第136話 やりたくないことはやりたくない。嫌いなものは嫌い
「ねえ、ユエユエ。もし今ね、このお城を出て≪BiAG≫としての活動を再開しても良いよって言われたらどう思う?」
もしもの話。
これはただの妄想だ。
ありえないかもしれないし、ありえるかもしれないただの妄想。
「もちろん全力で天下を取りに行くわ」
ユエユエは髪をかき上げながら、口角を上げて笑った。
「運命がすでに決まっているとしても?」
武道館ライブをした後に解散することがわかっていても?
「それは誰かの運命で、私の運命じゃない。私の運命は私が決めるのよ」
「今が……ユエユエが生きていた時代とは違うってわかっていても?」
「関係ない。みんなが私たちのことを知らなくても、私たち自身は私たちのことを知っているから。≪初夏≫ちゃんもほかのアイドル達も全員ぶっ飛ばして、私たちが天下を取る。ただそれだけよ」
そうだった。
ユエユエはそういう人だったね。
まだ燃え尽きてなんかいない。
「じゃあ、ちょっとだけ意地悪な質問をしても良い?」
「それを聞いて怒っても良いならね」
いひゃい。
いきなり頬っぺたを引っ張らないでください。
「お手柔らかにお願いします……」
「うむ。善処してあげよう♡」
笑顔が怖いなあ。
でも訊いてしまおう。
「えっとね、ユエユエにはそんなにもまっすぐな野望があるのに、今ここでこうしてのんびり過ごしているのはなぜ?」
今すぐに全部ぶっ飛ばして、「うるせ~! 私についてこい!」って、大暴れしないのはなぜ?
「え~、カエくん、それを訊いちゃう~? そっか~、私にそれを訊いちゃうか~」
眉間にしわを寄せて何度も頷いている。
何かまずかったでしょうか……。
もしかして逆鱗に触れる質問だったりとか……?
「ふふ。じゃあ勇気を出して訊いてくれたことに敬意を表して端的に答えるね。ずばり、『動くべきなのは今じゃない』これが答えよ」
動くべきなのは今じゃない。
つまりは今ではない先の未来には動くつもりである?
でも、『今じゃない』ってなんだ?
今はユエユエが動かずにいる理由があるってこと?
「今動くべきなのは、カエくん、あなたでしょ」
ああ、そうか。
ボクか。
つまりは今のボクは、この楽園でのんびり過ごす時じゃないってことだ。
「自分が知らない記憶なら、『知らね~! 誰だそいつは⁉』ってハッキリ言ってやれば良いのよ。カエくんはカエくん。七瀬さんとも違うカエくん。ほかの人の記憶はほかの人の記憶だから」
ボクはボク。
「人間か人間じゃないかなんて関係ないでしょ。あなたは生きているんだから」
ボクは生きている。
「やりたいことはやりたい。好きなことは好き。じゃあ、その反対は?」
「やりたくないことはやりたくない。嫌いなものは嫌い、かな?」
うぅ、我ながら頭の悪い答えを出してしまった……。
「そう。それで良いのよ」
え、良いんだ……。
「ねぇ、カエくんは私とキスしたい?」
何を突然……?
「したいかしたくないかで答えて♡」
「いや、ちょっと……わからない……です……」
そんなの考えたこともなかったし……。
「七瀬さんはね。たぶん私とキスしたかったと思うの♡ 絶対口では否定すると思うけれどね♡」
そうですか……。
惚気ですか?
「カエくんは私と子どもを作りたい?」
さらに話が深く……。
「いや、それもちょっと考えたことはなくて……」
ユエユエは何が言いたいんだろう。
「七瀬さんはね。たぶん私に子どもを産ませたいと思ったことはないと思う」
ユエユエは笑っていた。
「七瀬さんは……私のことをアイドルとして見ていたからね」
ユエユエは笑っていた。
「アイドルとして輝く私を見ていたいって思っていたと思うから……私はその期待に応えるために必死に努力したの」
ユエユエは笑っていた。
「でも私はずっと好きだったの」
ユエユエは笑っていた。
「最初からずっと。あの人のことだけを見ていたの。あの人の笑顔を見ていたかったの」
ユエユエは笑っていた。
「でもあの人は、私のことを見ようとはしてくれなかった」
ユエユエは笑ったまま、涙を流していた。
「私の好きが届くことはなかったのよ」
ユエユエは――。
ボクの中には、掛けてあげられる言葉がなかった。
ボクの中には七瀬マネージャーの記憶はあるけれど、ボクは七瀬マネージャーではないから……。ボクには七瀬マネージャーの心の内に秘めた想いはわからないから……。
いいや。1つだけあった。
「ボクは……ユエユエのことが好きです」
ボクだけの気持ち。
「ありがとう。私の七瀬さん」
ユエユエがボクの頬にそっと手を添えてくる。
もし叶うなら――。
もし、すべてが終わって、ボクもユエユエも消えることなく生き続けることができたなら――。
いつかまたここで。
ボクはユエユエの七瀬マネージャーにはなれないかもしれないけれど、ボクはボクとしてユエユエの傍にいたいと思っているから。
この気持ちは誰のものでもない、ボクのものだから。
ユエユエの顔がゆっくりと近づいてきて――。
ボクの鼻先にキスをした。




