第4話 はじめての魔術と燃焼の三要素
ロイは未だ両手が動かせないが、落ち着きを取り戻し、普通に会話が可能だった。そこで、俺よりは情報通でありそうなロイに、単純な疑問をぶつける。
「魔術師を実際に見たのは初めてだ。噂には聞いていたが、あんなに強いもんなのか」
「あー、そりゃラッキーだったな。俺は何度か見かけたことがあるけど、まあだいたい皆似たような連中だよ。自分勝手で、凶暴で。近づかない方がいい」
「だが、自分が使えるなら相当便利なもんだよな、魔術って。なんとか使えるようになれねえもんか」
「ええ? うーん、魔法陣と呪文が必要らしいから……物好きな魔術師を探して弟子入りするか、いっそ研究日誌でもくすねてくるか。なんてな」
「日誌……研究の、手記があれば……」
「いや、本気にするなよ? 俺も詳しくないけどさ、適性がなけりゃどうやったって使えないらしいし。ガキの頃から訓練してるとか、親譲りの才能があるとかさ」
子供の俺は、魔術が使える可能性にも、必要性にも、気づいていなかった。
だから忘れていた。
家には、父親である三流魔術師が残したという日記がある。
***
ロイに肩を貸して、とりあえず俺の家に連れて帰った。ロイにも親がいない以上、麻痺が治まるまではいつも以上に命の危険が大きいからだ。
ベッドにロイを座らせて、本日の戦利品であるパンを口に突っ込んでやる。ロイはそのまま手を使わずに器用にパンをあぐあぐと食らい尽くした。それを確認して、俺も自分の取り分を腹に収める。
やはり、見た目通り割と質のよいパンだ。せっかくなら付け合わせの一つも欲しいところだが、貰ったトマトは、俺と壁に押し挟まれたせいでほとんど潰れてしまい、ボロ袋から赤い汁をぽたぽたと滴らせている。衛生面も加味して、いっそ全部潰して煮詰めた方がいいかもな。小鍋を受け皿として袋の下に置く。
貴重な野菜が傷む前に加熱してしまいたいところなのだが、この不便なあばら家では、火を起こすのも一苦労だ。
だからついトマトの処理は後回しにして、先に気になっているものへ手を伸ばした。ベッドの足元に置かれた木箱。もう何年も触っていないから、蓋に分厚く埃が積もっている。
「それは?」
「親父が置いてった荷物らしい。つまり、魔術師の置き土産だ」
「! アルフの親父さん、魔術師だったのか……!」
「聞いた話ではな。ただし、こんなスラムの女を買っている段階で、いっぱしの魔術師のわけがない」
「あー、まあ、そうか。まともな魔術が使えてたら、冒険者なり傭兵として成功しているはずだもんな」
「ああ。三流のまま野垂れ死んだつまらない男だったと、あの女が管を巻いていた。だから、正直今までこの荷物に価値なんかないと思っていた」
そう言いながら、古ぼけた本を1冊取り出す。箱の中身は、この本と折れた羽ペン1本だけだ。
この世界で公に認められた魔術とは、教会が使う治癒魔法のみ。それらは神の奇跡の類であり、習得するには、教会に所属して学んで神父かシスターになるしかない。一方他人を傷つけることが目的のろくでなし野郎どもは、完全に自己流で魔術を研究する。それが「魔術師」だ。
そうは言っても、魔術に適性がある人間はおよそ数百人に一人と言われる。そこらのろくでなしが「魔術を使おう」と思い立ったって、才能も師匠も学もなくては、まず使い物にはならない。
たまたま魔術適性を持ち、同時に頭と運が良かったろくでなしだけが魔術師になれる。しがないスラムの浮浪児なんて当然、魔術が使えるわけがないのだ。
そう思い込んで今までの俺はこの本になど見向きもしていなかったわけだが、前世の記憶を取り戻し、実際に攻撃魔術の威力を目にした今、欲が出た。
魔術師の血を引いているから。
前世の、大人の知識や頭脳があれば。
ろくでなしがろくでもない目的で使う攻撃魔術でも、極めれば重宝される。上げた戦果や功績によっては貴族に召し上げられたり、一代限りだが叙爵されたりすることもある。
そこまで行かずとも、荒くれから逃れたり、日々の生活に役立てたり、衛兵からお目こぼししてもらえたり、使い道はごまんとあるだろう。
もしも、万が一にでも魔術を使えたなら、このくそったれな環境から今すぐに抜け出せる可能性があるのだ。藁にだって、顔も知らない三流魔術師の遺した紙切れにだって、縋ってみる価値はある。
俺はゆっくりとカビ臭い本を開いた。
「なあ、何が書いてあるんだー? というかアルフは字が読めるんだっけか」
「いや、ほぼ読めない」
「なんだ。まあ俺もあんま読めないけどさー」
「普通の文字は」
「は? どういうこと――何だこれ。市場で見る看板とかの文字と全然違う」
「そうなんだよ」
本には、数十ページに渡ってこの世界の言語で何某かが書き殴られていて、その部分は読めないながら見覚えのある文字列だった。
問題は、最後のページ。そこにはぽつんと一つ、三流魔術師らしい簡素な図が書き込まれていた。二本の線が螺旋を描くように交差し、円環を成した図。よく見るとそれぞれの線は細かい、文字や図形が並ぶことで構成されている。正直全く読めない。
だが。
「この丸いのは魔法陣だよな。これに触りながら呪文を唱えるんだろ?」
「そうなんじゃないか?」
「すると、この魔法陣の下に書いてある文字っぽいのが呪文か。いわゆる魔術語ってやつかな」
「へえ。魔術語と呼ぶのか。まあいい、1回やってみる」
「え、アルフお前」
俺の目に映る、短い1文。魔術語、とロイが呼んだこれは、てんで読めないノートの中、この2単語だけは読めた。
《Wärme erzeugen》
どうみてもドイツ語だ。
なぜこんなところに地球の言語が……?
疑問は尽きないが、展開としては非常に助かる。医大のカリキュラムにドイツ語も入っていたから、俺にも少しだけなら読み書きできるのだ。
魔法陣に左手を置き、ディックがやっていたように右手を前に突き出して、記憶の隅の隅にあったドイツ語の発音を舌に乗せた。
発音を終えると同時に、全身に熱が滾る。
熱い、熱い。
熱は体内を駆け巡り、右の掌に集まってくる。
掌がじりじりと焦げ付くような気分だ。早く早く、この熱を解放しなければ。
出ていけ!
……ぱちっ
念じた瞬間、掌の先で線香花火より少しだけ大きい火花が弾けた。
同時に、体が重くなる。具合が悪いわけではない。吐き気、痛み、その他何の症状もない。ただ、指一本動かせない。
何だこれは。魔力切れとかそういうやつか!?
内心焦るが、焦りが大きくなるより先にまた動けるようになった。掌を握ったり、肩を回したりして確かめてみるが、何の後遺症も見当たらない。
狐につままれたような気分で右手を下ろした。隣から圧を感じてそちらを向くと、ロイが目を輝かせて身を乗り出している。
「すっ……げー! な、な、今、火が出たよな!? アルフ、魔術が使えるんだな!?」
「待て、落ち着け。なあ、俺はどのくらい固まっていた?」
「え? 呪文を唱えてから? うーん、固まってたかなあ。ほんの一瞬だったけど」
「そうか……」
思いの外、動けない時間は短く済んだらしい。だとしても、実戦、少なくとも近接戦には向かないな。動けなくなるのも困るし、何よりあんな小さな火花では何のダメージも与えられない。
「いやぁ、本当にすげえよ、お前」
「こんな火花でもか? あんなんじゃ、火起こしの助けにもなるかどうか」
「だってお前、魔術語が読めたんだぞ!? とんでもない才能じゃないか! きっともうちょっと練習したら、まともな魔術が使えるようになる!」
練習ねぇ。あの火花は練習ごときで火球なり火柱なりに成長するのだろうか。仮にそうなるとしても、そのために一体どれほどの努力を要するのか。気が遠くなる話だ。
今世の俺は、根性論はもう捨てたのだ。根性の代わりに、少々頭を使ってみよう。
「ロイ、火を起こす時はどうやる?」
「何だ、藪から棒に。普通に錐揉みで火種を作って、藁とか木に着けてるよ。このあたりじゃ皆そうじゃないか? 金があれば火打ち石を買えるのにな」
そうだよな。異世界とは言え、物理法則は前世の世界とそう変わらないと考えて良いのだろう。
それならば、燃焼とは即ち物体の酸化だ。それにはいくつかの要素が欠かせない。可燃物と熱源、そして酸素——いわゆる燃焼の三要素だ。前世の義務教育で得た知識である。
仮に酸素はこの大気中に在るものとしよう。
《熱を生み出せ》という文言や、俺の体に生じた異常な熱さから、魔術で生み出したのは熱源だったと考えるのが自然だ。
肝心の可燃物は? 俺は自主的には用意していない。この魔術は三流の親父が描いたもの。可燃物の生成プログラムが備わっていないのだとしたら?
「掌から放出した熱エネルギーにより、このあばら家に漂う塵に対して酸化反応が起こった」
「何だ、ねぎ? 参加?」
「気にするな」
手近にあった乾いた落ち葉を数枚拾い、囲炉裏に投げ込む。右の掌を落ち葉の直上へ。左手は魔法陣へ。さあ、もう一度だ。
《Wärme erzeugen》
ぼっ
小さく音を立てて、落ち葉が燃え上がった。
「——成功だ」
まだまだ実戦には使えない。改良の余地はある。
それでも、前世の記憶は、現代人の知識は、魔術にも応用が効きそうだとわかった。
少し、希望が見えてきた。




