第37話 ただいまとおかえり
そこからの衛兵達の仕事は早かった。
アナベル……本名リリアンナ・ベルローズとその弟フレディことフレデリック・ベルローズ、および攫われて監禁されていた数十人の「商品」達を保護して馬車で街に搬送。
ホフマン親子とゴロツキ共も、改めて縛り上げ直してから、騎士団が待つ街の牢へと粛々と護送して行った。
ものの2時間程度で実況見分と撤収作業が終わり、俺達にも退室許可が下りた。この後騎士が合流して、更なる取調べが行われるらしい。
「ご苦労だったな。後日ギルド経由で報奨金を配当する」
「おー、やったなアルフ」
「ないよりマシだな」
「ん、というか、お前達だいぶ怪我をしているな。憲兵病院まで送るか? 褒賞の一貫で無料で治療が受けられるぞ」
「いらん。お偉いさんのお膝元にいたら治るもんも治んねえよ」
「はは、そうか。ではさっさと出ていけ。俺達は客どもを待ち伏せないといけないから、ここに居座られると邪魔なんだ。ああ、街まで馬は使っていいが、詰所に返しておけよ」
やはりあの団長は当たりだったな。魔術師に馬を貸してくれる衛兵なんて普通いない。っつーか、律儀に借り物を返す魔術師がいない。たぶん俺だって、相手が衛兵じゃなかったらこのまま自宅まで直帰して、馬は借りパクする。
ま、そうするとアナベルを託した衛兵団が騎士からお咎めを受けることになるだろうから、今回ばかりは世にも珍しい「律儀な魔術師」になってやるんだが。
かくして俺とロイは最寄りの街で折角の馬を手放して、自分の街まで乗合馬車で1日揺られ、ほぼ3日かけて漸く自宅の2階に辿り着いた。
この数ヶ月ですっかり変わってしまった、体に馴染んでしまった自宅の匂いの中で、ベッドに倒れ込む。階下からは、当然、何の物音も気配もしない。
静かだな。疲れた。今は何も考えたくない。
それを一刻も早く忘れられる様に願いながら、俺は泥のような眠りについた。
***
傷の痛みの他、凄まじい喉の乾きと空腹に襲われて目を覚ます。窓から差し込む光の加減で、恐らく今は昼前なのだとわかるが、眠った翌日の昼なのか、数日経っているのかはわからない。
とにかくこの飢えと渇きを癒したくて、しかし家には水すら無かったから、怠い体を引きずって外に出る。
手近な店で水と食い物を注文しがてら日付を聞くと、どうも俺は丸2日眠っていたらしい。脱水で倒れなくてよかった。
腹が満ち、痛みを紛らわすために酒なんかも少し入れて、まずまずの上機嫌で店を後にする。帰り道には市場に寄って、数日分の食料を買い溜める。
だってこうして歩いてみたら、かなり、凄く、頭と背中が痛えんだもん。あと、何だか熱っぽい。傷が治りきってないのと、たぶん化膿してんなこりゃ……。暫く食っちゃ寝生活で、強化かけまくって治さねえとダメだわ。
ある程度の保存がきいて、なおかつベッドでそのまま食えるもの。ということで、パンとオレンジと干し肉ぐらいを適当に紙袋に詰めてもらい、帰路を急ぐ。とにかく早く横になりたい。今は痩せ我慢する理由なんてねえからな。
「痩せ我慢……」
もう手の届かないそれを思い出しそうになって、頭を振ったら後頭部がまた酷く痛んだ。ちくしょう、ロクなもんじゃねえな、恋とやらは。良かったはずの気分は途端にどん底に落ちた。
フラフラと自室のベッドに戻り、乱暴に倒れ込んで惰眠を貪る。あー、風呂入りてえな……けど今は動けねえわ……我ながら臭えだろうな。
こうしていたら、この数ヶ月でやたらと甘くなったこの家の匂いも、だんだん俺の臭え体臭に戻んのかな。
うとうとと甘くて苦い夢を揺蕩っていたら、控えめに1回、リンと玄関のベルが鳴らされた。
「んだよ、今日に限って……。ロイか?」
この家に訪ねてくる奴なんてロイくらいしかいないわけで、となると褒賞金の話かもしれないので、重い体を引きずって玄関に降りる。
――その時、俺が開ける前に、独りでに鍵が開いた。
「っ!?」
瞬時に寝惚けた頭が冷え、扉から距離を取る。当然ながらロイはこの家の鍵なんて持ってない。何者だ!?
しかし次の瞬間、警戒と似ても似つかぬ柔らかな亜麻色が視界に飛び込んできた。
「アルフ! ただいま!」
「え――?」
開いた扉の隙間からひょっこりと顔を出したのは、アナベルだった。
「な、な、ななんで」
「え、事情聴取が終わったから、帰ってきたんだけど……」
「説明になってねえよ! え、まさか財産戻って来なかったのか!? 」
「まだ国からの沙汰待ちだけど、十中八九返ってくるって。爵位も、将来的に弟を騎士爵にしてくれそうだ」
「じゃあこんなとこに来てる場合かよ! 人に見られる前にさっさと帰れ」
「えっ、来ちゃダメだった……?」
金色が悲しげに揺れる。違う、そうじゃない。そうじゃないんだけど。
「……っ良いとこのお嬢が魔術師の家にいるなんて知られたらやべえだろ」
「あの、ここに居たら、迷惑?」
「違う! 俺の問題じゃなくて、お前これから騎士爵代理として上流階級に顔出しするだろ? その時に、俺なんかと繋がりがあったとバレたら問題なんじゃねえの」
「あぁ、そういう」
俺の言葉を聞き終わると、アナベルはあからさまに安堵の表情を浮かべた。
何で今更俺の事情を気にするんだ。本来なら口も聞けないような立場の違いがあるのに。正義の味方の騎士様は、悪党の気持ちなんて慮ってはいけないのに。
きゅうと痛んだ胸を抑える。またあの狭心痛かよ。――何てな、さすがにもう知ってる。これが心筋梗塞なんかよりもっとタチの悪いものだってことくらい。
ほんと、ロクなもんじゃねえな。片想いなんて。
「私は家には戻らないよ」
「……???」
俺の苦悩を他所に、アナベルはあっけらかんと続けた。
「最終的な手続きは目下進めてるとこだけど、リリアンナはベルローズ男爵家の系譜には乗らないんだよ」
「……なんで……戻りてえって言ってただろ」
「『戻れない』とも言ったよ」
「そりゃあの時はな?」
「私が戻りたかったのは、ただ家族揃って幸せに過ごしていた日々のことだ。それにはどうやったって戻れないだろう? 今更、何も知らずに笑っていられないよ」
金色が強く輝く。ああ、この眼だ。優しいだけじゃない。何もかも飲み込んで、乗り越えて、なお前に進む瞳。
「私はこの数ヶ月で人をたくさん殺しているから……そんな人間、というか女が、貴族階級に入る訳にはいかない」
「――っそんなのお前の落ち度じゃねえだろ」
生き延びるためで、仇を討つためで、その集大成が今回の大手柄なんじゃねえか。弟の叙爵は確定的なのに、真に活躍したアナベルは爪弾きなのかよ。こんな所で男尊女卑か。お貴族様とやらも随分低俗なもんだ。
「俺に無理矢理やらされてたことにするとか……ああでもそれじゃ結局外聞が悪いな、えーと、でもそんなのきっといくらでもやりようがある」
「いいんだ、アルフ。ありがとう」
「諦めんなって!」
「諦めじゃないよ」
頭を悩ませ掻きむしる俺を、下から覗き込むようにアナベルが見上げる。
うわっ、近っ――距離感に焦って泳いだ俺の視線と至近距離でばっちりとかち合った金色は、諦めでも強がりでなく、むしろ満足そうに細められていた。
「あのね、アルフ。私、ここに帰ってきたかったんだよ」
「は……」
「あの日々に戻りたい気持ちがあるのは否定しない。でもそれより、アルフの家に帰りたいって思った」
じわ、冷えきっていた内臓が解凍されるような、ようやく息が吸えたような奇妙な感覚。そのくせ胸はさらに苦しい。顔が火照る。
「だから、私をまた傍に置いて欲しい」
本当にこいつは、いつもいつも――あまりにも真っ直ぐ、ノーガードで体当たりしてきやがる。付き合わされるこちらの身にもなれ。心臓がいくつあったってもたねえよ。
「俺、平民。その中でも孤児上がりの傭兵、しかも魔術師。ゴミみたいな身分」
「前半は知ってるけど、アルフはゴミじゃない。もう一度でも言ったら怒るぞ」
「本気で貴族籍捨てて、こっちに来る気なの」
「うん」
金色はぶれない。こうなれば、俺も覚悟を決めねえと。
「じゃあ、ここにいろ。気が済むまで。嫌になってもそう簡単にはクビにしてやらねえ。後悔しても知らねえからな」
「うん!」
せっかく逃げ出せた魔術師の巣にノコノコ帰ってきた騎士は、あまりにも嬉しそうに笑ってみせた。
「アナベル」
「ん?」
「――おかえり」
「! ただいま!」




