親方、ワイバーンをやり過ごす
そいつは、何の前触れもなく来やがった。
南区画で道路の基礎を敷いていた昼過ぎのこと。突然、空がびりびりと震えた。
音じゃねえ。まるで空気が揺れるみてぇな……腹の底に響く振動。鳥が一斉に飛び立つ。
「な、何だ!?」
作業員たちが空を見上げた。
北の方角。グラオス山脈の方から、でけえ影が飛んできた。
翼を広げたトカゲ。いや——竜だ。
ドラゴンの亜種、ワイバーン。全長は十メートルくらいか。大型ドラゴンに比べりゃ子供みてえなもんらしいが、空を飛ぶ爬虫類が十メートルって時点で十分おかしい。
カーラが剣に手をかけた。
「ワイバーンだ! 一体! 方角は北北西、高度——低い! 王都の上を通るぞ!」
低い。やたらと低い。屋根すれすれって高さじゃねえが、翼の風が地上に届く高度だ。
俺は叫んだ。
「全員、溝に入れ! 排水路の中だ! 今すぐ!」
作業員たちが一瞬固まった。
「動け!!」
怒鳴ったら動いた。二十人が排水路の溝に飛び込む。ガルドがリルの腕を掴んで引っ張り込んだ。ルッカは自分から転がり込んだ。カーラだけが地上に残って空を睨んでいる。
「姐さんも入れ! 剣じゃ届かねえだろ!」
「分かってるわよ!」
カーラが溝に飛び込んだ瞬間——来た。
バンッ!!!!!
――風。
とんでもねえ突風だ。ワイバーンが南区画の上空を通過した。翼が空気を叩く衝撃波が、地面に叩きつけられた。
排水路の溝の中にいても、風圧で身体が押された。地面の砂利が舞い上がる。耳がキーンと鳴る。
……三秒か、四秒か。
風が止んだ。
溝から顔を出した。ワイバーンは南に飛び去っていく。追撃する気はない。通過しただけだ。
だが——。
「……ひでえな」
南区画の外、下町の方角を見た。
土煙が上がっている。あちこちで悲鳴が聞こえる。ワイバーンの通過ルートの直下にあった建物が、何棟か崩れている。壁が倒れ、屋根が吹き飛ばされ、窓枠がひしゃげている。
こっちの世界で聞いた話は本当だった。ドラゴンやワイバーンは、ブレスを吐かなくても、ただ飛ぶだけで街を壊す。翼の衝撃波と風圧だけで、木造の長屋なんざ紙みてえにやられる。
「全員無事か! 怪我はねえか!」
作業員を数えた。二十人全員いる。ガルド、リル、ルッカ、カーラ。全員無傷。排水路の溝に入ったのが正解だった。地面より低い位置にいれば、風圧の直撃を避けられる。
「親方、下町の方がまずいぞ!」
ガルドが立ち上がった。
「ああ、行くぞ。——フェルマンさんが来たら、現場の片付けは後回しだと伝えてくれ」
走った。
* * *
下町は混乱していた。
ワイバーンの通過ルートに沿って、建物が十数棟やられている。完全に倒壊したのが三棟。壁が崩れたのが五棟。屋根が吹っ飛んだのが四棟。怪我人が道端に座り込んでいる。
幸い、死者はいないようだった。ワイバーンが通過しただけで攻撃はしてこなかったし、昼間だったから屋外にいた人間が多かった。
だが家を失った連中の顔は暗い。またか、って顔だ。四年前の大型ドラゴンで壊されて、やっと直したのに、今度はワイバーンだ。
俺はまず倒壊した建物の下に人がいないか確認し、危険な壁の撤去を指示した。ガルドと作業員の何人かが手伝ってくれた。前にダンジョンの崩落を除去した時と同じ要領だ。キーストーンを見つけて、安全に瓦礫を外す。
応急処置がひと段落した頃、住民の一人が妙なことを言った。
「なあ、親方の建物は無事なのか?」
「ん?」
「あんたの作業場。ワイバーンの通り道からちょっとずれてたとはいえ、風はけっこう来たはずだぞ」
言われて、作業場に走った。
* * *
作業場は無傷だった。
壁にヒビ一つない。屋根も飛んでない。窓枠も歪んでない。隣の空き家は壁が崩れてるのに、作業場だけがぴんぴんしてる。
ほぞ組みの柱と梁が、衝撃を受け流したんだろう。釘で固定した建物は、衝撃が来ると釘が効いてるところに力が集中して、そこから壊れる。だが、ほぞ組みは木同士が噛み合ってるだけだから、力が全体に分散する。しかも揺れた時に微妙に「遊び」がある。ガチガチに固定するんじゃなく、揺れを吸収するんだ。
日本の木造建築が地震に強い理由と同じだ。
作業場の前で突っ立ってたら、近所の住民が何人か集まってきた。
「おい、見ろよ! 親方の小屋、全然壊れてねえ!」
「嘘だろ……隣はあんなにやられてるのに!?」
「ワイバーンの風をまともに喰らって、ヒビ一つか!?」
ざわざわと声が広がっていく。
次に、別の場所からも報告が来た。
「東街道のアーチ橋、無事だぞ! 欄干の石が一個も落ちてねえ!」
「あの橋、すげえなあ。木橋だったら確実に吹っ飛んでたぞ!!」
それから、南区画。
排水路は完全に無事だった。地面の下に掘ってあるんだから、風圧の影響を受けるわけがない。石組みの内壁もびくともしていない。道路の基礎工事も無傷。
ここまではまあ、当然と言えば当然の結果だ。地面の下のもんは風じゃ壊れない。ほぞ組みの木造は揺れに強い。石のアーチ橋は自重で安定してる。別に特別なことをしたわけじゃない。基本に忠実に作っただけだ。
だが、周りの連中にとっちゃ、そうは映らなかったらしい。
夕方。
壊れた家の応急処置をしている俺のところに、下町の住民が次々に来た。
「親方、どうかうちの家も直してくれ!」
「うちも頼む!」
「親方の作り方で建ててくれよ! ワイバーンが来ても壊れねえやつをさぁ!」
……あいつらの言葉を聞くと、俺は少しだけ背筋が伸びた。
この世界の常識は「ドラゴンが来たら壊れるのは仕方ない」だ。壊れたら直す。それを繰り返す。それがこの街の、この国の当たり前だった。
だが今日、少しだけその常識にヒビが入った。壊れなかった建物があったからだ。
「……一軒ずつは無理だ。だが、やり方は教えられる」
その夜、作業場で飯を食いながら、ルッカがぽつりと言った。
「旦那」
「なんだ」
「わたしが住んでたドワーフの山岳都市は、ドラゴンが来ても壊れなかったって、じいちゃんが言ってました」
「……ほう」
「石の中に柱を通して、山と一体にしてたって。だから、山が揺れても建物は揺れないって」
山と一体にする。岩盤に直接固定する。免震じゃなく、制震に近い考え方だ。ドワーフはドワーフで、独自の耐震技術を持ってたのか。
「ルッカ、それ、もっと詳しく覚えてるか」
「……断片的にですけど」
「教えてくれ。全部」
ルッカが少し驚いた顔をして、それからこくんと頷いた。
リルが精霊と話している。
「精霊たちが言ってます。今日の揺れで、親方さんの建物の中の石や木が、すごくきれいに力を流してたって。他の建物は力がぶつかって壊れたけど、親方さんのは力を受け流してたって」
「精霊にはそういうのが見えるのか」
「はい。力の流れが見えるみたいです」
力の流れが見える。構造解析を肉眼でやるようなもんか。とんでもねえ能力だが、使いこなせれば耐震設計の強力な武器になる。
カーラが茶をすすりながら言った。
「ねえ親方。あんた、この街を全部作り直すつもりでしょ」
「……何でそう思う」
「あんたの顔見れば分かるわよ。いい顔してる」
いい顔してるかどうかは知らんが——まあ、否定はしない。
ワイバーン一匹でこの有様だ。大型ドラゴンが来たら、下町はまるごと吹っ飛ぶ。四年前にそうなって、まだ復興が終わってない。
だったら——次は壊れない街を作るしかねえだろ。
壊してから直すんじゃなく、最初から壊れないように作る。それが俺の仕事だ。
「……腹減ったな」
「え、今食ったばかりだぞ親方」
「考え事すると腹が減るんだよ。ルッカ、握り飯あるか」
「さっき全部ガルドさんが食べました」
「……おい」
ガルドが耳を伏せて目を逸らした。
まあいい。明日も早いんだ。寝るか。




