第135話 誰にも干渉されず、命の危険に怯えなくてすむ世界
ウーミーが帰ってきて、ひさしぶりに≪初夏≫が全員揃って、いよいよここから再スタートを切る。定期公演#11は有観客ライブだ。
そんな大切な時なのに、ボクだけ気持ちが乗れていない。
きっとボクは……どこかが故障してしまったんだと思う。
でもそれを認めるのが怖い。
麻里さんに相談して、「ああ、お前は故障したから廃棄する。これからは別の楓に≪初夏≫のマネージャーをやってもらうことにするよ」なんて言われてしまったら……。
それがホントに怖くてたまらないんだ……。
ボクはここまで何だろうか。
あんなに盤石だと思っていた足元が、急にガラガラと音を立てて崩れてしまったような感覚に陥っているんだ。
ボクは何を積み上げてきたのだろう。
成長したと勘違いして、その実、何も手に入れることができていなかったのではないだろうか。
人ではないボクには何もない。
人のマネをしているだけに過ぎないただのまがい物。
替えが効くお手軽なプログラム。
ボクはこの世界に必要なんだろうか。
「ねぇ、カエくん。それならいっそのこと、ここで私と2人きりで暮らそうか」
ユエユエがボクの頭を抱きしめるのをやめて体を起こす。ボクの目尻に溜まった涙を指でそっとぬぐってくれた。
「この楽園にいれば、何も怖いことはなくなるわ」
決して冗談で言っているようには見えなかった。
ここでユエユエと2人で暮らす。
毎日2人でたわいもないおしゃべりをしたり、カラオケ大会をしたり、対戦ゲームをしたり、奥のホールに行って誰に見せるわけでもないダンス対決をしたり。
満たされた世界。
終わらない世界。
誰にも干渉されず、命の危険に怯えなくてもすむ世界。
ボクが望んでいるのは、そういった心の安寧なのかもしれないな。
そしてきっと、この言葉はユエユエの心からの本心なんだと思う。
ユエユエからしたら、ボクは七瀬マネージャーの代替品でしかないはずだ。記憶の一部を有しているからといって、見た目も性別も年齢も、そしておそらく性格もまったく異なる存在。それでもユエユエはボクの中に七瀬マネージャーを見ている時がある。
アイドルではなくなったユエユエに残された望みは、七瀬マネージャーの存在だけなのかもしれない。
ボクはどうしたらその望みを叶えてあげられるのだろう。
代用品のボクがずっとここにいればユエユエは喜ぶに違いない。
でもホントにそれで良いのか?
ユエユエは、2日か3日置きにボクがここを訪れた時、必ず≪初夏≫の近況を聞きたがっていた。
ここにいるユエユエは、ホントの意味ではメイメイのお母さんではない。
メイメイを身ごもる前の記憶しか持っていないのだから。
それでも≪初夏≫のことを、メイメイのことをしきりに気にする素振りを見せる。
≪BiAG≫のみんなと一緒にコラボライブをやったから、単純に後輩アイドルグループとして気にしてくれているだけ?
いや、それだけではないだろうね。
≪初夏≫の活躍を聞き、自身の過去――≪BiAG≫の活動を重ね合わせて思い出している。
そんな感じではないだろうか。
ここにいるユエユエは、伝説の武道館ライブを経験していない。
でも知識としては知っている。
その後、自分が辿った運命も知識として知っている。
引退。グループ解散。出産。そして死。
「ユエユエは……このあとのことについてどう思っているの?」
「このあとって?」
「えっと、ユエユエが実際に持っている記憶の後、かな……。武道館とか、そういう感じの……」
ボクは何を尋ねているんだろう。
こんなことを訊いて何になる……。
「ああ、それね……。まるで未来視みたいな……。ある日眠りから覚めたら、いつもとは違う朝が来ていた、みたいな?」
朝起きたら突然宣言されるんだ。「お前は人間じゃない」って。
「七瀬さんのお見舞いに行って、ライブのリハーサルをこなして、いよいよこれからだぞって時にね。全部夢だったんだって……」
うつむくユエユエ。
前髪がはらりと落ち、表情に影を落とす。
「でも夢ではなくて、私とは違う私が……私たちがライブをしていて、それをみんなが知っていて、結局あれから一度も七瀬さんとは話もできずに……なんだろうね、私の人生って」
ユエユエは自嘲気味に笑った。
その虚しさ。
今のボクには理解できる気がするんだ。




