第5話 強化魔術とミトコンドリア
最初に入れた落ち葉はあっという間に燃え尽きそうだったから、手早く落ち葉や木片を追加して、焚火の体裁を整えた。
ついでに、ボロ袋の中身を受け皿にしていた小鍋に流し込んで火にかける。
「これでトマトを腐らせずにすむな。ロイの取り分もとりあえず火を通していいよな?」
「あ、ああ……って、アルフ、そんなことしてる場合か!」
「何でだよ」
「だってお前、ちゃんと魔術が使えたんだぞ。こんなところでカビかけのトマトなんて煮てないで、早くギルドに行け! きっと雇ってもらえるって !」
「いや、でも、こんなんじゃ戦いには使えないだろ。遠距離攻撃はできないし、火の大きさだって小さいし。せいぜい普段の炊事に使えるかどうか」
「バカ! 俺達くらいの年齢なら、火がつくだけでも十分評価されるよ。 これから研究を進めるんだろ。それなら少しでも生活の保障をしてくれるところに保護してもらった方がいいって!」
俺をバカ呼ばわりするだけあって、なるほど、やはりロイはこの年代にしては現実的かつ理知的だ。こいつの言うことは一理ある。
しかし。
「ギルドなり傭兵団に保護されたら、どんな生活になる?」
「そりゃまあ、研究に専念しろって言われるだろう。衣食住は与えてやる代わりに研究成果を出せ、みたいな契約になるんだろうし」
研究成果ねぇ……。あまり好ましくない響きだ。
前世の俺の過労死(仮)の最大の原因は、医学研究だった。当直、つまり臨床業務のために徹夜することは多かったが、それはせいぜい週に2~3回の話。むしろその当直明けの日、普通に夜まで仕事をした後、ネズミへの投薬だの統計ソフトとの格闘だのを深夜まですることの方が、体力的、精神的にきつかった。上司に命じられた、さほど興味のない研究内容とくれば猶更だった。
もうあんな日々はまっぴらだ。今世では自分の安楽を追及すると決めたのだから。
「ギルドにはまだ行かない」
「で、でも、もったいねーよ……せっかくの才能なのに」
「まだ、って言ったろ。ちょっとの間、考えるだけだ。もう少し使い物になってから売り込みたい。できれば雇われじゃなく、自分単独で冒険者ができるくらいに」
「ここで1人で研究するってことか? こんなところで、食うにも困る状況で、できるものなのか」
「さあな」
結局三流で終わるかもな。でも、例えギルドに囲われたって、三流で終わる可能性の方がずっと高いのが魔術というもの。
それなら、まずはここで好き勝手にやってみたい。
俺の目的は立派な魔術師になることじゃない。楽しく生きることなのだ。
前世の知識をちょちょっと使って魔術の実用化を試みる。誰かの手下ではなく、俺自身が名の売れた傭兵になれれば、それが一番楽しく生きられそうだ。もしだめならすぱっと諦めて、別の生きる道を探したっていいさ。
俺は沸騰してきたトマト汁が焦げ付かないようにかき混ぜながら考えた。鍋の下では炎が揺れている。ついさっき、俺が魔術で起こした火。いや、正確に言えば魔術で生成したのはただの熱なのだが。
そこから思案を広げてみる。
――あの熱はどうやって生み出されたんだろう。
呪文を口にした瞬間、体中が熱くなった。まるですべての細胞が熱を吐き出しているような感覚だった。
体内で熱を産生する機序として、ぱっと思いつくのは筋肉の収縮だ。運動然り、震え然り。しかし先ほど体が熱くなった時は、筋肉が動くどころか、むしろ真逆で指一本動かせないような状態だった。
体が動かない。……エネルギーの枯渇と、熱産生?
何か掴めそうなその時、開きっぱなしにしていたノートの魔法陣が目に入った。わけのわからない文字らしきものの羅列、おそろしく細かい文字で書きこまれた円環。
数百、いや数千文字はありそうなその文字列に目をこらすと、たった1か所、見慣れた文字を発見した。
「! アルファベット!?」
「え、何だ、また何か呪文か!?」
「違う! あ、いや、それも『魔術語』の一種ではあるかもしれないけど。とにかく気にすんな」
ロイを適当にあしらいつつ、魔法陣の中で異彩を放つ了解可能な単語をよく読む。
《MITOCHONDRIEN》――ミトコンドリア。多分これもドイツ語スペルだな。
ミトコンドリアといえば、食い物から得たカロリーを人体で使えるエネルギー「ATP」という形に変換・産生する、細胞内の重要器官だ。まさか魔法陣というファンタジーな代物の中でこんな単語に触れることになるとは。
ということは、この魔法陣はミトコンドリアに関係する代物なのか?
ならば先ほどの熱は。
「ミトコンドリアにおける熱産生……脱共役」
基礎生化学については正直あまり深く覚えていないが、ミトコンドリア内では、摂取したエネルギーの何割かがATP産生に、何割かが「脱共役」といって熱産生に使われると習った気がする。
もし一瞬だけミトコンドリアでのATP産生を止めて、全てのリソースを熱産生に回したら。ATPが枯渇して筋肉などは動かせなくなる。引き換えに、大量の熱を産生できる。
それを右掌の一点に集めたら。
燃焼の三要素の一つ、熱源たり得るのかもしれない。
「仮説としては、あり得るな」
「え、何、何がわかったんだよ」
「何でもない。ロイお前、そういえば腕は」
「え、……あ! 動く! すげえ、これもアルフの予言通りだな」
「神経障害が抜けたんだな。じゃあもう帰れ」
「え、やだよ。もう一生のうちに魔術を間近で見られることなんてないんだから」
「見てて面白いほどの魔術が今日の今日で使えるわけないだろうが」
「いや、十分面白いよ。なー、いいだろ、鍋見てるからさあ」
前世の知識をいろいろ試すには、こいつは邪魔なんだが。しかしロイは梃子でも動こうとしない。
……まあ、いいか。頸動脈洞マッサージも不審に思ってないみたいだし……。鍋を焦がさない要員として使おう……。
ロイを追い返すのを諦めて木べらを渡し、鍋の世話を命じて、俺は思考を魔術とミトコンドリアに戻す。
……ミトコンドリアに働きかける魔法陣で、呪文による指示が《熱を産生しろ》、それで実際に熱ができた。ならば、呪文を変えたら違う効果が得られたりしないだろうか?
それこそ、熱産生に全振りしたのがさっきの火花なら、エネルギー産生に全振りしてみたらどうなるんだろう。
試してみるか。
俺は魔法陣にまた左手を置いて、右手を前に出しながら試しに言ってみた。
《Energie erzeugen》
今度は別に熱くもなんとも……、と思いきや。
枯れ木のように細くカサカサだった手足がみるみるうちにムチムチと健康的になっていく。
力が漲る。
筋肉が疼く。
今ならどこまででも走れそうな気がする。
逸る気持ちのまま、筋肉に渦巻くエネルギーを放出したくて、あばら家の壁に拳を向ける。
ドゴンッ
子供の小さな手に似つかわしくない轟音が響いた後に、ぐらり壁が歪んで見えた。
「お、おいアルフ!」
ロイが焦った声を出す。
悪かったって。でも、やっちまったものはしょうがないだろ。
頭の回転速度も上がっているようで、俺は瞬時に守るべきもの——魔法陣の描かれた本と、トマト鍋を抱えたロイを小脇にひょいと抱えて窓の外に飛び出した。
筋肉のバネを使ってしなやかに着地した直後。
ガラガラガラ!
背後でさらなる轟音を立てて、マイスイートホームは木片と化した。




