第39話 押しかけ女房と外堀
食っちゃ寝、寝ちゃあ強化魔術をかけ、と安静生活を5日ばかり送った頃、傷はほぼ塞がって痛みもなくなった。傷から菌が全身に回ったせいであろう発熱はその後も5日ほど続き、結局10日程もの間、俺はアナベルに安静を厳命されていた。
そして今朝、つい先程目が覚めたら遂に怠さが完全に消えていた。様子を見に来たアナベルが、ベッドの縁に左手を付き、身を乗り出して俺の顔を覗き込んだ体勢で、無遠慮に俺の額に右手を当てる。
「あっ、熱が下がったみたいだな。良かったぁ……!」
「もう大丈夫だって何日も前から言ってるじゃねえか」
「無理はいけないってずっと言ってただろう」
「だから大人しくしてたんだろうが」
「ふふ、よくできました」
「ガキ扱いすんな。お前のが歳下だろ」
こちとら元医者だ。安静にしてなきゃいけないかどうかなんて俺自身が1番わかってる。でも、うっかり少しでもフラついたらアナベルが泣きそうな顔で走ってくるから、つい必要以上に安静期間をとってしまった。
これで漸くいつも通りの生活に戻れる。安堵の溜息とともに寝床から降りようとしたその時、玄関のベルが鳴った。ロイかな?とアナベルがパタパタと階下へ走っていった。俺も部屋着のままのんびりと後を追う。
「お、アルフ。熱下がったかー」
「おう……なんで熱出てたの知ってんだ」
「アナベルちゃんに聞いたから。随分順調そうじゃん?」
「まあ、強化を使ってたからな」
「体調じゃなくて、2人の関係の話」
「ごふっ」
「アルフ!? 大丈夫!? やっぱりもう少し寝てた方がいいんじゃ……ほら、部屋に戻って」
「違う、今のは咳じゃねえ! 咽ただけだ!」
「いいから早く!」
すっかり過保護になったアナベルが、俺の背中をグイグイと押して階段に足を向けさせる。勘弁してくれ、もう寝たきりにはうんざりなんだ。抵抗すべく両足で軽くブレーキをかけつつ振り返ると、アナベルは眉根を下げて俺よりも青い顔をしていて、まるで何処にも行かないでと言わんばかりに不安げに服の裾を握っていて。全身全霊で心配を表現する姿に、また俺は文句を言えなくなった。
代わりに、向き直ってそっと服から手を外し、子供を宥めるように言い聞かせる。
「本当に大丈夫だから」
「本当だな? 信じるぞ?」
「俺、何だかんだお前に嘘ついたこと無くねえか」
「それは、そうかもしれないけど……気を遣って我慢しちゃうことはあるだろう」
「はぁ? ねえよそんなの。この俺様が気遣いとかしねえし。……だから安心しろよ」
頭に手をぽんと置こうとした時に、アナベルの向こう、玄関に立ったまま無言でこちらを見つめるロイが視界に入った。やべ、忘れてた。俊敏に手を翻して、何とか亜麻色を慰める前に回収できたけど、ニヤニヤしているロイとうっかり目が合ったから、何をしでかそうとしていたかは、多分バレている。
「そういう関係に収まったのか。よかったなー。素直になりだしたら早いんだな、アルフって」
「ちっげえっつーの!」
「そ、そういう関係って何!?」
「いやアナベルちゃん、そりゃどう見ても……え、違うの? その距離感で? 逆に意味不明なんだけど」
「ああもう放っとけ! 結局お前は何しに来たんだよ! 報奨金の話じゃねえのか」
不都合な話題はぶつ切りするに限る! 何しろこちとら、自認して間もない片想い期。繊細な時期なんだ。なし崩しで縮まった距離が、また変に意識されて空いても困るんだよ。デートの約束が反故になったらどうしてくれる。
幸い、聡いロイはスムーズに話題転換に乗ってくれた。
「あぁ、そうそう。金もだし、種々の手続きがあってさー。俺もさっき久々にギルドに行って、そしたらちょうど来てたんだよ」
「来てた? 誰が?」
「僕です」
薄く開いた玄関扉の向こうから、幼い声が聞こえた。ほぼ同時に扉が開き、見慣れた亜麻色が顔を出した。アナベルは俺の目の前にいるので、当然それはアナベルではなく。
「フレディ!」
「姉様! ご健勝そうで何よりです。 ……あっ! アルフさんですよね!? 初めまして。フレデリック・ベルローズと申します。この度は助けて頂きまして、本当にありがとうございました」
「おー、アナベル弟か。一人で来たのか? 無用心過ぎねえか」
「あ、いえ、一応護衛がこちらに」
フレデリックの背後には見覚えのある老兵とその部下が2人ばかり控えていた。確かに数年前までこの街の衛兵だったんだから、ここまでの護衛としてはベストチョイスだろうな。俺に好戦的な衛兵が来たらフレデリックごと追い返すところなので、その意味でも彼を護衛として選んだのは慧眼である。
「なるほど、有能だな。それに、もう普通に動けんのか。あの環境で衰弱してねえとはやるじゃねえか」
「これでも騎士の息子ですから。……と言いつつ、情けないところをお見せしてしまったのですが……」
恥じ入る様子を見せるが、見たところ10歳そこそこの子供だ。3ヶ月もヨシュアに囚われていたのに心を壊していないだけで立派なもんだろう。
「お陰様で財産や領地が大方戻ってきまして、畏れ多くも僕が永代の騎士爵に内定しました。叙爵は成人後なので、およそ8年後になりますが」
「おお」
良かったな、と口では言いながら、僅かに声が震えたかもしれない。アナベルはここに居たいと言っていたが、実情と国はそれを許すのだろうか。何より、アナベルのことだ。実の弟から必要とされたら、全力で応えに行ってしまうと思う。俺の手をすり抜けて。
「成人までの間は、伯父が後見人を務めることになりました。母の兄で、平民ですが大店の主で頭も切れるので。伯父の勧めで、ギルドに後付けで僕の救出依頼を出しまして、先程ロイさんに受領手続きをして貰いました。心ばかりですが報酬を預けてありますから、お体が良くなったらギルドにお聞きください」
後見人まで既に内定しているらしいことに、内心胸を撫で下ろす。アナベルが家に帰らねばならない理由が1つ減った。
そしてそれはそれとして、金の話が出るとは驚きだ。フレデリック、歳の割に有能が過ぎねえか。しかし仮にもアナベルの弟から無闇に巻き上げるつもりはないわけで。
「要らん要らん。俺らが好きにやったことなんだから、お前みたいなガキが気を回すことじゃねえよ。それこそ国から報奨金が出るだろうし」
「僕のお金ではなく、父母が遺した家のものですから……本来は姉様が継ぐべきなのに、力及ばずそれが出来なかったので、僕からのせめてもの償いなのです」
ここで明確に、アナベルが家に帰らない、帰れないのが共通認識だと把握した。なるほど? やっぱりお前は有能なようだな、フレデリック。安堵がそのまま余裕になり、心穏やかに金を辞退してみせる。
「けど家の立て直しにも金がかかんだろ? ガキが無理するもんじゃねえぞ」
「仰る通りで、流石にぴったり半分お渡しする訳にもいかず、全体から見たら微々たるものです。ですからどうか」
「つってもなぁ」
「どうか持参金と思ってお受け取りください」
「は、はぁ!?」
大人の余裕が何やら聞き慣れない言葉であえなくぶっ潰された。持参金。持参金!? あの、女が嫁ぎ先に持ってくっていう、……はぁ!?
隣を見れば、アナベルもぼんっと真っ赤に沸騰していた。
「ふ、フレディ! 私とアルフはそういう訳じゃないんだよ」
「ええ……? 半ば無理やり伯父さんを説得して家を飛び出しておいて……? よくよく聞けばアルフさんと同棲しているというから、姉様が家を出た日には、こんなに早く嫁に行くなんて、って伯父さんも黄昏れていて」
「嫁っ!?」
予想の外、理想の数歩先を行く単語の羅列に頭が熱いを通り越して痛くなる。アナベルだって頓狂な声と震えが止まらない様子だ。俺達の動揺に悪びれもせず、フレデリックはぺこりと礼儀正しく頭を下げた。
「お転婆ではあったけど、まさか押しかけ女房になるとは……と。アルフさん、どうぞ姉のこと、よろしくお願いします」
「そっ、そういうんじゃないから!」
「~~~そういうんじゃねえって!」
耳までそっくり赤く染まった2つの声が、重なりあってこだました。




