親方、弟子を拾う
ドワーフの少女は、一晩中あそこにいたらしい。
朝、作業場の門を開けたら、昨夜と同じ場所にうずくまっていた。夜露に濡れて、小さな身体がぶるぶる震えている。
「……おい、飯は食ったのか」
少女が首を横に振った。
「ガルド、ありあわせでいいから何か持ってこい」
「おう」
ガルドが干し肉とパンと水を持ってきた。少女はそれを受け取って、小動物みてえな勢いでかじりついた。よっぽど腹が減ってたんだろう。
食い終わるのを待って、話を聞いた。
名前はルッカ。ドワーフ族。十二、三くらいだろうか、見た目では分かりにくい。ドワーフは人間より成長が遅いと聞いたことがある。
元々は鍛冶師の家系だった。ドワーフの山岳都市に住んでいたが、数十年前の大戦で一族が散り散りになり、ルッカは幼い頃に奴隷商に売られた。以来、あちこちの家を転々としていたらしい。
首筋の焼印は、奴隷の証。
「逃げてきたのか」
「……はい」
「逃亡奴隷は見つかったら、罰を受けるんじゃねえのか」
「はい。でも——」
ルッカが顔を上げた。大きな目に、涙の跡が残っている。
「あの橋を見たら、じっとしていられなくなったんです。石が全部、押し合って支え合って、一つも無駄がなくて……わたし、ああいうものを作る人の近くにいたいと思いました」
アーチ橋か。
あの橋を見て逃げてきた。橋を見て人生を変えたドワーフの少女。大げさな話だが、目は本気だった。
……さて、どうするか。
「ガルド、リル。こいつを見てろ。俺はちょっと出てくる」
「どこに行くんだ、親方」
「伯のところだ」
* * *
ヴェルトール伯の屋敷。二度目の訪問。
「奴隷の身柄を引き取りたい、と」
「はい」
「棟方殿。あなたは変わった人だな。砦を直したと思ったら、今度は奴隷か」
「別に慈善事業じゃありません。あのチビはドワーフで、鍛冶師の血筋です。うちに工具の面倒を見られる人間がいない。使えそうなら使いたい」
実際、工具の品質には限界を感じていた。ノミの刃はなまくらだし、金槌の柄はすぐ緩む。まともな鍛冶師がいれば、作業効率が段違いに上がる。
伯は少し考えてから言った。
「奴隷の身柄引き取りには、所有者への補償金が必要だ。逃亡奴隷となると、面倒ごとも増える」
「承知してます」
「……北の砦の件、守備隊長から報告が来ている。『壁が持ったおかげで死者がゼロだった』と。棟方殿の貸しは大きい」
伯が書類を取り出した。
「補償金は私が立て替えよう。手続きも私の名前で処理する。その代わり、次の依頼を優先してもらえると助かる」
「もちろん。ありがとうございます」
政治的な話は苦手だが、こういう実利ベースの交渉なら分かりやすい。伯は商人気質だ。貸し借りの計算ができる。
これでルッカの身柄は正式に俺の下に移る。奴隷ではなく、弟子として。
* * *
作業場に戻ると、面倒なことが起きていた。
「親方、なんか役人みたいなのが来てるんだけど」
ガルドが困った顔で報告してきた。
作業場の前に、痩せた中年の男が立っていた。手に羊皮紙の束を持っている。その後ろに——グリュンドがいた。
腕を組んで、こっちを睨んでいる。
「棟方鉄殿ですか。領主府の建築検査官、タルボットと申します」
「何の用ですか」
「こちらの建物について、職人ギルドから正式な訴えが出ております。『当該建築物は王国の建築慣習に反した危険な工法で建てられており、安全性に問題がある』と」
グリュンドが口を開いた。
「この建物は、まともな石工なら使わない手法で建てられている。釘も使わず柱を組んでいるなど、崩壊の危険がある。周辺住民の安全のため、検査を求める」
なるほど。そう来たか。
伯の屋敷の雨漏りを俺に直されて面目を潰された恨み。それからアーチ橋で名を上げた俺を潰したい。手段は「建築基準違反」の訴え。職人ギルドの有力者って立場を使ってきたわけだ。
正直、面倒くせえ。だが——
「いいですよ。好きなだけ検査してくれ」
グリュンドの目が一瞬揺れた。抵抗すると思ってたんだろう。
「この建物は俺が一から建てた。どこを見られても困ることは何もねえ」
検査官のタルボットが作業小屋に入った。グリュンドも続く。俺も一緒に入った。
タルボットが柱を叩いた。壁を触った。床板を踏んだ。基礎を覗き込んだ。天井の梁を見上げた。
「この柱の接合部は……?」
「ほぞ組みです。木材の端を凸型に削って、相手側の凹に噛ませてる。釘なしで接合できる工法です」
「引っ張れば抜けるのでは?」
「やってみてください」
タルボットが柱と梁の接合部に手をかけて引いた。びくともしない。
「……抜けない」
「木が乾燥すると縮むんです。縮むとほぞが締まる。年が経つほどきつくなる。建てたばかりの今より、十年後の方が頑丈になります」
タルボットの目つきが変わった。職人ギルドに言われて来ただけの役人だったのが、今は完全に技術者の目だ。
「ふむ……では、この基礎は?」
「割栗石を突き固めて、石灰モルタルで固定してます」
「壁の構造は?」
「柱と梁で荷重を受ける軸組工法です。壁は荷重を受けない。だから壁が壊れても建物は倒れない」
タルボットが壁を押した。壁は動かない。だが柱はもっと動かない。壁と柱が独立してる構造を、手で触って理解したらしい。
「……素晴らしい」
小さな声で言った。
グリュンドの顔が強張った。
タルボットが振り向いて、グリュンドに言った。
「グリュンド殿。この建物に安全上の問題はありません。むしろ——」
羊皮紙に何か書き込みながら続けた。
「この工法は、私がこれまで見たどの建物よりも合理的です。柱と壁を分離する設計、噛み合わせによる接合、基礎の処理。全てが理に適っている。王国の建築記録として、この工法を正式に記録することを領主府に進言します」
グリュンドの顔が赤くなった。
「……ふざけるな!! こんな前例のない工法を——!!」
「前例がないから危険、とは言えません。検査の結果がすべてです。――棟方殿、ご協力ありがとうございました」
タルボットが一礼して去っていった。
グリュンドが残された。俺と二人。
何か言いたそうにしていたが、結局何も言わずに背を向けた。足音が荒い。
……まあ、これで終わるとは思っちゃいないがな。
* * *
騒ぎが片付いた後、ルッカが作業場の中をきょろきょろ見回していた。
さっきの検査の間、ずっと隅っこで丸くなっていた。初めて来た場所で大人たちが怒鳴り合っていたら、そりゃ怖いだろう。
「チビ、もう大丈夫だ。あれは終わった話だ」
「……はい」
ルッカの視線が、工具棚に止まった。
棚に並んだ工具を、じっと見ている。目の色が変わっていた。さっきまでおどおどしていたのが嘘みてえだ。
すっと手を伸ばして、金槌を一本取った。
手の中で二、三度回して、柄の途中を指で挟んで吊るした。
「……棟方の旦那」
「なんだ」
「この金槌、柄の重心がずれてます。打ち面の芯に対して、こっちに三分くらい寄ってる」
……おい。
「振った時に手首にへんな力がかかるから、長く使ってると腱を痛めます。柄をここで少し削ればまっすぐになりますけど、直していいですか」
三分のずれ。手に持っただけでそこまで分かるのか。
「やってみろ」
ルッカがノミで柄の片側を薄く削った。慎重に、少しずつ。時々吊るして確認して、また削って。
五分後、金槌を差し出してきた。
受け取って、振ってみた。
……おお。
手首に来る感覚が全然違う。真芯で振り抜ける。今までちょっとした違和感があったのが、すっきり消えた。
「大したもんだ。お前、目がいいな」
「鍛冶師の家で育ちましたから。工具は……工具のことだけは、分かります」
ルッカの声はまだ小さい。だが、工具を語る時だけ少しだけ芯が出てくる。
「よし、お前は工具と金属の担当だ。うちの道具の面倒を全部見ろ。刃物の研ぎ、柄の調整、そのうち鍛造もやってもらう。できるか」
「……はい、やります!」
「いい返事だ。——おい、ガルド」
「なんだ、親方」
「後輩ができたぞ。面倒見てやれ」
「え、俺が!?」
「先輩だろうが」
ガルドが困った顔をしている。面倒見る側になるのは初めてか。まあ、やらせりゃ覚えるだろ。
リルがルッカに近づいて「よろしくね」と笑いかけた。ルッカが小さく頭を下げた。土精霊がルッカの周りをふわふわ飛んで、何やら品定めしている。精霊のお眼鏡にかなったのかどうかは知らん。
「ところで親方、晩飯は何だ」
カーラだった。いつの間にかいる。風呂上がりらしく、髪が濡れている。
「……姐さん、お前いつから住み着いてんだ」
「住み着いてないわよ。通ってるだけ。で、飯は?」
「勝手に食え」
「ありがとうよ」
ガルドが飯を作り始めた。リルが手伝う。ルッカはまだ棚の前に座って、工具を一本ずつ手に取っては重心を確かめている。カーラは適当な木箱に腰かけて、干し肉をかじっている。
五人——いや、精霊も入れたら八人か。作業場がにぎやかになった。
飯ができるのを待ちながら、俺は工具棚に背中を預けた。
棟方組。親方一人、弟子二人、精霊使い一人。それに勝手に常駐してる姐さんが一人。
役割分担もできてきた。俺が設計と指揮。ガルドが力仕事と資材運搬。ルッカが工具と金属加工。リルが精霊との橋渡し。カーラは……まあ、用心棒ってことにしておくか。
……悪くねえな。
* * *
翌朝。
作業場の前に、見覚えのある顔が立っていた。
商人ギルドのフェルマン。アーチ橋の完成時に接触してきた、あの丁寧な男だ。今日は部下を二人連れている。正式な用件らしい。
「棟方殿、改めてお伺いしました。先日お話しした市場建設の件ですが、商人ギルドとして正式に依頼させていただきたく」
「市場か」
「はい。王都の南区画に大規模市場を建設する計画です。商人ギルドの資金で建設し、テナントを募集して運営する。つきましては設計と建設の一切を棟方殿にお任せしたい」
図面を広げてきた。南区画の区割り図だ。広い。今までの仕事とは桁が違う。橋一本、小屋一棟の話じゃない。街の一角を丸ごと作り変える仕事だ。
「予算は」
「金貨五十枚を上限にお考えください」
金貨五十枚。銅貨に換算して五十万枚。天文学的な額だ。
だが、規模を考えれば妥当かもしれない。大規模な市場を一から建てるなら、資材、人件費、設備、排水、道路——全部ひっくるめたらそのくらいかかる。
「……考えさせてくれ。三日くれ」
「もちろんです。お待ちしております」
フェルマンが去った後、作業場の中が静かになった。
全員がこっちを見ている。
「……何だよ」
「親方、すげえ額じゃないか。金貨五十枚って」
「ガルド、額に浮かれるな。でかい仕事はでかい責任だ。まずは現地を見て、何が必要か洗い出す。話はそれからだ」
「はい、親方」
ルッカが小さな声で言った。
「棟方の旦那。市場を建てるなら……工具がたくさん要りますね。わたし、頑張ります」
「ああ。頼むぞ、チビ」
リルが嬉しそうに笑った。精霊たちがふわふわ浮かんで、窓の外の南区画の方を見ている。
カーラが大あくびをした。
「でっかい仕事ねえ。面白くなってきたじゃない」
「お前は関係ないだろ」
「用心棒でしょ、あたし」
「いつ決まったんだそれ」
まあいい。
俺は作業場を出て、南の空を見た。
小さな長屋の壁を直すところから始まった。井戸を直して、ダンジョンを開けて、火事を止めて、屋根を直して、小屋を建てて、橋を架けて、風呂を作って、砦を固めた。
次は——街を作る。
棟方組、次のステージだ。




