第53話 七瀬マネージャーはユエユエとの約束を果たさなかった
「続けて七瀬さんはこうも言ったの。『キミは自分自身を笑顔にすることもできないのに、どうやってたくさんの人を笑顔にするんだい?』って」
心臓を鷲掴みにされたような気がした。
忘れもしない。
先日2人きりでデートした時も、ユエユエは同じことを言っていたね……。
秋月美月は秋月美月を笑顔にできていない――。
すべての人を笑顔にするためのプロジェクト。
それが、≪Believe in AstroloGy≫の結成目的だったはずだ。
けれど、ユエユエは真の意味でそれを達成することなく、その活動に終止符を打ったんだ。
でもボクは1つ大きな思い違いをしていた。
ユエユエがあの時、「自分自身のことを笑顔にできなかった」と言った時に、七瀬マネージャーがプロジェクトの目的を見誤ったのではないかと思ったんだ。
『すべての人』という定義の中に、自分たち、つまり≪Believe in AstroloGy≫のメンバー、ユエユエをはじめとする7人のメンバーが含めていなかったのではないかってね。
でも違った。
≪BiAG≫は、その活動が始まる前から、ユエユエを含むすべての人を笑顔にするためのプロジェクトだったんだ。
「私ね、その時、『たしかにね』って思っちゃったの。人類のため~、未来のため~って自分の中ではいろいろと考えているつもりだった。みんなが救われる未来を、笑顔になれる未来のための研究をしているってね。もちろん自分で立てた仮説を検証していくのが楽しかったっていうのもあるのよ?」
ユエユエは再び笑みを浮かべた。
きっとその時の七瀬マネージャーの顔でも思い出したのだろう。
「不意打ちとはいえ、初めてディベートで負けたな~って」
「勝ち負け、だったんですか……」
「そうよ。私の負け。負けたからには全力で『すべての人を笑顔にする』っていう七瀬さんの想いを実現しようって思ったの。私のことも笑顔にしてくれるって言ってくれたし……」
ほんの少しだけ笑顔に陰りがみられた。
七瀬マネージャーはユエユエとの約束を果たさなかった。果たせなかった。
七瀬マネージャーが始めたプロジェクトは、ユエユエを除くすべての人を笑顔にした。
でも、ユエユエのことを笑顔にすることはできなかった……。
あれは事故だった。
きっと武道館ライブの先で、その約束は果たされるはずだったんだと思う。
今となっては想像でしかないけれどね。
でも現実は残酷だ。
どんなに良いほうに考えようとしても、事実、約束は果たされなかった。
七瀬マネージャーは、1番笑顔にしなければいけない人、1番笑顔にしたい人を笑顔にできなかったんだ。
七瀬マネージャーは笑って逝ったのかもしれない。
でも、ユエユエは最期まで心から笑うことができずに逝ってしまった。
そして今も――。
「カエくんは何で泣いているの……?」
「とても悲しいからですよ」
ユエユエを笑顔にしたかった。
ボク自身が悲しくて泣いているのか、それとも七瀬マネージャーの記憶がそうさせているのか、それはわからない。
でもユエユエを笑顔にできなかったことが悲しい。
「ユエユエはどうして泣いているんですか?」
「私?……なんで私だけ1人なのかなって……」
何も掛けられる言葉はなかった。
ボクたちがいますよ。
≪BiAG≫のみんながいるでしょ。
あんなにファンのみんなを沸かせたじゃないですか。
そうじゃない。
ユエユエがほしかったのは、七瀬マネージャーただ1人なのだから。
「もっと七瀬マネージャーのことを思い出したいなあ……」
そうすれば、ユエユエと話ができるのに。
そうすれば、少しはユエユエの孤独を紛らわせることができるのに。
「いいのよ」
ユエユエは泣き笑いだった。
「いいのよ。カエくんは私のカエくんじゃないし。たまにこうして思い出話に付き合ってくれるだけで大丈夫~」
ああ、そうだね。
ボクはメイメイのマネージャーで、ユエユエのマネージャーではないのだ。
そう納得した。
でもそうじゃなかったんだと思う。
ボクはこの時のユエユエの言葉の意味を間違えて捉えてしまった。
いや、ユエユエがどんな意味を込めてそう言ったのか、正面切って確認したわけじゃないから、ボクがそう思っているだけかもしれないけれどね。
「かえでくん、そろそろ……」
レイに促されて時計を見る。
「そうだね、そろそろ本社に戻らないと。また来ます! 麻里さんがダメって言うまで、ここに通います!」
「ありがとうね。ちょっとこっち来て~」
ユエユエは袖で涙をぬぐってから、ボクのことを手招きしてきた。
「なんですか?」
ユエユエに近寄ると――。
「いひゃい」
ほっぺたを両側に思いっきり引っ張られた。
遠慮なく全力で。千切れるんじゃないかと思うほど限界まで引っ張ってから、パッと手を離した。パチンという音を立ててボクのほっぺたは戻った。
「何するんですか!」
痛ったー!
顔がジンジンする。
「おしおきに決まってるでしょ! 七瀬さんのくせに私を泣かせるなんて生意気なんだから!」
ボクが泣かせたわけじゃないのに理不尽だなあ。
いや、七瀬マネージャーが泣かせたわけでもないけど。
「美月。これ、返すね……」
仏頂面のルーナちゃんが近寄ってきて、ユエユエに何かを手渡した。
「いらないの? 売ればお金になるのに~」
ギャルのパンティーじゃん。
いや、ユエユエはギャルでもないんだけど。
「そんなのいらない。本物じゃないし~。じゃあね、秋月美月さん」
ルーナちゃんは手をひらひらと振りながら、部屋の入口のほうに向かって歩いていく。
「何を~! 私は秋月美月! ホンモノもニセモノもないの!」
背中に浴び去られる言葉も無視し、ルーナちゃんはそのまま扉を開けて出ていってしまった。
AIプログラムという意味では、このユエユエはニセモノかもしれない。
でも、秋月美月というアイドルとしてはホンモノなんだと思う。
あの魂のこもったパフォーマンスは、質の悪いニセモノなんかに再現できるものではないと思う。
ユエユエはホンモノ。
そしてボクも、ルーナちゃんもホンモノだ。
それじゃあいけないのかな。




