親方、学校を建てる
王都ローデンに帰ってきた。
南門をくぐった途端、コーヒーと石畳と排水溝の匂いが鼻に入ってきた。自分が作ったインフラの匂いだ。帝国の泥道を歩いた後だと余計に分かる。
下町を歩いてたら、マルタさんの長屋の前を通りかかった。
「あらムナカタさん! おかえり!」
「ただいま、マルタさん。——壁は」
「真っ直ぐだよ。いつも通り」
三年前に直した壁がまだ真っ直ぐ立ってる。基礎を八十センチ掘って、割栗石を突き固めて、不同沈下の原因を根本から潰した。だから三年経っても傾かねえ。
カイザの家は三十センチしか掘ってなかった。
同じ工法。同じ仕様書。だが基礎を手抜きしたら壊れた。マルタさんの壁と、カイザの瓦礫。違いは——作った奴が「なぜそうするか」を分かってたかどうかだ。
自分の家に着いた。ガルドが東の宿場から戻ってきていて、玄関先でコーヒーを淹れてた。こいつの淹れるコーヒーは俺より丁寧だ。豆を砕く粒度が揃ってる。
「おう、親方! 帰ってたのか!」
尻尾が振れてる。嬉しいのは分かるがでかい図体で尻尾振るな、犬みてえだ。
「カイザの件、精霊の交信で聞いた。——ひでえ話だな」
「ああ。ひでえ話だ。——ガルド、一つ相談がある」
「何だ。深刻な顔してんな」
「学校を建てる」
「……は?」
「建築を教える学校だ」
ガルドの耳がぴんと立った。
* * *
翌日。王宮の小広間に呼ばれた。
アレクシス王子、ヴェルトール伯、フェルマン。いつもの面子だ。テーブルの上に帝国から持ち帰った報告書を広げて、カイザの崩壊事故の経緯を話した。
「仕様書は正しかった。工法も間違っちゃいねえ。だが建てた職人が、なぜそう建てるのかを理解しないまま手順だけ追った結果、基礎を間違えた。——仕様書を配るだけじゃ、同じことがまた起きる」
アレクシス王子が腕を組んだ。
「つまり、仕様書だけでは技術は伝わらない、ということか」
「手順は伝わる。考え方は伝わらねえ。考え方ってのは、現場で手を動かして、失敗して、直して、初めて身体に入るもんだ。文字だけじゃ無理がある」
「で、どうする」
「建築を教える場所を作る。世界中から職人の卵を集めて、一緒に建てながら技術を叩き込む場所だ」
ヴェルトール伯が身を乗り出した。
「教育施設ということか。棟方殿が教壇に立つと」
「教壇なんか立たねえ。現場に立つ。教室で講義するんじゃなく、実際に建物を建てる。その建設工程が丸ごと授業になる」
フェルマンが指で顎を叩いてる。商人の顔だ。
「各国から学生を受け入れるなら、宿舎も食事も要りますな。受け入れ人数は」
「最初は二十人。多すぎると目が届かねえ」
「二十人。入学の条件は」
「一つだけ。手を動かす気がある奴」
アレクシス王子が笑った。
「棟方殿らしい条件だな。——場所は」
「南区画の空き地がいい。地盤が安定してて、排水路にも近い。水道からの配管も引ける」
「分かった。私が手配しよう。費用は王家から出す。——棟方殿の技術が正しく広まることは、国防と同義だ」
話が早え。この王子、いつもそうだが判断が速い。
* * *
小広間を出て、南区画の空き地に行った。
ここはもともと俺が最初にヴェルトール伯から借りた作業場のすぐ近くだ。市場や浴場の建設で使い慣れた場所。地盤の状態も把握してる。
地面に棒で図を描き始めた。ガルド、エルノ、ルッカ、リル、カーラが集まってきた。全員帰ってきてたらしい。俺の周りに半円を作って、地面を覗き込んでる。
「校舎はこの形だ。長方形。幅二十メートル、奥行き四十メートル。一階建てで、天井を高くする。——で、ここが肝だ」
棒で壁を四面に分けた。
「東の壁はコンクリートブロック。西の壁はレンガ積み。南の壁は版築——土を突き固めた壁だ。北の壁は木造。四面全部、違う工法で建てる」
「全部違うんですか!?」
リルが目を丸くしてる。
「ああ。基礎も三種類入れる。東は割栗石の突き固め。西は杭基礎。南は石灰パイル。北は通常の石積み。屋根も三種類——トラス、アーチ、木造小屋組み。全部一つの建物に入れる」
「強度は大丈夫なんですか? 違う工法を繋ぎ合わせて……」
「繋ぎ目が一番弱い。だからこそ、繋ぎ目の処理を学べる。違う壁と違う壁をどう接合するか——これが実は現場で一番難しいところだ。教科書じゃ教えられねえ」
棒で建物の中央に丸を描いた。
「ここが大講堂。天井はドームにする。半球の石積み天井だ。——俺もまだ実物大のドームは建てたことがねえ。学生と一緒に初めて挑戦する」
「棟方殿もやったことがないんですか!?」
「ああ、だから面白えんだ。教える側も初めてのことをやる。そうじゃなきゃ、手順を覚えさせるだけの退屈な場所になっちまう」
エルノの鼻息が荒くなった。新しい構造に挑戦できることへの興奮だろう。
「カリキュラムを組みます。実技と座学の比率はどうしますか」
「九対一。座学は朝の一時間だけでいい。残りは全部現場だ」
「九対一……! ずいぶん思い切った比率ですね」
「現場の建築は手で覚えるもんだ。机に座って覚えることは一割もねえ」
ガルドが腕を組んで聞いてた。尻尾が揺れてる。言いたいことがある顔だ。
「親方。——俺も教えていいか」
「教えるんじゃねえ。一緒に建てるんだ」
「一緒に建てる。——おう、それなら得意だ」
耳が立ってる。嬉しいんだな。こいつは相変わらず分かりやすい。
ルッカが図面を覗き込んだ。
「親方。鍛冶の実習棟も要りませんか。工具は現場の命ですから——学生に工具の手入れを教える場所が要ります」
「いるな。校舎の横に鍛冶場を併設する。ルッカ、設計はお前に任せる」
「はい!」
ルッカの目が光ってる。自分の鍛冶場を設計できるってのは、こいつにとっちゃ夢みてえな話だろう。
カーラが手を挙げた。
「はい、質問」
「何だ」
「風呂は」
「……作る」
「何人用」
「二十人の学生が使うんだから、それなりのやつを」
「よし。設計に口出ししていい?」
「脱衣所を広くしろとか腰掛けを付けろとか言うんだろ。分かってる」
「分かってるなら話が早いわ」
勘弁してくれ。
だが——風呂は要る。カイザで五右衛門風呂を作った時、被災者の顔が変わったのを見た。汗を流して、体を温めて、頭をほぐす。それができる場所があるかないかで、人間の動きは変わる。学院にも、絶対に要る。
* * *
夕方。自分の家でコーヒーを飲みながら、図面を整理してた。
エルノが早速、校舎の構造計算の叩き台を持ってきた。四面全部違う工法で建てた場合の荷重計算。こいつは仕事が速え。
「棟方殿。一つ確認ですが、校舎は学生が建てるんですね」
「ああ、自分が学ぶ場所を自分で建てる。それが最初の授業だ」
「となると、工期は長めに見た方がいいですね。素人が混ざりますから」
「素人だから長くかかる。長くかかるから覚える。工期の短さより、手順を全員が踏むことの方が大事だ。——急がねえ」
エルノが頷いて、ノートに「工期:未定。品質優先」と書いた。
ガルドがコーヒーのお代わりを持ってきた。
「親方。学校の話、各国にも声をかけるのか」
「帝国にも、エルフの森にも、ドワーフにも、アルヴェインにも。全部に声をかける。——出し惜しみはしねえ」
「——ただよ、各国から学生が来るなら、まともな道がいるんじゃねえか。帝国から王都まで、今の道だと馬で五日かかる。雨が降りゃ一週間だ」
ガルドが珍しくまともなことを言いやがった。
「……道か」
「道だ。学校に通えねえんじゃ話にならねえだろ」
道。街道の整備。学院の前に、まず人と物が動ける道を作る。言われてみりゃ当然だ。建物を建てる前に、足元を固める。基礎と同じだ。
「よし。学院の前に、まず道を敷く。帝国までの街道を一本通す」
「おう。——俺も行くぞ」
「当たり前だ。お前の馬鹿力がなきゃ丘も切れねえ」
「馬鹿力って言うな。怪力って言え」
「同じだろ」
「全然違う!」
カーラが横から「同じよ」と言ってガルドの耳がぺたんと垂れた。
コーヒーがうまい。やることが山ほどある。街道、学院、仕様書の改訂。全部やる。
ガルドが訊いてきた。
「なあ親方。カイザにいた時、弟子っぽいのができたって聞いたんだが」
「誰から聞いた」
「カーラ。精霊の交信でリルに話して、リルがエルノに話して、エルノが俺に——」
「伝言ゲームかよ。——弟子じゃねえ。壁の叩き方に興味を持ったガキがいただけだ」
「親方さん、そのガキに学院に来いって言ってませんでしたっけ?」
リルが横から余計なことを言いやがる。
「言ったのは『ついてくるなら来い』だ。来るかどうかはあいつ次第だ」
「来るよ絶対」とカーラ。「あんたに声かけられて来ない奴、見たことないもの」
「……うるせえ」
まあ、来るならそれでいい。来ないならそれもいい。手を動かす気がある奴だけ来りゃいい。
各国への募集の知らせは、リルの精霊の交信で送る。帝国のヴァルターとイレーネ、エルフの森のフィーア、ドワーフのドルク、アルヴェインのナディア。全員に「職人の卵がいたら送ってくれ」と。
ナディアからはたぶん、すぐ返事が来る。あいつは待てない性格だ。
だがまずは——道からだ。




