メンフィス、テネシー…3
排気ガスを吹きながら追い越してくる車を睨みつけ、舗道に唾を吐き、ビリーは通りを戻った。シェヴレイに乗り込もうとしてキーケースをファンブルしてイラッとし、拾おうとしゃがみこんでむっとする下水の匂いにイラッとし、運転席に長い脚を突っ込もうとしてステアリング・ウィールに膝をぶつけてイラッとし、陽射しに蒸された車内の暑さにイラッとし、バタンとドアを閉めてすぐにエンジンをかけて乱暴に車を出した。
効きの悪い空調にイライラしながらアムトラックの高架をくぐり、赤レンガの街並みを過ぎ、ダウンタウンを北から南に抜けて、闇雲に車を走らせた。すれ違うピックアップ・トラックも、チェッカーズの看板も、ブリンカーのクリックノイズも、バプティスト教会の尖塔も、すべてがビリーを苛立たせた。クソだクソ、まったくクソだぜクソどもが。
カー・アヴェニューからUS-51に入り、エクソンでガスを入れ、さらに南に走ると右手に『グレイスランド』の青い看板が見えてきた。ほう、と思って少し冷静になり、電柱三本分考え、ドライヴにも飽きたし他に行く場所もないので、寄ってみることにした。
一〇ドルも取りやがんのかよクソが、と思いながらチャーターバスの並ぶ駐車場に車を駐め、クソ暑ぃなクソが、と思いながら白いゲイトをくぐり、エルヴィスだなエルヴィス、と思いながら色とりどりに彩色された写真パネルを見上げて歩き、ここで金を払えばいいんだな、と思いながら突き当たりの青いチケット・オフィスに入り、馬鹿みたいに混んでいやがるなクソが、と思いながらぞろぞろしたツーリストたちの列にまぎれ、いくらなんだオイ、と思いながらポケットの金を漁り、モニターの料金表を見上げ、あ? と思う。
三六ドル? 一番安いヤツでか? 冗談じゃねぇぜ。なんでたかだか家に入んのに、そんなアホみてぇな金を払わなきゃなんねぇんだよ。頭がおかしいんじゃねえのか?
払うわけねぇだろふざけんなクソが、と思いながら出しかけた札をぐしゃぐしゃとポケットに押し込み、ツーリストたちを肘で押しのけて列を抜け、ずかずかと出口に向かった。ホールに反響するざわめきが鬱陶しかった。天井の剥き出しの配管が煩わしかった。ヴェスティビュールですれ違った中国人の男女の髪型と服装と匂いと小さい目とにやけた顔と不自然な身振りと軽くて薄っぺらい声とねちゃねちゃした喋り方とへらへらした笑い方が気に喰わなかった。黄色い首筋を捕まえてぶん殴ってやろうかと振り返ったが、面倒臭くなってやめた。あるいは韓国人か日本人かヴェトナム人だったのかもしれないが、ビリーには見分けがつかなかったし、どうでもよかった。なんで中国人がエルヴィスの真似をしていやがるんだよ。気持ち悪ぃなクソが。人間の代わりにエントランス前の看板をサイドでばこんと蹴ったら思ったより軽く、蹴り応えがなさすぎて余計にイライラした。
一〇ドル損したじゃねぇかクソ、こんなクソみてぇな場所二度と来るかクソ、と思いながら荒っぽくシェヴレイを動かしてグレイスランドを離れた。半端に混んだ進みの悪い道を、むしゃくしゃしながら走っていると、厭なことがあれこれと思い出された。厭なことはたいてい人間の顔の形をとって現われた。アホ面の教師、アホ面の牧師、ブロンド、レッド、ブルネット。デブの母親、デブの弟、警官、看守、工場の主任――。なんでこの国にはこんなクソみてぇなヤツらしかいねぇんだよ。クソすぎんだろクソがよ。
ぐちゃぐちゃとした思いが頭の中に溢れ、グラヴ・ボックスの中の二十二口径のことを考え始めたとき、はっと視界が開けた。飛行場だ。
乗る機会こそなかったが、飛行機を眺めるのは昔から嫌いではなかった。どこか違う世界に行けるような気がしたからだ。どこにも行けやしない、ということに少年のビリーが気づくのにそれほどの年月は必要なかったが、それでも飛行機は嫌いではなかった。
それから、ふっと、少女のイメージが浮かんだ。ジョン・F・ケネディ国際空港に戻る飛行機に乗り込んでいく、エルの後ろ姿だった。エルは俯きながらエア・ステアを上がり、肩越しに後ろを振り返り、空港の風に乱れた髪を耳の後ろにかき上げ、なにも言わない瞳でこちらを眺め、諦めたように小さく首を振って、機内に消えていく。扉は閉まり、二度と開かない。気がつくとビリーは眉間に皺を寄せ、口元を覆うように左手で強く両頬を握りしめていた。
飛行場の角を曲がり、進路を北に向けると、車の数は少なくなった。地上に降り立つ飛行機をウインドシールド越しの視界に収め、遠くを見る目でなにかを思いながら、ビリーはアクセラレイターを踏み込んだ。




