親方、森を出る
世界樹の補強工事、全行程完了。
砂防堰堤五本。導水トンネル百五十メートル。吊り橋二十三本架け替え。貫工法の幹補強、百五十メートル。腐った根の切除七本。空中庭園一基。風呂一つ。
エルフの森に来て四十日。
長い現場だった。だが——やり切った。
朝、世界樹の根元に行った。
手を当てた。
叩いた。
ゴォン……。
——深い音。来た時よりも低くて、重くて、力強い音。
幹が元気になってる。音で分かる。根元の水が引いて、根が呼吸を取り戻して、幹に水を送り始めてる。木が生き返ってる。
「……いい音だ」
最初に叩いた時は良い音だった。だが、今日の音はもっと良い。生き物が元気になっていく音。
リルが隣にいた。
「親方さん。ノームが言ってます。世界樹の根、新しい芽が出てるって。切除した跡から、細い根が伸び始めてるって」
「もう伸び始めてるのか。——早いな。こいつ、千年生きてるだけあるわ。回復力がすげえ」
「ノームが嬉しそうです。この木は大丈夫だって」
「ノームが言うなら大丈夫だろう。精霊の診断は信頼できる」
「親方さんの診断も信頼できますよ」
「……そうか」
世界樹を見上げた。三百メートル。真っ直ぐ立ってる。もう傾いてない。貫工法の骨組みが幹を支えてる。青銅の帯が朝日に光ってる。
悪くねえ仕事だった。
* * *
エルフの国が、正式な感謝の儀を開いてくれた。
世界樹の根元の広場。エルフが三百人ほど集まってる。全住民だ。
シルヴァナが前に立った。昨日の手術で体力を消耗してたはずだが、もう背筋がぴんと伸びてる。数百年生きた長老の回復力も大概だな。
「棟方鉄。——お前に、森の友の称号を贈る」
エルフの若者が、木の葉を編んだ冠を持ってきた。
「この称号をエルフが人間に贈るのは、記録にある限り三百年ぶりだ。——お前は我々の森を救った。世界樹を救った。そして——我々の目を開いた」
「目を開いた?」
「精霊だけでは守れないものがあると。手で作る技術が必要だと。——千年の思い上がりを、お前が正してくれた」
「正したなんて大げさだ。壊れてるもんを直しただけです」
「直す技術を持ち、直す意志を持ち、直すために国境を越えてきた。——それは大げさではない」
冠を受け取った。木の葉で編んだ軽い冠。エルフの手仕事は繊細で、葉脈の一本一本まで綺麗に見える。
「……ありがとうございます」
カーラが後ろで「冠似合わないわね」と小声で言ってた。うるせえ。
* * *
儀式の後。
シルヴァナがエルノの前に立った。
広場の端。全員が見てる。
「エルノ」
「はい。長老」
「お前を追い出した判断は間違いだった。精霊の声が聞こえなくても、お前はこの森の宝だ」
エルフたちがざわめいた。長老が公の場で過ちを認めてる。
「お前の測量、記録、構造計算——どれも精霊にはできない仕事だ。お前がいなければ、導水トンネルも砂防堰堤も、あの精度では作れなかった。——お前は、手で形作る者だ」
石板の言葉。精霊を聴く者と、手で形作る者。
「戻ってこいエルノ、この森に。お前の居場所は、ここにある」
エルフたちが見守ってる。フィーアが拳を握りしめてる。目が潤んでる。
エルノが答えた。
「……光栄です、長老」
間を置いた。
「ですが——私は棟方殿のそばに残ります」
広場が静まった。
「棟方殿がいなくても建てられるように仕様書を作るのが、私の仕事です。その仕事は、まだ終わっていません。帝国の仕様書も、エルフの仕様書も、まだ完成版ではありません。棟方殿が次にどこへ行っても、記録して、標準化して、棟方殿がいなくなった後も技術が残るようにする。——それが、私にしかできない仕事です」
シルヴァナが目を閉じた。
「……そうか」
「はい。——ですが、この森は私の故郷です。いつか必ず戻ります。その時は、棟方殿の全ての技術を仕様書にして、持って帰ります」
「待っている。——待っているぞ、エルノ」
俺はエルノの横に立った。
「エルノ。帰りたかったら帰っていいんだぞ」
「帰りません」
「……そうか」
「棟方殿がいる場所が、私の帰る場所です」
「……勝手にしろ」
フィーアが駆け寄ってきた。
「エルノ! 俺——俺、お前が羨ましい! あの親方のそばで学べるなんて! 俺もついていきたい!」
「フィーア。お前はここに残れ」
俺が言った。
「え……!? な、なんでだ親方!」
「お前にはこの森がある。この森の橋を架け替えて、堰堤を守って、足場を組んで、世界樹の骨組みを維持する。——それはお前にしかできない仕事だ。俺について来たらこの森はどうなる」
「……っ」
「俺が教えた技術で、ここを守れ。それが一番でかい仕事だ」
フィーアの目から涙がこぼれた。
「……分かった。分かったよ親方。——俺、この森を守る。絶対に守る」
「ああ。お前ならできる」
フィーアの頬を涙が流れた。——こいつも泣くんだな。エルフでも泣くのか。当たり前か。
エルフの若者が三人、フィーアの横に並んだ。吊り橋の架け替えを一緒にやった連中だ。
「俺たちも残る!」
「親方に教わった技術で、この森を守る!」
「フィーア一人にはさせない!」
フィーアが三人を見て、また泣いた。こいつ、泣き虫だな。
「……ありがとう。——一緒にやろう」
俺は木の葉の冠を外して、フィーアの頭に載せた。
「これは俺よりお前が持ってた方がいい。森を守る奴が持つべきだ」
「え——いいのか!? 森の友の称号だぞ!?」
「冠がなくても友達は友達だ。——それに、似合わないってカーラに言われたし」
「言ってないわよ! ……ちょっとだけ言ったけど!」
笑い声が広場に広がった。
* * *
出発の前に、もう一つ仕事がある。
フィーアとエルフの若者たちに、吊り橋の設計図を三本分残していく。
「この三つの図面は、スパンが違う。十五メートル用、二十メートル用、三十メートル用。この三パターンがあれば、この森のほとんどの橋を架け替えられる。——主索のロープ径、垂れ量、踏み板の間隔、金具の位置。全部書いてある」
さらに——砂防堰堤の点検マニュアル。導水トンネルの清掃手順。貫工法の楔の増し締め手順。コンクリートの配合表と養生方法。
全部エルノが書いた。エルフ語で。
「十年は持つ。十年経ったら、お前たちが自分で次の設計を考えろ」
「十年……。親方が来なくても、十年は持つのか」
「持つ。だが十年後にはお前たちが次の十年を考えるんだ。俺がいなくても考えられるように、全部書いてある。——エルノが全部書いた」
フィーアがエルノを見た。
「エルノ。……ありがとう。この仕様書があれば、俺たちでもやれる」
「当然です。そのために書きました。——フィーア殿、何かあったら精霊の交信で連絡してください。どこにいても、計算はできますから」
「ああ。頼りにしてる」
* * *
森を出る。
朝の光が木々の間から差し込んでる。エルフたちが道沿いに並んで見送ってくれてる。
子供が手を振ってる。
「おっちゃーん! またねーー!!」
「おばちゃーん!!」
「だからおばちゃん言うな!!」
カーラが叫び返してる。百回目くらいだな。
ルッカが黙って歩いてる。だが——東の方を見てる。
森を出る道は南に向かってるが、ルッカの目は東を向いてる。東の山脈。雲がかかった高い峰の連なり。
「ルッカ」
「……はい」
「何か見えるか」
「……はい。あの山の中に、わたしの一族の都市があります」
「……知ってたのか」
「はい、祖父から聞いていました。東の山脈の地下に、グルンダールという名の都市があると。——ずっと、行きたかったんです」
エルノが故郷を取り戻した。
次は——ルッカだ。
「行くぞ」
「……え!?」
「お前の一族の都市に、行くぞ。ここから東だろ。レグニカに戻るより近い」
「で、でも——棟方殿の予定が——」
「予定なんかねえよ。壊れてる場所があるなら直す。お前の一族の都市が壊れてるなら、直しに行く。——それが俺の仕事だ」
ルッカの目から涙がこぼれた。
「ルッカ、泣いてる?」
カーラが訊いた。
「泣いてません」
「泣いてるわよ」
「泣いてません……!」
「嘘つけ」
俺が言った。——ガルドがいないから俺がツッコむ。
馬車が東に向かって進み始めた。
エルノが仕様書の新しいページを開いた。まだ白紙のページ。次の現場のために。
カーラが隣で伸びをした。
「次はドワーフの地下都市ね。——風呂、あるかしら」
「なかったら作る」
「知ってた」
東の山脈が朝日に照らされて光ってる。あの山の中に、ルッカの故郷がある。
さて——次の現場だ。
いつもご愛読いただきありがとうございます!
よかったら、ブクマと評価だけでも是非お願いします!




