親方、泥沼を道にする
出発の朝。
街道建設の第一歩だ。王都の西門に棟方組が集まった。テツ、ガルド、ルッカ、リル、エルノ、カーラ。それと石工チームからハインツが志願してきた。「道路工事は初めてだが、やらせてくれ」と。断る理由がねえ。
荷馬車に資材を積み込んでいたら、門の外から走ってくる影が見えた。
痩せた少年。胸に木の板を抱えてる。
「棟方さん!!」
ユーリだ。カイザから一人で来たのか。息が切れてる。三日は走り通してきた顔だ。
「母さんはヴァルターさんのところに預けてきました。足はもう動くって、医者が言ってくれたんで――」
「飯は食ったか」
「え?」
「飯だ。走ってきたなら、腹減ってんだろ」
握り飯を一つ投げた。今朝握ったやつだ。中身は干し肉と漬物。ユーリが受け取って、かじって、目を丸くした。
「……おいしい」
「食ったら荷馬車に乗れ。歩けねえだろその足じゃ」
ユーリの足を見たら靴底が擦り切れてた。三日走ったらそうなるわな。ルッカが替えの靴紐を出してきて「これで縛っとけ」と渡してる。面倒見のいい奴らだ。
「行くぞ」
* * *
王都から西へ五キロ。
止まった。
道が消えてる。正確に言うと、道だったものが泥の海になってる。幅五十メートル、奥行き百メートルくらいの低地に水が溜まって、ぬかるみが道を飲み込んでた。荷馬車が二台、泥に車輪を取られて立ち往生してる。馬が鳴いてる。商人が顔を真っ赤にして怒鳴ってる。
「おいおい、また沈んでやがるのか! 毎年春になるとこうなるんだ!」
「三日前に出発した隊商は迂回して二日遅れたってよ!」
「誰か何とかしろよ! ギルドに依頼出しても誰も受けねえし!」
ハインツが渋い顔で言った。
「棟方、ここは昔からの難所でな。春の雪解け水が溜まる低地で、毎年こうなる。丸太を敷いて応急で通すんだが、翌年にはまた沈む。もう何十年もこの繰り返しだ」
馬車から降りて、泥の端を踏んだ。ずぶっと足首まで沈む。
しゃがんで泥を掬った。指で潰す。粘土質じゃねえ、砂混じりの泥だ。水を含むと流動するが、水を抜けば締まる土質。つまり——水さえ抜きゃ道になる。
リルに訊いた。
「この辺の地下水位はどのくらいだ」
「聞いてみます。——ノーム、お願い!」
リルが目を閉じて、土の精霊と交信した。
「地表から三十センチくらいだそうです! すごく浅い! 周りの丘から水が集まってきてるって!」
三十センチ。地表のすぐ下が水。そりゃ泥になるわけだ。丸太を敷いたって丸太ごと沈む。
「分かった。やることは三つだ」
全員を集めた。泥に沈んでる荷馬車の商人たちも含めて。
「一つ。両脇に排水溝を掘って、溜まってる水を南の川に流す。二つ。水が抜けたら粗朶——木の枝を束にしたやつ——を泥の上に敷き詰めて地盤を安定させる。三つ。その上に砕石と砂利を載せて突き固めて、舗装する。——半日で馬車が通れるようにする」
「「は???」」
商人が二人同時に声を上げた。
「半日!? この泥沼を半日で!?」
「何十年もどうにもならなかった場所だぞ!?」
「水を抜きゃいいだけだ。この土は水さえなけりゃ締まる。誰もやらなかっただけだ」
立ち往生してた商人たちの顔が、困惑から期待に変わった。こういう顔は好きだ。「嘘だろ」って顔をしてる奴が、目の前で形になるのを見て「マジかよ」に変わる瞬間。土方の仕事の醍醐味だ。
* * *
まず排水だ。
泥沼の両脇に溝を掘る。幅三十センチ、深さ五十センチ。泥の中に溝を掘るのはガルドの独壇場だ。あいつのSTR:Sで鋤を振り回せば、泥なんか紙と同じだ。
「ガルド、北側を頼む。南側は俺とハインツでやる。溝の勾配は南に向かって千分の五。エルノ——」
「水準器の準備はできてます。——五十メートルで二十五センチの落差ですね」
「さすがだ。任せる」
ガルドが北側の溝を猛烈な速度で掘り始めた。泥が左右に飛ぶ。五十メートルの溝を、一人で三十分で掘りやがった。
「できたぞ、親方!!」
「速えよ!」
南側はハインツと俺で一時間かかった。まあ普通はそっちが普通だ。
溝が繋がった瞬間、溜まっていた水がごぼごぼと流れ出した。泥の表面がみるみる下がっていく。水の精霊がリルの指示で流れを加速させてる。
「う、うおおお……!! 水が引いてく……!!」
商人たちが目を剥いてる。何十年も溜まってた水が、溝を通って川に流れていく。一時間もしないうちに、泥沼の水位が膝から足首まで下がった。
次。粗朶だ。
裏手の林から枝を大量に刈り取って、束にする。太さは腕くらい。長さは二メートル。この束を泥の上に隙間なく並べていく。枝の束が泥の上に浮力を持って広がるから、体重が分散して沈まなくなる。日本でも軟弱地盤に道を通す時に昔から使われてきた粗朶沈床って技法だ。
「ユーリ、この枝を束にしろ。紐で巻いて、こんくらいの太さにまとめる。——手を動かす練習だ」
「はい!」
ユーリが必死に枝を束ねてる。手が遅い。遅いが、丁寧だ。束の太さが揃ってる。メモ魔の几帳面さが活きてる。
粗朶を敷き詰めたら、その上に砕石を載せる。道の脇から拾ってきた石を砕いて、拳の半分くらいの大きさにする。これをルッカが鍛冶用の金槌でガンガン割っていく。
「ルッカの石割り、速えな……!」
ハインツが感心してる。ルッカは小柄だが、金槌の扱いだけなら棟方組で一番精密だ。狙った場所を狙った力で叩ける。鍛冶師の腕が石割りに化けてる。
砕石の上に砂利を敷いて、突き固める。最後に表面をかまぼこ型——道路の中央を微妙に高くして、雨水が両脇の排水溝に流れるようにする。
「道の真ん中を、こう——ほんの少し盛るんだ。横から見たら分からねえくらい。だがこれで雨が降っても水が道の上に溜まらねえ。脇に流れる」
エルノが水準器を当てて勾配を確認した。
「中央と端の高低差、三センチ。完璧です、棟方殿」
「よし。——通してみろ」
* * *
泥に沈んでた荷馬車を引き上げて、新しい道に載せた。
商人が恐る恐る馬を進める。車輪が砂利を噛んで、ゴロゴロと転がる。沈まねえ。泥に取られねえ。まっすぐ進む。
「……沈まねえ!!」
商人が叫んだ。
「嘘だろ!? さっきまで泥の海だったところを馬車が走ってるぞ!?」
「おいおいおい、マジかよ!! 何だこの道!! 石が敷いてある!!」
「半日だぞ!? 半日で何十年の泥沼が道になったぞ!?」
もう一台の荷馬車も通した。問題なし。三台目——見物してた旅人の馬車も通した。全部通れた。
商人の一人が馬車を止めて、降りてきた。道の表面をしゃがんで触ってる。
「この石、ちゃんと固まってる……! 踏んでもぐずぐずしねえ! こんな道、帝国の軍用道路でも見たことねえぞ!!」
立ち往生してた商人たちが、荷台から酒樽と干し肉を出してきた。
「あんた棟方って言ったな!? 名前は聞いたことがある! 王都の親方だろ!? 礼をさせてくれ!!」
「礼はいらねえ。先を急いでくれ。あんたらが道を使ってくれることが一番の礼だ」
「格好いいこと言いやがって!! いいから酒を受け取れ!!」
受け取った。ガルドが嬉しそうな顔をしてる。今夜の麦酒が増えた。
ユーリが新しい道の上に立って、足で踏みしめてる。
「……さっきまで泥だったのに」
「水を抜いて、荷重を分散させて、締め固めただけだ。難しいことはやってねえ。——だが、これを知ってる奴がいなかった。だから何十年も放置された」
「知ってるだけで、こんなに変わるんですね」
「知ってるだけじゃ変わらねえ。手を動かして初めて変わる。——お前もちゃんと枝を束ねただろ。あの粗朶がなけりゃ砕石が沈んでた。お前の手も、この道の一部だ」
ユーリが自分の手を見てた。泥だらけで、枝で引っ掻いた傷がある。メモを持つ手じゃなく、現場で働いた手。
カーラが道の端を歩いてきた。
「テツ、この道の先に温泉とかないの?」
「ねえよ」
「残念」
勘弁してくれ。
百メートルの舗装道路。小さい仕事だ。だがこの先に三百キロの街道が続く。一歩ずつ、一メートルずつ、帝国まで繋げる。
ガルドが隣に来た。
「親方。こういう仕事、好きだな俺」
「どういう仕事だ」
「困ってる奴の目の前で、ぱっと直す仕事。最初の頃みてえだ。井戸を直した時とか、火事場を仕切った時とか」
「……まあな。でかいもん建てるのも悪くねえが、こういう地味な仕事が一番性に合ってる」
「地味か? 俺には派手に見えたけどな」
「道を敷いただけだぞ」
「その『だけ』が、誰にもできなかったんだろ」
……言い返せねえ。
西に向かって歩き出した。次の泥沼が待ってるかもしれねえ。待っててくれ。全部道にしてやる。
土方の仕事だ。




