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メンフィス、テネシー…5

 ビール・ストリートでいくつかの用事と遅めの昼食を済ませたビリーは、一度郊外まで離れ、しばらくしてダウンタウンに戻ってきて、ゆっくりと街を流した。エルが訪れそうな場所の目星はついていた。そのためにヴィジター・センターにも寄ってきた。


 B・B・キング・ブルヴァードを走らせていると、二〇〇フィートほど先にスーツケースを引きずって歩くエルの後ろ姿が見えてきた。五時の閉館時間まで粘り、ロック・ン・ソウル・ミュージアムから出てきたところなのだろう。ビリーはホーンを鳴らした。なんだろう、という顔をしてエルは振り返り、あっ、と口を開けた。ビリーは路肩(ろけん)に車を寄せて右側の窓を開け、いくらか疲れた顔をしたエルに向かって、助手席越しに声を飛ばした。

「次はどこに行くんだ?」

「サン・ステューディオ」

 素直に答えてしまったことに気づき、エルは素っ気なさを作って付け加えた。

「とかかも」

「乗れよ」

 エルの口がぴくりと動いたが、顔と声に素っ気なさを戻して言った。

「いい。歩いてく」

「一マイルそこらはあるぜ」

 歩き去ろうとしたエルに、ビリーは身体を傾けながら言葉を投げた。えっ、と眉を上げてエルは動きを止め、車の方にかがみこんできて、訊いた。

「そうなの? 歩いたらどのぐらいかかる?」

「さあな。半時間とかじゃねぇか」

 エルは眉間に皺を寄せて少し考え、ふっと息をついて首を振った。

「いい。歩く」

 ビリーは頷き、特に気にしないような口調で言った。

「そうかい。ま、好きにすりゃいいさ。また迷わないようにな。ユニオン・アヴェニューだからな。あとお前、ギターあるからな。しばらく預かっといてやるけどよ。その荷物どうすんだよ。鬱陶しくねぇのか」

「うん」エルは道に関して頷き、「そうして」ギターに関して付け加え、「大丈夫」スーツケースに関して意向を伝えた。

 ビリーは頷き、手で軽く挨拶をして窓を閉め、ゆっくりと車を動かして、歩き始めたエルを追い越した。ミラーに遠ざかるエルは、早速立ち止まって地図を開き始めていた。


 右折を四回繰り返して元の通りに戻ると、先ほどの二ブロックほど先の歩道にエルがいた。立ち止まり、地図を広げて指を這わせ、上を見上げ、横を眺め、きょろきょろとしていた。おそらくは眉を寄せて、真剣な表情をしているのだろう。

 ビリーはゆっくりと車を近づけ、少し離れたところからホーンを鳴らした。一度では気づかなかったので、もう少し近づいてから二度鳴らすと、エルはくしゃくしゃになった地図から顔を上げ、振り返った。想像通りの表情で、口が半分開()いていた。


「乗れよ」

 エルは答えなかった。こめかみを掻き、ビリーは言った。

「ツアーの最終回、終わっちまうぜ」

 エルは車を覗き込んできた。

「そうなの?」

「ああ。五時半だからな。車ならまだ間に合うぜ」

 エルは顔を離し、腕時計を眺めて人差し指でとんとんと叩き、唇をすぼめながら上を向いて少し考え、黙ったまま地図を畳んでバッグにしまい、両手を使ってスーツケースのハンドルをシャキンと押し込み、ドアを開け、荷物を引っ張り上げて、車に乗り込んできた。助手席ではなく、右側の後部座席に乗った。ビリーはエルをちらりと見やり、エルが荷物を左奥に押しやってシートに落ち着くのを待ってから、助手席に置いてあった紙袋を掴んで振り返り、エルに差し出した。

「喰えよ」

「なにこれ」

「さあな」

 エルは少し眉をひそめて、気がなさそうに受け取った。ビリーは辺りを見回し、車を出しながら、言った。

「ギブソンズってんだとよ。ここのが美味いんだとさ。間違いねぇんじゃねぇか。太っちょのおばちゃんを捕まえて訊いたからよ」

「ふうん」

 エルの瞳が睫毛の奥できらりと光ったが、気のない口調は変えなかった。

 受け取った紙袋を膝に置いて、窓枠に肘をつき、流れ始めた外の景色に視線を移してから、指の背に載せた顎を動かして、エルは小声で言った。

「ありがと」


 車はすぐにユニオン・アヴェニューに入った。カーペットに食べかすをこぼさないように気をつけながら、エルはドーナッツを口に運んだ。サクサクした音と、シナモンとベリーの甘い匂いが、ほのかに車内に広がった。ミラー越しのエルの姿を視界の隅で眺めながら、ビリーは何気ないように訊ねた。

「美味いか?」

 エルは口元を手で押さえ、もごもごと答えた。

「まあまあ」

 ビリーは目元をわずかに細め、唇の端で微笑んだ。

「そうかい」


 サン・ステューディオの裏に着き、スーツケースを座席に残したまま降りたエルは、足早に車を回り込んで、コツコツと運転席の窓を叩いた。

「どうした?」

 ビリーが窓を開けている間にエルはもぞもぞとバッグを漁り、窓が開くとなにかを取り出してビリーに渡した。

「あげる」

「なんだこりゃ」

「キング博士」

「そうかい。なんだかわからんが、ありがとよ」

 バッグをぱたぱたと揺らしながら、古びて変色したレンガ塀の路地を抜けて小走りで入口に向かうエルの姿が消えるのを見届けてから、ビリーは車を動かして駐め、エルから受け取った包みをがさごそと開いた。出てきたのは紫色のボールポイント・ペンで、こんな言葉が記されていた。


   偉大なる(わざ)は為せずとも、偉大なる道を歩む小さな業は為せる。

――マルティン・ルーサー・キング・ジュニア

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