親方、道を歩いて帰る
街道が繋がった翌日。ヴァルターが訊いてきた。
「帰りは馬車で行くのか」
「歩いて帰る」
「……何?」
「三百キロ全区間を歩いて点検する。路面、排水溝、橋、トンネル、全部確認しながら帰る」
「お前、正気か」
「正気だ。完成してから最初の点検を怠る奴は、完成させなかった奴と同じだ」
ヴァルターが黙った。それから、大きく頷いた。
「……敵わんな。お前には」
* * *
棟方組とハインツの計九人で東に歩き出した。ヴァルターとトルテは帝国に残って帝国側区間の管理体制を整える。トルテが「ガルドさーーーん!! すぐ戻ってきてくださいねーーーっ!!」と叫んでるのが三キロ先まで聞こえた。獣人の声量すげえな。
ガルドの耳がぺたんと垂れたまま戻らなかった。
「あいつ、声でけえんだよ……」
「弟子に慕われてるじゃねえか」
「慕われてるっていうか、追いかけ回されてるっていうか……」
知らんがな。
さて、歩くか。一日三十キロのペースで十日。街道の全区間を端から端まで叩いて回る。
初日。帝国側の区間。ヴァルターの弟子が舗装した路面を確認していく。路面を踏んで、排水溝を覗いて、石の敷き並びを見る。
——悪くねえ。
舗装の精度はレグニカ側と遜色ない。ヴァルターの教え方が良かったのか、仕様書が分かりやすかったのか。たぶん両方だ。だが三箇所、排水溝の勾配が逆になってる場所を見つけた。水が流れずに溜まる。
「ユーリ、メモ。七十二キロ地点、八十五キロ地点、九十一キロ地点、排水勾配の修正が必要」
「はい! 書きました!」
修正指示をヴァルターの弟子に伝える手配はエルノに任せた。
* * *
三日目。橋の区間に入った。十二本の橋を一本ずつ渡って、欄干を叩いて、橋台の基礎を確認する。
七本目の橋で足を止めた。
橋の上を歩いた時の感触が、他の橋と違う。ほんのわずかだが、足の裏に振動が来る。歩いて分かるレベルの違いだ。
「この橋、揺れてるぞ」
「え!? 全然分かりません!」
ユーリが橋の上を歩き回ってる。分からねえだろうな、こういうのは経験だ。
「橋台の南東側。——降りて確認するぞ」
川岸に降りて橋台の根元を見た。水流が橋台の下の土を少しずつ削ってる。洗掘だ。このまま放置すると橋台が傾く。橋を架けて二週間でもう始まってる。川ってのは容赦ねえ。
「橋台の周りに捨て石を入れる。でかい石を根元に並べて、水流が直接土を叩かないようにする」
ガルドに石を運ばせて、橋台の根元に積んだ。三十分で終わる簡単な作業だが、これをやるかやらないかで橋の寿命が十年変わる。
「棟方さん、歩いただけで分かったんですか。揺れてるって」
「足の裏が覚えてるんだ。まともな橋の振動と、橋台が緩んでる橋の振動は違う。——百本も渡りゃお前にも分かるようになる」
「百本……」
「まあ、まずは十二本からだ」
全橋を点検して、洗掘対策が必要だったのは二本。残りの十本は異常なし。
「ルッカの石は寸法が狂ってねえから、橋に歪みが出てない」
「当然です」
ルッカが言った。鍛冶師の矜持だ。
四日目。街道の両脇に、三十キロ間隔で宿場を作ることにした。旅人が一日歩いて休める拠点。全部で六箇所。
設計は標準化した。ブロック造りの宿舎。馬小屋。井戸。そして——風呂。
「風呂!! やった!!」
カーラが飛び跳ねた。待ってたなお前。
一箇所目の宿場を建ててる時、ちょうど通りかかった行商人の一団がいた。五人組。街道ができてから初めて通る連中らしく、道の良さに最初からずっと興奮してた。
「なあ兄ちゃんたち! ここに何を建ててるんだ!?」
「宿場だ。三十キロごとに休憩所を作ってる」
「宿場!? この街道に宿場まで付くのか!?」
「道だけ敷いても、途中で休めなきゃ意味がねえだろ。馬だって三十キロ走りゃ水が要る」
「それはそうだが……こんなもん、普通は役所が何年もかけて作るんだぞ!?」
「何年もかける理由がねえ。一日ありゃ建つ」
「一日!!」
行商人たちが建設を見物し始めた。ガルドが壁を積み、ルッカが井戸の鉄枠を鍛造し、テツが床を打設してる。昼には壁が立って、夕方には屋根が架かった。
「嘘だろ……本当に一日で建物が建った……」
「しかも風呂が付いてる!! 街道に風呂だぞ!!」
「入っていいのか!?」
「沸いたらな。——客第一号だ。入れ」
行商人が五人で風呂に入った。五右衛門風呂の据え置き版。一人用だから順番だ。一番風呂の男が湯に浸かって叫んだ。
「あっっっつ!! 熱い!! だがうめえーーーっ!! 何だこの最高の湯は!!」
泣いてる。風呂で泣く奴、久しぶりに見た。
カーラが「でしょ?」って顔をしてる。風呂の伝道師か、お前は。
六日で六箇所の宿場が完成した。
各宿場に、道路の管理人を一人ずつ置いた。近隣の村から募集した六人。街道の補修と宿場の運営を任せる。
「管理人の仕事は三つ。一つ、毎日自分の区間を歩いて路面を確認する。二つ、排水溝の詰まりを掃除する。三つ、異常を見つけたら精霊の交信で報告する。——やることはこれだけだ」
「それだけでいいんですか? もっと専門的な知識が——」
「専門的なことは俺たちがやる。お前たちは目と足だ。見つけて、知らせてくれればいい。——ただし、毎日歩け。サボったら道は壊れる」
六人に一枚ずつ、麻の布を配った。
「首に巻け」
「これは……?」
「首巻きだ。汗を拭いて、日射しを防いで、埃を吸い込まないようにする。現場に出る人間はこれを巻く。——お前たちがこの道の番人だ」
六人が首巻きを巻いた。ぎこちねえが、顔つきが変わった。布一枚で人間は変わる。制服ってのはそういう力がある。
* * *
七日目の朝。
二番目の宿場で、管理人と居合わせた旅人を集めて、やることがあった。
「朝飯の前に、全員集まれ」
七人が並んだ。管理人一人と旅人六人。何事かって顔をしてる。
「体操をする」
「……体操?」
「朝一番に身体を動かす。関節を回して、腰を伸ばして、筋を伸ばす。怪我をしねえための準備運動だ」
手本を見せた。腕を前に回す。大きく。横に伸ばして捻る。腰を回す。屈伸。深呼吸。五分で終わる。
「何ですかそれ! 踊りですか!?」
「体操だ。現場に出る前にこれをやると、腰を壊さねえ。腰は命だ。——ほら、全員真似しろ」
七人が恐る恐る腕を回し始めた。ぎこちねえ。ガルドは慣れたもんで隣で手本を見せてる。カーラだけやけにフォームがきれいだ。
「カーラ、お前いつの間にうまくなった」
「毎朝やってるもの。あんたが寝てる間に」
知らなかった。
「腕を回すだけでこんなに肩が軽くなるんですか!?」
「腰を回すのも気持ちいい!!」
「これ、毎朝やっていいんですか!?」
「毎朝やれ。道を歩く前に必ずやれ」
旅人の一人が屈伸して立ち上がった。
「すげえ!! 足が軽い!! 昨日から歩き通しで膝がガチガチだったのに!!」
「それがストレッチの効果だ。筋肉ってのは使った後に固まる。固まったまま動くと壊れる。伸ばしてから動けば壊れねえ」
「冒険者ギルドにも教えてくれよ!! 腰を壊して引退する奴がどれだけいると思ってんだ!!」
「教えりゃいい。誰でもできる。——ご安全に」
「ご安全に?」
「朝の挨拶だ。現場に出る時はこう言う。『今日も怪我なく帰ろう』って意味だ」
管理人が小さく頷いて、繰り返した。
「ご安全に」
「よし。——行ってこい」
管理人が首巻きを巻いて、点検に出ていった。真っ直ぐな背中だ。
十日目。ローデンの西門が見えた。
門番が俺たちに気づいて叫んだ。
「棟方の親方が帰ってきたぞーーーっ!!」
声が街中に響いた。下町から人が出てきた。マルタさんがエプロンのまま走ってきた。
「ムナカタさん!! おかえり!! 街道ができたって聞いたよ!! 帝国まで三日で行けるって本当かい!?」
「本当だ。道は全部繋がった」
「すごいじゃないか!! うちの息子が帝国に嫁いだ娘に会いに行くのに今まで一週間かかってたんだ!! 三日で行けるなら、孫にも会えるよ!!」
道一本で、家族が近くなる。こういう話が一番嬉しい。
振り返ると、三百キロの街道が真っ直ぐ西に伸びてる。泥沼。丘の切り通し。十二の橋。古代のトンネル。大河の五連アーチ。六つの宿場。全部、俺たちの手で敷いた道だ。
問題箇所は全行程で三十七件。全部手帳にメモして、各区間の管理人に補修指示を出した。
「完成した瞬間から劣化が始まる。建てた日が一番新しい日だ。——道も、建物も」
ユーリが横でメモした。こいつのメモ帳は三冊目に入ってた。
西門をくぐった。南区画の空き地が見えた。
——次はここだ。建築学院。
職人を育てる場所を、ここに建てる。
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