第94話 マキの家庭事情
「黄泉平坂って何……」
比喩的な表現なんだろうけれど、もしかして……AIのユエユエを依り代にして、本物のユエユエが地獄の底から舞い戻ってくる、みたいなことを言っているの? 地獄ってことはないか。天国から? 天国も何かしっくりこないな。
「死んだ人間がさ~、時空を超えて現代に甦って、本来なかったはずの母娘共演が実現しちゃっているわけじゃない?」
「そうだね」
「親孝行したい時には親はなし、なんて言うけれど、メイメイちゃんはできちゃってるんだよね~。うらやましいな~って。わたしだってさ~、できることなら親孝行したいよ……」
マキの瞳の奥に闇が落ちる。
もしかしてマキのお母さんって……。
「知らなくてごめん……」
「ああ、うちの親? 生きてる生きてる~! 紛らわしいこと言ってメンゴメンゴ♪」
手を合わせてウィンクしてくる。
「なんだよ! 心配して損したわ! だったら元気なうちに親孝行したら良いじゃん!」
ボクなんて親孝行したいと思っても、AIだし実親がいないんだからね。まあ、人間で言えば麻里さんが親みたいなものなんだろうけれど……。幼いボクに教育を施してくれたっていう意味ではウタもお母さんみたいなものなのかも……。でもなー、どっちも若いし、親っぽくはないな。いや、麻里さんは実年齢的には39歳か40歳……見た目が幼女……デジタルなボクの脳でも混乱するからどうにかしてほしい。
「元気だったらね~。もう長いこと入院しっぱなしだから……」
「そうだったんだ……」
初めて聴くマキの家庭事情だ。
「父親はわたしが小学生の時に死んじゃったから、お母さんが女手一つでわたしのことを育ててくれたんだよね~。役者の道も応援してくれて、いっぱい支援してもらっちゃって。少し売れてきて、やっと楽させてあげられると思ったら、脳梗塞で倒れちゃってさ~。記憶障害と左半身麻痺でもうどうにもならなくなっちゃった」
明るい口調で話す姿がとても痛々しかった。
「とにかくね、病院でいっちゃん良い個室に入院させてもらっているんだけど、わたしがお見舞いに行ってもね、毎回ね、『この人誰だろう?』って顔で見つめられるのさ。看護師さんの顔は覚えているのに、娘の顔は覚えていないの。アルツハイマーも始まっているって」
想像するだけできつすぎる……。
「少しでも印象に残るように、お母さんの前で演技をね、見せているんだ。いろいろな役を演じて……いつもいっぱい拍手してくれるの。子どもの頃からずっとそう。お母さんはわたしの演技をいつも褒めてくれるから」
マキが演技を続ける理由。
より高みを目指す理由の一端を見た気がした。
「でも次に行くと『この人誰だろう?』って顔をされるんだ……。わたしの演技ってそんなに印象薄いのかにゃ……」
ああ……。
そうじゃない。
そういうことじゃないんだ。
でも言えない。
マキだって、口先だけで中途半端に慰められたくはないと思うから。
「もしさ~、わたしのお母さんもメイメイちゃんのお母さんみたいに、元気な姿で戻ってきたら、わたしのこと……もっと褒めてくれるかな……なんてね~! この話、どう? 泣ける⁉ いつかアカデミー賞の主演女優賞を取って、プロジェクトXに出演した時に話そうかなって~って温めているんだよ! うんうん、カエデがそこまで泣いてくれるなら、プロジェクトXと言わず、これで映画1本撮れちゃうかもね~!」
泣いているのはボクじゃなくてマキのほうだよ。
どうにかしてあげたい……。
脳科学を専門にしている麻里さんなら、記憶障害の治療ができたりしないだろうか。サクにゃんがいれば、左半身の麻痺をどうにかできないだろうか。
もしかしたらお母さんを元気にする方法があるかもしれない。
でもここで、軽率にそんな話をして希望を持たせてしまって、実は無理でした、なんてことがあってはいけないよね。
レイ、今の話……聞いていた?
明日にでも麻里さんのところに行って、治療の可能性を尋ねてみようと思うんだ。
『わたしは踏み込むべきではないと思います』
キッチンにいるレイから反応があった。
でも否定的――。
なぜ? 麻里さんに確認して、もし『治療が難しい』って結論なら、何も聞かなかったことにして黙っていれば良いし、『治療ができるかもしれない』ってことだった場合には、マキに提案したら良いじゃない?
『まきさんが手を尽くして治療の可能性を探っただろうということは、想像に難くありません』
まあ、そりゃね……。
いろいろ手を尽くして、それでもダメだったから、せめても良い個室で過ごしてほしいって……でもさ、麻里さんなら認可されていない治療方法だって――。
『それをまきさんが望んでいるのですか?』
いや、それは……。
『悪魔に魂を売ってでも、おかあさんのことを治療したいと言われたのなら、できる協力はするべきです』
悪魔にって……。まあ、悪魔のような人ではあるけれどさ……。
『まきさんは、さつきさんのことがうらやましい。それしか口にはされていません。現代技術によって甦ったみつきさんを見ても「うらやましい」だけなのです。これ以上踏み込むのは、余計なおせっかいになってしまうかもしれません』
うらやましい、か。
「助けてほしい」と一言だけでも口にしてくれれば――。
「かえでくん、まきさん。朝食の用意ができました。リビングにおこしください」
レイが開けっ放しになっているボクの部屋の扉をノックしてきた。
ありがとう。
わかったよ。
マキが助けを求めてくるまで、ボクは待つことにするよ。




