親方、百二十軒の壁を叩く
カイザの町に、五右衛門風呂ができた。
仮設五号棟の横に、ありあわせのレンガと鉄板で組んだ簡易版。一人用。湯はリルの水の精霊が地下から引いて、火の精霊が沸かす。排水は溝を掘って集会所の裏手に流した。
カーラが朝一番に入って出てきた。
「……生き返ったわ」
毎回同じこと言ってんなこいつ。まあ、気持ちは分かる。俺も浸かった。くぅーーっ、と声が出た。冬の帝国で入る五右衛門風呂は格別だ。身体の芯まで温まる。
さて、仕事だ。
* * *
カイザの町と周辺の集落で、「テツ式」の建物がどれだけあるか、ヴァルターに訊いた。
「この辺りだと百二十軒ほどだ。カイザに四十軒。周辺の村に八十軒。全部、あの研修の後に建てられたもんだ」
「百二十軒。——全部叩く」
「全部か」
「全部だ。壊れてからじゃ遅い。壊れる前に見つけなきゃいけねえ」
ヴァルターが頷いた。こういう時の爺さんは余計なことを言わねえ。
ユーリが横にいた。昨日渡した条件は「手を動かせ」だが、今日の仕事は点検だ。手より耳が要る。
「ユーリ、ついてこい。壁の叩き方を見せる」
「はい」
木の板とメモ用の炭を握りしめてる。まあ、書くなとは言ってねえ。
* * *
一軒目。カイザの南通りに建つブロック造りの二階建て。
壁の前に立って、拳の裏——指の第二関節のあたり——で壁を叩いた。
コン。
硬くて重い音。指に返ってくる振動がしっかりしてる。
「この音が健全な壁だ。中が詰まってる。ブロックと目地がちゃんと噛み合ってて、空洞がない」
二歩横にずれて、もう一回叩いた。
コン。
同じ音。いい。
壁の端から端まで、一メートルおきに叩いていく。全部同じ音。基礎も目視で確認。地面から壁が真っ直ぐ立ち上がってる。傾きもない。
「合格だ。次」
メモを取ってるユーリに言った。「一軒目、問題なし」って書いてる。几帳面なやつだ。
二軒目。三軒目。四軒目。全部問題なし。壁を叩いて、音を聴いて、基礎を見て、傾きを見る。一軒あたり十分もかからない。
五軒目で、音が変わった。
コン。コン。コーーン。
三発目が、ほんの少しだけ軽い。
「止まれ」
ユーリが板から顔を上げた。
「今の音、違いが分かったか」
「……すみません。分かりませんでした」
「いい。もう一回叩く。よく聴け」
同じ場所を叩いた。コーーン。わずかに響きが長い。硬い壁なら音がすぐ止まるが、中に空洞があると響く。太鼓と同じ原理だ。
「ここの目地に小さい空洞がある。水が入ったらまずい。——だが致命的じゃねえ。外からモルタルを塗り直せば済む」
壁の該当箇所にチョークで印をつけた。住民に補修を指示するためだ。
「五軒目、目地に空洞一箇所。補修で対応。倒壊の危険なし」
ユーリがメモした。今度は音の違いのところに線を引いてる。聴き取れなかったのが悔しいらしく、俺が叩くたびに耳を澄ませてる。
* * *
初日、カイザの四十軒を回った。
問題があったのは六軒。内訳は、目地の空洞が三軒、基礎の浅さが二軒、壁の傾きが一軒。崩壊の危険があるのは基礎の浅い二軒だ。こいつらは応急で控え壁を立てて、春になったら基礎をやり直す必要がある。
二日目。周辺の村を歩いた。ユーリが黙ってついてくる。村の住民は最初警戒してたが、壁を叩いて「ここは大丈夫だ」って言ってやると安心する。逆に「ここは補修が要る」って言うと不安がるが、具体的にどこをどう直せばいいか教えてやると、顔が変わる。
——不安ってのは、原因が分からないから膨らむんだ。原因が分かれば、対処できる。対処できれば、怖くねえ。建物も人間も同じだ。
ある家で、厄介なやつに当たった。二階建てのブロック造り。叩いた音はそこそこだが、壁の傾きが気になる。水糸を垂らして確かめると、二階の壁が外側に四センチずれてた。
「この家、壁が外に膨らんでるぞ。基礎はどうだ——」
家の裏手に回って基礎を見た。案の定、南側だけ浅い。凍上で基礎が片方だけ上がって、二階の壁が外に押し出されてる。今すぐ崩れるような状態じゃねえが、もう何回か冬を越したら危ねえ。
「おっちゃん、この家は春になったら基礎をやり直した方がいい。それまで、外側にこうやって——」
丸太を壁に斜めに立てかけて、控えの支えを二本入れた。応急の控え壁だ。北の砦で魔物の襲撃前にやった工法と同じ原理だが、今回は敵が魔物じゃなく冬の寒さだ。
「これで当面は倒れねえ。ただし春になったら必ず基礎を直せ。——ヴァルターの弟子が来るから、そいつに頼め」
住民がほっとした顔をしてる。丸太二本でここまで安心するもんかと思うが、プロが「大丈夫だ」って言うのと言わないのとじゃ全然違うんだろう。
「ユーリ、この家の住所と症状をメモしとけ。春の補修リストに入れる」
「はい。——南側基礎の凍上、壁の外膨れ四センチ、応急控え壁二本設置。合ってますか」
「合ってる」
こいつのメモは正確だ。聞いたことをそのまま書けるのは才能だろう。だが、メモが正確なことと、壁を叩いて自分で判断できることは別の話だ。
二日目の終わり。六十軒を回った。追加で問題があったのは五軒。
三日目。残りの六十軒。もう足が棒だが止まらねえ。ヴァルターの弟子を二人連れて、三手に分かれた。弟子たちには叩き方と判断基準を昨夜教えた。「怪しかったら印をつけて、俺に報告しろ。判断に迷ったら無理するな」と。
ユーリは俺についてきた。三日目にして、こいつの耳が少し育ってきた。
ある家の壁を叩いた時だった。
「親方さん。——今の、ちょっと軽くなかったですか」
俺は叩いてねえ。ユーリが自分で壁を叩いて、自分で異変に気づいた。
同じ場所を俺も叩いた。コーーン。……確かに軽い。目地じゃねえ、ブロック自体にヒビが入ってる。
「正解だ。よく聴き取った」
ユーリの顔がぱっと明るくなった。が、すぐにメモに戻った。真面目な奴だ。
* * *
三日目の夕方、点検が終わった。
結果。百二十軒中、問題があったのは十四軒。致命的なのは基礎が浅い五軒。残りの九軒は目地やブロックの補修で対応できる。
ヴァルターに報告した。
「五軒は基礎のやり直しが要る。凍結深度まで掘り下げて、割栗石を突き固め直す。春になったら、あんたの弟子にやらせてくれ。手順は——」
「仕様書に書いてある。——いや、それだけじゃ足りねえんだったな」
ヴァルターが俺の目を見た。
「儂の弟子に、直接教えてやってくれんか。手順だけじゃなく——なぜそうするかを」
「ああ、教える」
教えりゃいいってもんでもねえのは分かってる。百二十軒叩いて回って、よく分かった。俺が全部叩いて回れば問題は見つかる。だが俺は一人しかいねえ。帝国全土に「テツ式」の建物が何軒あるか知らねえが、百二十じゃ済まねえだろう。千か、二千か。全部は叩けねえ。
「叩ける人間を増やすしかねえんだよな……」
独り言だったが、ユーリが聞いてた。
「僕、叩けるようになりますか」
「三日で一箇所見つけた。筋はある。——だが一箇所見つけたくらいで自信を持つな。百軒叩いて、百軒分の音を覚えてからだ」
「はい」
こいつは素直に「はい」って言う。ガルドもそうだった。素直な奴は伸びる。
カーラが五右衛門風呂の方から声をかけてきた。
「テツーー、風呂空いたわよーー」
「ああ、今行く」
三日間で六十キロは歩いた。足が痛え。風呂がありがたい。
湯に浸かりながら考えた。壁を叩いて回ることは大事だ。だが、それは壊れる前に見つけるって話で、根本の解決じゃねえ。最初から正しく建てられるようにしなきゃ、いつまでも俺が叩いて回ることになる。
仕様書を改訂する。手順だけじゃなく理由を書く。それは帰ったらエルノにやらせる。
だが、書いたもんを読んで理解できる奴ばかりじゃねえ。現場で一緒に建てて、「なぜこうするか」を身体で覚えさせなきゃ——
「……学校が要るんだよな」
湯船の中で呟いた。誰にも聞こえてねえはずだったが、仕切りの向こうからカーラの声が返ってきた。
「学校? テツが先生やるの?」
「先生じゃねえ。親方だ」
「同じじゃない」
「全然違う。先生は教室にいる。親方は現場にいる」
「ふーん。——まあ、あんたが何やるにしても、風呂は作ってね」
「……ああ、作るよ」
勘弁してくれ。
だが、風呂で人の身体と頭がほぐれるのは事実だ。教える場所を作るなら、風呂は必要だろう。被災者の女が温かい床に触れた時の顔、カイザの住民が仮設を見て変わった顔。建物ってのは、住む人間の顔を変える力がある。
その力を、正しく使える人間を育てなきゃいけねえ。
レグニカに帰ったら、アレクシス王子に話を持っていく。建築を教える場所——学院。
湯から上がった。コーヒーを淹れた。うまい。ちゃんとうまい。
明日はヴァルターの弟子に基礎のやり直し方を教えて、帰路につく。
やることが見えてきた。




