親方、山に入る
東の山脈。
エルフの森を出て三日。標高が上がるにつれて空気が薄くなってきた。木が減って、岩が増える。灰色の岩肌が剥き出しの峰が連なってる。
ルッカが先頭を歩いてる。
いつもは俺の後ろにいるルッカが、今日は前を歩いてる。足取りが速い。時々立ち止まって岩肌を触る。舐める。また歩き出す。
「ルッカ、道は分かるのか」
「はい。……岩の匂いで分かります。鉄鉱石の含有量が増えてます。グルンダールが近い」
「匂いで分かるのか……」
「ドワーフは岩と鉄の匂いには敏感なんです。祖父が言ってました。『鉄が呼ぶ方に歩け。それが家への道だ』って」
鉄に呼ばれて歩くドワーフ。こいつらの感覚は人間とは別物だな。
カーラが息を切らしてる。
「ねえ親方……標高どのくらい……」
「さあな。千五百メートルくらいか。きついか」
「きつい。平地の冒険者なめないで……」
「冒険者ならダンジョンで地下に潜ることもあるだろ」
「地下に潜るのと山に登るのは全然違うわよ……!」
リルは平気な顔をしてる。精霊が足元を支えてくれてるらしい。ずるい。
エルノは黙々と歩いてる。息は切れてるが、ノートを開いて標高差を記録してる。こいつは本当にブレない。
イレーネも一緒だ。帝国軍工兵隊の体力で山道をがしがし登ってる。帝国の人間はタフだ。
* * *
半日歩いて、山の中腹に出た。
ルッカが立ち止まった。
巨大な岩壁。高さ二十メートルほどの垂直な崖面。灰色の花崗岩。
ルッカが岩壁に手を当てた。両手で。目を閉じた。
指先で岩の表面をなぞっていく。
そして——岩を舐めた。
「……ここです」
「ここ? ただの岩壁にしか見えねえが」
「この岩の向こうに空洞があります。鉄の匂いがします。それと——煤の匂い。誰かが火を使ってます」
「煤の匂いまで分かるのか!?」
カーラが驚いた。
「岩に染みてるんです。何年も何十年も火を焚き続けると、煤が岩の微細な亀裂に入り込んで、表面まで匂いが伝わります。——鍛冶の火です。間違いありません」
この中に誰かいる。火を焚いて、鉄を打ってる奴が。
「入口は……」
ルッカが岩壁を左右に歩いて調べた。岩を叩いてる。コツコツ。コツコツ。——俺と同じことをやってる。壁を叩いて中身を読む。こいつも職人だ。
「ここです。この辺りの岩が薄い。向こう側に通路があるはずです。——ですが」
「崩れてるな」
「はい。入口が崩落で塞がれてます」
俺も岩壁を叩いた。
ゴン。ゴン。ゴン。——厚い岩。
コン。コン。——ここだ。薄い。向こうに空間がある。
だが空間と俺たちの間に、崩落した岩が詰まってる。岩と岩が噛み合って、蓋みたいに塞いでる。
——覚えがある。
この崩落のパターン。岩同士が楔みたいに噛み合って、互いに支え合ってる。王都に来て最初の頃、ダンジョンの入口を開けた時と同じだ。
「こいつは見たことある構造だ」
「見たことある?」
「ああ、岩が噛み合って栓になってるんだ。全部をどかす必要はない。——要石を見つけろ。全体を支えてる一つの石を抜けば、残りは自重で崩れる」
崩落面を調べた。手で触る。叩く。岩と岩の隙間に指を入れて、噛み合い方を読む。
「エルノ。この岩壁の崩落面、全部の石の位置を記録してくれ。番号を振れ」
「はい!」
エルノが崩落面に番号を振っていく。石が三十個以上ある。大きいのから小さいのまで。
俺は一つ一つ叩いて、隣の石との関係を読んだ。
こいつはあっちを押さえてる。あっちはこいつに乗っかってる。こいつが抜けたらあっちが落ちる。あっちが落ちたらそっちが——
「——見つけた」
「どれですか!?」
「十四番。この拳くらいの石だ。こいつが上の三つの石を支えてて、上の三つが全体のアーチを作ってる。十四番を抜けば上三つが崩れて、アーチが解けて、全体が内側に落ちる。——ただし、そのままやると崩れた石が通路を塞ぐ。支保工がいる」
支保工を組んだ。木材で仮の枠を作って、崩落面の上部を支える。崩れた石が内側に落ちても、支保工が天井を押さえてくれる。
「支保工、よし。——行くぞ。十四番を抜く」
ノミを当てた。十四番の石の周囲の目地を削る。石が緩む。
指で掴んだ。——引いた。
スポッ。
十四番の石が抜けた。
ゴゴゴゴゴ……!!
上の三つの石が崩れた。支保工が受け止めた。ミシッと木材が軋んだが、折れない。
残りの石がバラバラと内側に落ちていく。粉塵が舞う。シルフが粉塵を吹き飛ばしてくれた。
五秒後。
粉塵が晴れた。
岩壁に穴が開いてる。人が一人通れる幅。暗い通路が奥に続いてる。
「開いた……!!」
「穴が開いたぞ!!」
「たった一個の石を抜いただけで……!?」
カーラが目を丸くしてる。
「全部の石をどかさなくても、要になってる一個を見つけりゃいい。——昔、同じことをやったことがある。ダンジョンの入口を開けた時にな」
「ダンジョンの入口……? それ、棟方殿が異世界に来て最初の頃の話ですか?」
イレーネが訊いた。
「ああ。あの頃は一人でやった。今は——」
仲間を見た。ルッカ、リル、エルノ、カーラ、イレーネ。
「今は人手が多くて助かるよ。——さて、入るぞ」
* * *
通路に入った。
暗い。リルのサラマンダーが小さな炎を灯してくれた。オレンジ色の光が坑道の壁を照らす。
壁面に彫刻がある。幾何学的な模様。ドワーフの紋章。ルッカが壁を触って、目を細めた。
「……祖父が掘った坑道です。ノミの跡に見覚えがあります」
「ノミの跡で分かるのか」
「ノミの角度と深さが、祖父の癖と同じです。左利きで、叩く角度が少し浅い。——間違いありません」
ノミの跡で誰が掘ったか分かる。職人の目だ。
坑道を進む。百メートルほど。勾配は緩やかに下ってる。地下に潜っていく。
空気が変わった。温かくなってきた。地熱だ。
そして——音が聞こえた。
カンッ。カンッ。カンッ。
金槌の音。等間隔で、正確に、休まず打ってる音。
ルッカが立ち止まった。
「……聞こえます」
「ああ。聞こえる」
「誰かが——鉄を打ってます」
ルッカの手が震えてた。
俺はルッカの肩に手を置いた。
「大丈夫だ。俺がいる」
「……はい。親方がいるなら、大丈夫です」
カーラがルッカの反対側に来た。手を握った。何も言わず。
坑道の奥から、金槌の音が響いてる。
誰かがまだここで鉄を打っている。三十年以上——一人で。
坑道が広がった。天井が高くなる。五メートル、十メートル。
そして——開けた。
巨大な地下空間。
天井の高さ二十メートル以上。幅は五十メートル。奥行きは闇の中に消えて見えない。
大広間だ。
だが——天井の一部が崩落してる。瓦礫が床に散乱してる。柱が折れてる。壁に亀裂が走ってる。
荒廃した地下都市。
その隅で——火が燃えてる。鍛造炉の火。赤い光が岩壁に揺れてる。
火の前に、一人のドワーフが座ってた。
五十代。白髪交じりの髭。太い腕。金槌を握ってる。
鉄を——打ってる。
カンッ。カンッ。カンッ。
俺たちに気づいた。金槌が止まった。
ドワーフが振り向いた。炉の火に照らされた顔。驚きと警戒が浮かんでる。
「……誰だ。人間が——いや」
俺たちの後ろにいるルッカを見た。
目が見開かれた。
「お前は——」
ルッカが一歩前に出た。声が震えてる。
「わたしは——ルッカです。ガルンの娘です」
ドワーフの金槌が床に落ちた。甲高い金属音が大広間に反響した。
「ガルンの——娘だと? ガルンに娘が——お前が——生きて——」
「……はい。生きてます」
ドワーフが立ち上がった。足元がふらついてる。
「儂は——ドルクだ。ガルンの兄だ。お前の——伯父だ」
ルッカの目から涙がこぼれた。
「伯父さん……」
「生きていたのか……。お前が生きていたのか……!」
ドルクがルッカに駆け寄った。ルッカを見て、顔を見て、手を見て、目を見て。
「ガルンの目だ。ガルンと同じ目をしている。——ガルンは。お前の父は」
「父は——もう」
「……そうか」
ドルクが目を閉じた。金槌を握っていた手が震えてる。
「……そうか。ガルンは——」
三十年。この地下都市に一人で残って、鉄を打ち続けてきた男。弟の死を、今知った。
俺は何も言わない。ルッカの家族の時間だ。邪魔をするもんじゃない。
カーラが俺の袖を引いた。小声で。
「親方。あの人、三十年一人でここにいたの?」
「……そうらしいな」
「……すごい人ね」
「ああ。——すごい人だ」
ドルクがルッカの手を取った。
「お前の手を見せろ」
ルッカの手を見た。鍛冶の手だ。火傷の跡、鉄粉の染み、金槌のタコ。
「……鍛冶師の手だ。ガルンと同じ手をしている。——誰に教わった」
「祖父に。それと——親方に」
「親方?」
ルッカが俺を見た。ドルクが俺を見た。
「棟方鉄です。土方です。——ルッカの雇い主で、一応、親方ってことになってます」
「人間の親方か。——ガルンの娘を、預かってくれたのか」
「預かったっていうか、こいつが勝手についてきたんですが。——あんたの姪は、うちの看板職人です。工具でこいつに勝てる人間は、この世界にいません」
ドルクがルッカを見た。
「看板職人、か。——ガルンの血だ」
ルッカが泣きながら笑った。泣いてるのか笑ってるのか分からない顔。
俺は大広間の天井を見上げた。崩落箇所。亀裂。折れた柱。
「ドルク。——この天井、あとどのくらい持つ」
「……数年だろう。崩落が進んでいる」
「直しに来た。——ルッカの一族の都市を、直しに来たんだ」
ドルクが俺を見た。三十年、一人でこの都市を守ってきた男の目。疲弊と、意地と、かすかな——希望の光。
「……本当か」
「本当だ。俺は土方だ。壊れてるもんを直すのが仕事だ。——あんたが三十年守ったこの場所を、俺たちが直す」
ドルクの目から涙がこぼれた。
金槌を握りしめたまま。三十年間手放さなかった金槌を。
さて——でけえ仕事だ。地下の仕事は初めてだが、壊れてるもんを直すのは地上も地下も同じだ。
仕事だ。




