親方、千年前の家を直す
式典が終わった翌日。二日酔いのガルドを放っておいて、コーヒーを飲んでたら、ミーナが横に座った。
こいつは音もなく現れるから心臓に悪い。光る肌の少女が急に隣にいると、朝の心臓がもたねえ。四七歳の心臓だぞ。
「棟方。一つ、頼みたいことがあります」
「何だ?」
「建ノ民の都に行ってほしいんです」
「都? 地下の街じゃなくて?」
「地下の街は地方都市です。——本当の都は、ここから北西に百キロ。山の中腹にあります」
百キロ。街道が途中まで通ってるから、馬車で二日くらいだ。
「何がある」
「全てがあります。道路も水道も広場も劇場も。——全部崩れかけてますが」
「……崩れかけてるのを見てどうしろと」
ミーナが俺の目を見た。
「一つだけでいい。——一棟だけ、直してほしいんです」
「直す? 千年前の建物を?」
「建ノ民の長の家です。わたしが最後に見た建物。——崩れていく長の家を、わたしは何もできずに見ていました。直す技術がなかったから」
「……」
「あなたなら、直せますか」
壁を直す。建物を直す。——俺がこの世界に来て最初にやった仕事だ。マルタさんの長屋の壁。ヒビが入った壁を、基礎からやり直して、真っ直ぐに立て直した。
千年前の建物だろうが、壁は壁だ。直せるもんなら直す。
「見てから判断する。——行くぞ」
* * *
ユーリとルッカとリルを連れていった。ガルドは学院の留守番。もう慣れたもんで「おう、任せろ」と即答した。成長したなこいつ。——いや、対比はしねえ。事実だけ言う。留守番を嫌がらなくなった。
北西に馬車で二日。山が見えてきた。
山の中腹に、都市の残骸があった。
でかい。
石の壁が点在してる。崩れた塔の基部。倒れた柱。大通りだったらしい石畳が草に覆われてる。水道橋のアーチが三つ残ってて、残りは崩落してる。
ミーナが先を歩いた。迷いなく進む。千年前の道を覚えてるんだ。
「ここが大通りです。幅は十二メートルありました。——あそこが市場の跡。あの柱は神殿の入口」
「ユーリ、記録取っとけ」
「はい!」
ユーリが目の色を変えてスケッチを始めた。建物の配置、道路の幅、柱の高さ。全部描いてる。
説明を聞きながら歩いた。どの建物も、元は一流の仕事だったのが分かる。石の切り出しが精密だ。目地が均一だ。——だが全部崩れてる。千年の風雨と地震と、何より維持管理の放棄。
ルッカが壊れた壁の断面を触ってた。
「親方。この壁の石、グルンダールの古代鉄と同時期の加工です。千年前のドワーフと交流があったかもしれません」
「ドワーフとの共同建築か。——今の俺たちと同じだな」
足元の石畳を見た。五層舗装だ。トンネルで見たのと同じ。粘土の防水層が入ってる。舗装自体はまだ生きてる箇所がある。基礎がしっかりした部分は千年経っても残る。手を抜いた部分だけが崩れる。——当たり前の話だが、千年分の実証がここにある。
リルが精霊と話してる。
「親方さん……ノームたちが泣いてます。『昔はここに大勢の人がいた。いなくなった。寂しかった』って……」
「……そうか」
精霊は千年間、この廃墟で待ってたのか。人がいなくなった街で。
「ここです」
ミーナが立ち止まった。
小さい建物だった。三間四方くらいの石造り。屋根は崩落してるが、壁が二面残ってる。入口のアーチが半分崩れてかろうじて形を保ってる。
「建ノ民の長の家。——わたしが千年前に最後に見た時は、まだ屋根がありました」
壁に近づいた。叩いた。
コーーン。
音が軽い。目地が劣化して隙間だらけだ。石自体にもヒビが走ってる。風化してる。
だが——石の積み方は一流だ。角の処理。石の噛み合わせ。荷重の流し方。
「直せるか」と、ユーリが訊いてきた。
「壁は直せる。——ただし、千年前の仕事を壊すわけにはいかねえ」
「壊す?」
「新しく建て直すのは簡単だ。だがそれじゃ千年前の職人の仕事が消える。——残ってる部分はそのまま活かして、崩れた部分だけ補修する。元の壁と新しい壁が一つの建物になるようにする」
「……免震改修と同じ考え方ですね。壊さずに直す」
「そうだ。——建物にはそこに住んでた奴の時間が詰まってる。壊していいもんじゃねえ」
ミーナが何も言わずに壁を見てる。金色の目が潤んでた。
* * *
修復に入った。
まず残ってる壁を補強する。ヒビにモルタルを詰めて、裏側からロックボルトを打ち込む。壁を壊さずに内部から固定する。ルッカのボルトが石壁を貫いて、岩盤に食い込んだ。
「壁の表面は触るな。千年前の仕上げが残ってる。裏から補強するだけだ」
崩れた壁を積み直す。ここが一番難しい。残ってる壁と同じ石材を使って、同じ目地の厚さで、同じ角度で積む。千年前の職人の仕事に合わせる。
「ルッカ。この石、同じ質のやつは周辺にあるか」
ルッカが周囲の岩を調べて回った。舐めた。三箇所舐めた。
「あそこの崖に同じ石質があります。硬さも粒度も一致です」
「切り出してくれ。寸法は残ってる石に合わせろ」
ルッカが石を切った。千年前の職人が切ったのと同じサイズ。同じ角度。ルッカの精度なら合わせられる。
石を積んだ。目地は千年前と同じ厚さ。十ミリ。モルタルは俺の配合だが、色を合わせるために現地の砂を混ぜた。遠くから見たら、新しい石と古い石の区別がつかねえようにする。
ユーリが俺の手元を見てる。メモは取ってねえ。手を見てる。石を置く角度、モルタルを塗る厚さ、コテの動かし方。目で盗んでる。
「見てるだけか」
「……手で覚えます。書くより先に」
——いつの間にそうなった。メモ魔が手を優先してる。
屋根を架けた。元の屋根は石造りだったが、崩落してる。元のデザインはミーナが覚えてた。
「平らな石を重ねて、中央に小さな穴が開いていました。明かり取りです」
「天窓か。——学院のドームと似てるな」
石を重ねて平屋根を作った。中央に天窓。天窓をつけた。光が入る。換気もできる。機能的な穴だ。
入口のアーチを直した。半分崩れてた迫石を、新しい石で補完した。古い石と新しい石が噛み合って、アーチが完成した。
* * *
三日で修復が終わった。
小さい建物だ。三間四方。壁が四面。屋根が一枚。入口にアーチが一つ。
ユーリが完成した建物の周りを歩いて、壁を叩いてた。
「コン……コン……。——古い石も新しい石も、同じ音がします。区別がつかない」
「それが狙いだ。直した跡が目立つようじゃ、修復じゃなく改造になっちまう。元の建物を尊重して、馴染むように直す。——千年前の職人に『変なもん足しやがって』と怒られないようにな」
「千年前の職人に怒られる心配を……」
「職人は職人の仕事に厳しい。千年前だろうが同じだ」
ルッカが壁の継ぎ目を指でなぞった。
「目地の幅が〇・五ミリもずれてません。——親方、これ相当気を使いましたね」
「普通にやっただけだ」
「普通じゃないですよ。いつもの三倍くらい丁寧です」
……バレてる。
ミーナが入口のアーチの前に立った。
「……ありがとうございます。棟方」
「壁を直しただけだ」
「壁を直しただけ。——でも、この壁にはわたしの家族が住んでいました。長が毎朝、この入口から出て、街を見渡して、今日の仕事を決めていました。——千年間、この入口が崩れていくのを見ていました。何もできずに」
「もう崩れねえ。ロックボルトが入ってる。モルタルも新しい。——あとは管理だ。年に一回、壁を叩いて音を聴け。異常があったら連絡しろ」
「年に一回」
「年に一回でいい。叩き方は教えてやる。——お前にもできる」
ミーナの手を取って、壁の前に立たせた。拳の裏で叩く方法を教えた。
コン。
「……同じ音です」
「同じ壁だからな。——千年前の壁も、今日の壁も、ちゃんと建てた壁はいい音がする。それだけだ」
ミーナが壁に額をつけた。目を閉じてる。何を考えてるか分からねえ。
俺には分からねえ。だが、壁を直すことはできた。
帰り道。コーヒーを淹れた。山の水で淹れるコーヒーはちょっと味が違う。硬水だ。苦味が強くなる。嫌いじゃねえ。
ユーリが隣で黙ってた。珍しくメモを書いてねえ。
「何か言いたそうだな」
「……棟方さん。壁を直す時の手つき、いつもと違いました」
「どう違った」
「いつもより、ゆっくりでした。——丁寧っていうより、大事にしてるみたいに見えました」
「……気のせいだ」
「気のせいですか」
「気のせいだ。——壁は壁だ。千年前だろうが今日だろうが、直し方は同じだ」
嘘だ。ちょっとだけ丁寧にやったが、恥ずかしいから口では言わねえ。
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