第7話 玉ねぎと胸腔穿刺②
貴重な温もりを手で味わっていると、背後から腹の底が冷えるようなドスの効いた声が降ってきた。
「おいおい、見覚えがあるゴミだなぁ」
「ディック!」
「ゴミが俺様を呼び捨てとは、いい度胸だ!」
ディックは青筋を立てながら俺達に向かって拳を降り下ろす。俺はロイを突き飛ばしつつ反射的に後ろに跳んだ。
強化術の練習の影響で、平常時でも少し動体視力が上がっているようだ。ディックの拳は空振りに終わる。
「チッ、うぜえな、ドブネズミが」
「俺達昇進したみたいだぞ、やったなアルフ」
「だな。ゴミよりはネズミのがだいぶ上等だ。ついでにクズ野郎よりもネズミの方がましじゃないか?」
「ははっ、間違いない」
「ああん!?」
こちらにも武器があるという安心感が、俺達に余裕をもたらした。そんな態度がより気に入らなかったのだろう、ディックはさらに表情をビキビキと引き攣らせる。
「おいババア! 餌付けなんかすんなっつっただろうが! だからこいつらこんなに調子に乗ンだよ!」
ディックの怒りの矛先がメアリばあさんに向いた。止める間もなくディックはばあさんの手押し車に掌を向けた。
直後、バリッ! と短く稲妻が走り、車が炎に包まれる。
「ああ、なんてことを! これがなくちゃ商売が!」
「うるせえ! ゴミをのさばらせた罰だ!」
「ゴミだなんて、あんただってもとはと言えばスラムの」
「黙れぇ!!」
一際大きな怒声とともに、もう一発、電撃魔法が放たれた。稲妻が捕らえたのは、メアリばあさん。
やけにスローモーションに見える景色の中、ばあさんの胸の中心を貫くように電光が走り、ばあさんはそのまま無防備に、後ろ向きに倒れこんだ。
ゴッ、鈍い音で俺の視界が元通りの速度を取り戻す。ばあさんが縁石に後頭部を打った音で。
「ばあさん!」
俺とロイは、ばあさんに駆け寄った。抱き起した後頭部からは流血。胸に耳を当てるが心音を聴取できない。開きっぱなしの目の中で瞳孔が散大している。
「嘘だろ、ばあさん、死んじまったのか!? おい!」
「っ心マ、はやく! おいロイ、俺のやることよく見て覚えろ、こうして胸の中央を―」
狼狽するロイと自分の脳みそを鼓舞して、即座に心肺蘇生にとりかかろうとしたその時、粗暴な足音と共に、目の前にディックの大足がやってきた。
「どうだ、俺の魔術はすげえだろ。ま、即死するのはだいぶ運が悪いけどな。日頃の行いってやつだな、ひゃは、ひゃはははっ」
「てめえ……!」
「さて、知らねえ仲じゃねえからな、葬式を上げてやろう」
ディックは下卑た笑みを浮かべたまま、再び掌をばあさんに向けた。
「――ッロイ! 離れろ!」
俺はロイを抱えてばあさんから身を離すべく飛び退く。玉ねぎが手から転がり落ちた。
仰向けに寝そべるばあさんのほぼ真上から、残虐にも電撃が落ちる。衣服に稲妻が引火する。炎が瞬く間にばあさんの全身を包む。
「あ、あ……」
ロイは青ざめて震えている。無理もない。子供に耐えられる光景じゃない。人の死に多少の耐性がある俺でも目を逸らしたくなる。
でも、俺の視線は、ばあさんの遺体の横で炭化していく玉ねぎに固定されていた。
貴重な食糧。漁ったものでも、盗んだものでも、奪ったものでもない、――ばあさんの優しさ。
はらわたが煮えくり返るのを感じた。
「おい、まずいぞ! 衛兵はまだか!」
ここは街の中心部、人通りの多い広場である。善良な市民達が通報義務を果たしてくれたようだが、そうしたところで、ディックが止まるはずがない。
強い魔術師というのは、その暴力性と有用性故に衛兵も強くは出られない特権階級。ばあさんと俺達を皆殺しにしても、「正当防衛」を主張すれば通ってしまうだろう。
案の定、ディックはこきこきと首を鳴らしながら、俺達へ視線をずらした。
「ババアはお前らのせいで死んだんだ。責任とって、死にやがれ」
「ロイ、――離れたところに、隠れてろ」
ディックの濁声と、俺の指示が重なる。
自分の声の低さに、少し驚いた。
逃がさねえよ、恐らくそう言おうとしたディックが口すら開く前に、俺が呪文を口にする。
《Energie erzeugen》
俺の詠唱が終わるのと、ディックが手を前に突き出すのが同時だった。ディックの掌が淡く光りだす。
——遅い!
俺は手始めに右手を下から蹴り上げて、電撃が出るだろう方向を真上に変えてやった。
「ぐ、ぐあああああああああ!!」
「あ。折れたか」
覚えたてで加減なんかわからない、加減なんかするつもりもない俺の足技は、方向転換どころか、ディックの右手関節を粉砕したようだ。
「この野郎! 殺す!」
しかしディックも歴戦の猛者。片手首の骨折ごときではそう怯まず、即座に応戦態勢を整える。
本気を出したディックの拳は、強化魔術を使っていてもそれなりに速く見える。電撃はその性質上さらに速い。拳の三連撃をひらりと避け、電撃の下を潜った直後。
「ぐっ」
ディックの左ストレートが俺の顔面を捕らえた。反射的に身を引いたのと強化のお陰で、骨が折れた音はしない。それでも無様に鼻血が滴る。
ディックはそれを見てニヤリと歯を剥き、更に強襲する。
実戦経験の差が痛い。
こちとら前世から数えたって、他人と殴り合いをした経験なんて皆無なんだ。
本能で恐怖に竦みそうになる足を支えたのは、激しい怒りだった。怒り過ぎて、逆に頭の中が冷えていた。
よく見ろ。避けられないほどではない。
見切って、避けて、反撃する。やることは決まっているんだから。
無心で繰り出した俺の拳が、ディックの腹にめり込んだ。
「ぐっ、くそ、ちょこまかと、べぶっ」
その一発目を皮切りに、俺の拳はディックの体力を着実に削りだした。顔面なり腹なりに拳が入るたび、ディックは潰れたカエルのような鳴き声を挟む。
それでもディックはまだ倒れない。痩せっぽちの俺のパンチでは、一発一発のダメージが少ないのだ。
右手への不意打ちと違って、きちんと用心されているせいでもある。まがりなりにも、こいつは名高い傭兵だ。
さて、ここからどうするか。




