は面倒なことになる。目が据わってて、口が笑ってて、手に紙を持ってる。三年の付き合いで分かるようになった。面倒事が来る。
「テツ。下町に風呂を建てましょう」
「市場の浴場があるだろ」
「あれ、毎日二時間待ちよ。下町の住民は市場まで歩くだけで三十分。着いたら行列。入って出て帰ってきたら半日潰れるの」
「フェルマンに増築させりゃいいだろ」
「場所がないの。市場の浴場は周りを店舗に囲まれてて、広げる余地がない。——だから、下町に二軒目を建てるの」
二軒目。確かに市場の浴場は混んでる。建てた時と比べて王都の人口が増えてる。地震の後に周辺の村から人が移ってきたし、学院の関係者もいる。一軒じゃ足りなくなった。
「あたし、下町で百五十人に訊いたの。『近所に風呂が欲しいですか』って」
「全員欲しいって言ったんだろ」
「なんで分かるの」
「お前が訊いて回ったってことは、もう答えを知ってるからだ。——設計図を見せろ」
カーラの目がきらっと光った。待ってましたって顔だ。
* * *
設計図を見た。百二十人用。市場の浴場より大きい。男女完全分離。脱衣所は鍵付きの棚。湯船は二つ、熱いのと温いの。洗い場に個別の仕切り。休憩所に長椅子。番台。排水路。
「カーラ、一個訊いていいか」
「何」
「お前はいつこの設計図を描いたんだ」
「学院の校舎を建ててる間ずっと」
……学院の工事中にこっちの設計をやってたのか。あの女の風呂への執念はどうなってんだ。
「壁は版築にする」
「版築?」
「市場の浴場はコンクリートの壁だろ。あれは丈夫だが冬は壁がひやっとする。入った瞬間に鳥肌が立つ。——版築なら壁が蓄熱する。竈の熱を壁が吸って、じわじわ返してくれる。浴室が一年中温かい」
「いいわね。——あと、角丸にして」
「何を」
「湯船。市場のは四角い箱型でしょ。角に汚れが溜まるの。丸くすれば水流で流れる」
「……分かった」
風呂に関してはこいつの注文が的確なのが腹立つ。角丸は衛生面で理に適ってる。素直に採用する。悔しいが。
* * *
場所はマルタさんの長屋から二ブロック。水道の配管が近くて排水路にも接続しやすい。下町の中心部だ。
学院の二期生を動員した。実習を兼ねる。風呂は基礎、壁、屋根、配管、排水、防水、加熱と、建築の全要素が詰まってる。教材として完璧だ。
「二期生にとっちゃ初めてのでかい現場だ。——一つだけ言っとく。風呂は水を使う建物だ。防水がすべてだ。壁と床から水が漏れたら基礎が腐る。手を抜くな。三回確認しろ」
「「はい!!」」
基礎を掘った。八十センチ。防水層は粘土を三重塗り。二期生が粘土を塗って、水を撒いて漏れを確認して、漏れた箇所を塗り直してる。一人もサボってねえ。壊す授業の記憶が効いてるんだろう。手抜きの末路を知ってる連中は手を抜かねえ。
版築の壁に取りかかった。型枠を立てて、下町の土手から掘った土を入れて、五十回突く。二期生はラウフ村の実習で版築をやってるから手順は分かってる。
問題は量だ。百二十人用の浴場は壁の総延長が八十メートルある。
「セオ。突き固めの総回数は」
「一段五十回、壁高三メートルで四十三段。全壁面で——約十七万回です」
「「十七万回!?」」
「二十人で十日。一人一日八百五十回のペースだ。——一時間に百回。できるだろ」
「できます!!」
元気な返事だ。三日目あたりで腕が上がらなくなる奴が出るが、そうなったら交代制にすりゃいい。
マルタさんが毎日差し入れに来た。パンと果物と、時々スープ。「早くできるといいねえ」と言いながら壁を触って帰っていく。下町のおばちゃんたちも見に来て、壁の縞模様を見て「きれいだねえ!」と騒いでる。赤い帯と茶色の帯が交互に出て、壁一枚ずつ模様が違う。
「あの赤いとこ、うちの畑の横の土手の色だよ!」
「土で壁を作るなんて初めて見た!! しかもこんなに硬いのかい!!」
おばちゃんが壁を拳で叩いてる。コン、と硬い音。突き固めた版築は石に匹敵する。腕の力じゃびくともしねえ。
十日で壁が立ち上がった。屋根は木造トラス。竈は二基。煙突には掃除口を付けた。排水勾配は千分の十五。床は粗仕上げ。湯船は角丸型。
加熱システムは市場の浴場と同じ床下暖房だ。だが今回は竈の配置を変えた。市場のは竈が浴室の外にあって、熱い空気を床下に送る方式だ。悪くねえが、熱が途中で逃げる。
今回は竈を浴室の真下に埋めた。直火が床下の煙道を通って、石の床を直接温める。熱のロスが少ねえ。薪の消費量がざっと二割減る。
「セオ。薪代の計算し直せ。竈が近い分、燃費が良くなる」
「はい。——市場の浴場のデータと比較すると、一日あたりの薪代が一割八分減ります。月の運営コストが百二十銅貨の節約です」
「百二十銅貨。入浴料百二十人分だ。——一日分の売上が丸々浮くってことだ」
「素晴らしい! ——この竈配置、仕様書に入れましょう。全国の浴場で使えます」
セオが嬉しそうにメモってる。数字が改善すると喜ぶ男だ。
全部終わったところで壁を叩いて回った。二期生も一緒に。コン、コン、コン。全面いい音。空洞なし。
防水の最終テストもやった。湯船に水を満杯に入れて、一晩放置して、翌朝の水位を確認。——一ミリも下がってねえ。漏れなし。
「防水、完璧です!!」
「合格だ。——手締め」
「「よぉーーーっ!」」
パパパン! パパパン! パパパン! パン!
版築の壁が拍手を吸い込んで、ふわっと返した。コンクリートのドームとは違う。硬い反響じゃなく、柔らかい音。なんつうか、丸い音だ。
「壁の音、優しい……!」
「版築だからだ。密度は高いが、微細な空気を含んでる。音を跳ね返さずに吸って返す。——風呂に向いてる理由はそこだ」
入口に看板を掛けた。
『下町湯』
「『棟方湯』にしない?」とカーラが訊いた。
「しねえ。下町の風呂だ。下町の名前を付ける」
「珍しくいいこと言うわね」
うるせえ。
* * *
開店初日。
朝からとんでもねえ行列ができた。マルタさんが先頭。その後ろに下町の住民が百人以上並んでる。角を曲がって三ブロック先まで列が伸びてる。
「一番風呂! あたしが一番風呂だよ!!」
マルタさんが走って入っていった。六十過ぎのおばちゃんがあの速度で走れるのは風呂の力だ。
湯に浸かったマルタさんが、しばらく黙ってた。
それから——
「……あったかい。壁があったかいよ……!」
「版築の壁だ。熱を溜める」
「市場のお風呂も好きだけど……こっちの方が、なんていうか……ぎゅーってくる……」
「ぎゅーって何だ」
「包まれてるみたい! 壁に抱きしめられてるみたいな温かさ!! ——毎日来る!! 毎日来るからね!!」
後続の客が続々と入ってくる。
「何だこりゃ!! 壁が温かい!! 何この壁!!」
「版築っていう土の壁だってよ!! 下町の土で作ったんだと!!」
「うちらの土でこんなもん作れるのかよ!! すげえ!!」
「湯船が丸い!! 角がない!! 入りやすい!!」
「市場の風呂より好きだ!! こっちの方が温かい!!」
歓声が壁に吸われて、柔らかく反響してる。風呂の音だ。
番台にはセオが手配した管理人が座ってる。一銅貨ずつ受け取って、手拭いを渡す。運営マニュアルはメルダが作った。清掃手順、湯温管理、薪の補充タイミング、緊急時の対応。分厚い冊子だ。
「メルダ殿、このマニュアル、五十ページもあるんですが……」
「全部読んでください。読まないと事故が起きます。——風呂場で滑って転んだら誰の責任ですか」
「……読みます」
メルダの管理は容赦がねえ。だが容赦がない方がいい。風呂は楽しい場所だが、裸の人間が熱い湯と滑る床の上にいる。事故が起きたら取り返しがつかねえ。安全管理は手抜きするな。——俺がいつも言ってることだ。
カーラが女湯を仕切ってる。向こうからも歓声。
ガルドが男湯で「っっっぷはーーーっ」と声を出した。版築に吸われて、まろやかな「ぷはーーー」になって返ってきた。隣の客が「何だ今の声」と笑ってる。
風呂上がりの休憩所にコーヒーを置いた。一杯一銅貨。
飲んだ客が目を見開いた。
「うまっ!! 苦いのにうまい!!」
「風呂上がりの体にこの苦味が効くんだ。——二銅貨で風呂とコーヒー。悪い取引じゃねえだろ」
「最高の取引だ!! 毎日来る!!」
版築の壁に背中をつけて、コーヒーを飲んだ。壁が温かい。腰に優しい。四七歳の腰は温めると楽になる。
——こういう仕事が一番性に合ってる。




