親方、湧き水で鍛造炉を動かす
換気シャフトが三本通って、大広間の空気が一変した。
吸い込む空気が軽い。頭が冴える。体が楽に動く。ガルドなんか「息がうまい!」って叫んでた。息がうまいってなんだ。
次の問題は、水だ。
「ドルク。三十年間、水はどうしてた」
「奥の坑道に湧き水がある。そこから汲んできていた。往復で一時間かかる」
「毎日一時間かけて水汲みしてたのか」
「水がなけりゃ死ぬからな」
三十年間、毎日一時間の水汲み。この男の根性は底なしだ。だが、これから人が増えるなら一々汲みに行くわけにはいかねえ。
「見せてくれ。湧き水の場所」
大広間の奥から枝分かれした坑道を進んだ。五百メートルほど歩くと、岩壁の隙間からチョロチョロと水が湧いてる。冷たくて透明な水。味も悪くねえ。
「いい水だな。量はどのくらい出てる」
「季節で変わるが、今は一分にバケツ一杯くらいだ」
「一分にバケツ一杯……毎分十リットルってところか。一日で一万四千リットル。五十人が暮らすには十分だ」
「五十人……。そんなに来るのか」
「来るかどうかは分からん。だが来た時に水がなきゃ困る。——この水を大広間まで引く。地下水道だ」
「五百メートルの水路を地下に……」
「導水トンネルに比べりゃ楽だ。あっちは岩盤を百五十メートル貫いた。こっちは既にある坑道に沿って水路を通すだけだ。掘る必要はほとんどねえ」
* * *
水路の設計。
問題は——この坑道、真っ直ぐじゃねえ。
古代ドワーフが鉱脈を追って掘った坑道だから、あっちに曲がりこっちに曲がり、上がったり下がったりしてる。この不規則な空間に水路を通す。
「エルノ。水盛りを持ってこい。全区間の高低差を測る」
「はい!」
エルノが水盛り(筒草に水を入れた水準器)を持って坑道に入った。五百メートルの全区間を、十メートルごとに測定していく。
一時間後。
「棟方殿。測定完了です。湧き水地点と大広間の高低差は——三メートル二十です。湧き水の方が高い」
「高低差三メートル二十で距離五百メートル。勾配は千分の六・四。——水は自然に流れるな」
「はい。ただし途中に二箇所、局所的に上り勾配の区間があります。ここをそのまま通すと水が溜まって流れません」
「その二箇所はどうする」
「坑道の床を削って勾配を修正します。一箇所目は三十センチ、二箇所目は十五センチ削れば、全区間で下り勾配を維持できます」
「よし。床を削るだけなら半日で終わる。——ガルド、ツルハシ持って来い」
「おう! どこ削ればいい!」
「エルノが印を付けた場所だけ削れ。印以外は触るなよ。勾配が狂う」
「分かった! 印のとこだけな!」
ガルドがツルハシで床を削った。狙った場所だけ正確に——と言いたいところだが、こいつは力の加減がちょっと雑だ。
「おい、削りすぎだ。十五センチでいいのに二十センチ掘ってるぞ」
「え!? すまん!」
「……まあいい。深い分には水が流れるから問題ねえ。浅かったらアウトだが」
「セーフか! よかった!」
セーフだけど反省しろ。
水路は坑道の壁際に溝を掘って作った。幅二十センチ、深さ十五センチの溝。底と側面にコンクリートを塗って防水する。水が岩の隙間に染みて逃げないようにする処理だ。
ルッカが水路の接合部に銅板を敷いた。コンクリートだけだと微細な亀裂から水が漏れることがある。銅板を噛ませれば確実に止まる。
「親方。水路の分岐点に蛇口を付けますか?」
「付ける。大広間の入り口に一箇所、鍛造炉の横に一箇所、それと——生活用の水場に一箇所。計三箇所」
「三個鍛造します」
ルッカの蛇口は帝国で作ったものよりさらに精度が上がってる。ドルクの炉で鍛造したから、鉄の質が違うんだろう。レバーの動きが滑らかだ。
水路が完成した。
湧き水の出口に集水枡を設置して、水を水路に導く。水が流れ始めた。五百メートルの坑道を、チョロチョロと水が下っていく。
十五分後。
大広間の蛇口にルッカが手をかけた。レバーを回す。
——ジャッ。
水が出た。冷たい、透明な湧き水。
「出た!!」
ルッカが声を上げた。珍しく大きな声だ。
「水だ! 蛇口から水が出てる!!」
「当たり前だ。勾配が合ってれば水は流れる」
「当たり前じゃないですよ! 地下五十メートルで蛇口をひねったら水が出るなんて!」
ガルドが蛇口の下に顔を突っ込んだ。水を浴びてる。
「うめえ!! 冷てえ……うめえ!!」
「飲料水だ。顔を洗うな」
「すまん! でもうめえんだ!」
ドルクが蛇口の前に立った。レバーに手をかけた。ゆっくり回した。
水が出た。
「……」
毎日一時間かけて汲みに行ってた水が、手元で出る。
「……これは」
「水道だ。あんたがもう水汲みに行かなくていいようにした」
「……ああ」
ドルクがコップに水を汲んだ。飲んだ。同じ湧き水だ。味は同じはずだ。
だがドルクは、疲れが少しだけ取れたような顔をしていた。
* * *
水道の次。
「この水、飲み水だけじゃなくて動力にも使える」
「動力?」
「水車だ。水路の途中に水車を設置して、水の流れで歯車を回す。歯車にふいごを繋げば、水の力で鍛造炉に風を送れる」
ドルクの目が変わった。
「ふいごを……水で……!?」
「今は手動でふいご踏んでるだろ。一人で鍛造するとき、ふいごと金槌を同時にはやれねえ。水車がふいごを回してくれれば、あんたは金槌に集中できる」
「金槌に集中……」
「水車なら二十四時間ふいごを踏み続けてくれる。疲れねえし、休まねえし、文句も言わねえ。——水に仕事をさせるんだ」
水路の途中——大広間に入る手前に段差がある。高低差一・五メートル。ここに水車を設置する。
水車の設計はレグニカでやった水力コンクリート練り機の応用だ。木の羽根板を円形に組んで、水の落差で回転させる。回転軸に歯車を付けて、歯車からクランクでふいごに繋ぐ。
ガルドが水車の骨組みを組んだ。力仕事はこいつの独壇場だ。ルッカが歯車とクランクを鍛造した。ドルクがふいごとの接続部を作った。
「歯車の噛み合わせ、ルッカの方が精度が高いな」
「うるさいぞ棟方。——だが事実だ」
ドルクが素直に認めた。この爺さん、ヴァルターと同じで事実には正直だ。
水車を設置した。水路の水を水車に当てる。
木の羽根が回り始めた。ギーコ、ギーコと歯車が噛み合って、クランクが前後に動いて、ふいごが膨らんで縮んで——
ボフッ。ボフッ。ボフッ。
鍛造炉に風が送られてる。炉の火が明るくなった。赤から橙に。温度が上がっていく。
「……」
ドルクが炉の前に立ってる。
水車が回ってる。ふいごが動いてる。炉が熱くなってる。
誰も踏んでないのに。
「……三十年」
ドルクが呟いた。
「三十年、一人で踏んできた。ふいごを踏んで、金槌を握って、また踏んで。一人じゃ同時にできねえから、交互にやるしかなかった。鉄が冷める前に打たなきゃならねえのに、ふいごに戻らなきゃならねえ。——ずっと、もう一人いてくれたらと思ってた」
「もう一人来たぞ。水車っていう、絶対にサボらねえ相棒がな」
ドルクが笑った。二回目の笑顔だ。
「サボらねえ相棒か。——最高の相棒だ」
ドルクが鉄を炉に入れた。水車がふいごを回し続ける。温度が上がる。鉄が赤くなる。
金槌を握った。
カァンッ!!
一撃。澄んだ音が大広間に響いた。ふいごに戻らなくていい。金槌に集中できる。
カァンッ!! カァンッ!! カァンッ!!
連続で打てる。鉄が冷める前に、何発でも打てる。三十年間できなかった、連続鍛造。
「棟方ッ!!」
ドルクが金槌を振りながら叫んだ。目に涙が浮かんでる。
「こいつは——こいつはすげえぞ!! 止まらねえ!! ふいごが止まらねえから俺も止まらなくていい!! 三十年ぶりだ!! こんなに打てるのは三十年ぶりだ!!」
ルッカは泣いてた。
伯父が三十年ぶりに全力で金槌を振ってるのを見て、堪えきれなくなったんだろう。
「泣いてねえだろうな」
「泣いて——いや、泣いてます。親方……わたし、嬉しくて」
「……そうか」
今回は突っ込まねえ。泣いていい場面だ。
カーラは鼻をすすりながら言った。
「ちょっと親方。あたしまでもらい泣きしそうなんだけど」
「泣きたきゃ泣け」
「泣かないわよ。——泣かないけど、目から水が出てるわ」
「それを泣くって言うんだよ」
カァンッ!! カァンッ!!
水車が回る。ふいごが鳴る。金槌が歌う。
地下五十メートルに、鍛冶の音が響いてる。三十年の沈黙を破って、グルンダールが息を吹き返してる。
水を敵にするな。水を味方にしろ。上でも下でも同じだ。




