第134話 まるでボクじゃない誰かが経験した出来事をあとから眺めているような――
ボクは1人でユエユエ――伝説のアイドルにしてメイメイのお母さん、秋月美月さんの城を訪れていた。
「というわけでさあ、VRゲームをやっていた夢を見ていたんだけど、気づいたら9月になっていてね、マキもホントに海外に行っちゃっていて……もうボクには何が何やらわからないんだ……」
「そっかそっか。カエくんも大変だったのね~」
見上げればユエユエの柔和な顔。そして息遣い。ゆっくりとボクのくせっ毛を撫でてつけてくれている。
ボクはユエユエに膝枕をしてもらっていた。
伝説のアイドルの太ももの上に頭を置いて、やさしくやさしく頭を撫でてもらっている。なんという贅沢なんだろう。
「カエくん、最低でも3日置きには遊びに来てくれていたのに、突然来なくなったから心配していたのよ」
「心配かけてごめんなさい。変なことを訊いちゃうようだけど、ボクが最後にここを訪れたのはいつ?」
「7月29日よ。それからずっと音沙汰なしだったわ」
「なるほど……。やっぱり7月末の台風上陸の前で途切れているってことか……」
約1か月半の間、ボクはここに来ていない。
VRゲームをやっていた夢……記憶と一致する……。
「不思議なんだよね」
「何が不思議なのかな?」
「ずっとVRゲームをやっていたはずなんだ。魔物を倒したり、アイテムを拾ったり……なのに、誰に尋ねても、『ボクは普通にマネージャー業をこなしていた』ことになっているんだ」
立ち会った記憶のないロケ。
知らない配信。
新曲の歌、そしてダンスレッスン。
「ウーミーの帰国。正式な復帰。そして定期公演#11のスケジュール発表……」
みんながせわしなく動いている。
ボクだけが取り残されているような、そんな気分なんだ。
「カエくんは、最近のことを何も覚えていないの?」
「ううん、覚えていないわけじゃないんだ。記憶はある。参照できる記録はあるって言ったほうが正確かもしれない。まるでボクじゃない誰かが経験した出来事をあとから眺めているような――」
そう、七瀬マネージャーの記憶の断片を手に入れた時にとても近い感覚なんだ。
「誰に相談したら良いかわからなくて、ユエユエの顔が思い浮かんで……急にこんな話してごめんなさい」
レイでもなく、マネージャー陣の誰かでもなく、麻里さんでもルーナちゃんでもなく……ほかに話をできる相手が思い浮かばなくて……。
「良いのよ。相談してくれたことがとってもうれしい。私のカエくん。愛しているわ」
ユエユエが腰を曲げてボクの顔の上に覆いかぶさるようにしながら頭を抱きしめてくる。
太ももと胸の間にしっかりとホールドされたボクの頭。
骨の振動を通して、ユエユエの心臓の音が聞こえてくる。とても穏やかに一定のリズムを刻むその音が、ボクの心のざわめきを吸収してくれるようだった。
「ユエユエ……ちょっと苦しい……」
とても心地良い。
とはいえ、これだけ強く抱きしめられると息は苦しく……体は酸素を欲している。
「ダ~メ。まだ1か月半分のカエくん成分を吸収できていないもの」
さらに強く、胸のふくらみが押しつけられてくる。
布擦れの音がボクの鼓膜を叩いた。
ボク成分って……。
みんなそれを言うけれど、いったい何の成分なのか……。
「ここは安全地帯なの。だから何もガマンしなくて良いのよ」
「安全地帯?」
「何を言っても記録に残らないし、誰にも盗み聞きされない」
ああ、そうだった。
ユエユエの特殊性から、この城は物理的にもネットワーク的にも外部と遮断された特別な空間なんだ。外からも攻撃されないし、内からも何も発信されない。
意識はしていなかったけれど、ボクがここに来た理由はそれもあるのかもしれない。
「ボクはみんなのことが大好きなんだけど、ボクではないボクとの記憶を持っているみんなが、なぜだか怖いんだ……」
実はボクはボクでなくなっても誰も気づかないのかもしれない。
ある日そっとボクがいなくなって、ボクの見た目をした別人がボクの代わりを務めていても、誰も違和感を持たないのだとしたら――。
「それは『みんな』にそう言ってみたの?」
「言ってない……」
そんなの言えないよ。
「なぜ?」
だって――。
「きっとみんなは、『ボクがボクだから好きなんだよ』って言ってくれると思うから……」
でも今は、その言葉を聞くのがとても怖い。
誰もウソを吐いているとは思わない。
きっと本心でそう言ってくれると思う。
だけど、この1か月半の間、ボクではないボクと会話して、違和感を覚えた人はいたのだろうか。
こんなふうに考えてしまうボクは、どこか壊れてしまったのかな……。




