第36話 大団円と別離
急いで手を回収しようとしたのに、あろうことかアナベルはそっとそれに自分の手を重ね、するりと滑らせるように頬に落として擦り寄った。ふにふにした頬の感触と、否が応にも目に入る桜色の唇が、突如俺に先刻の行為を思い出させた。
――やっべ、そうじゃん。こいつ、さっきの記憶ねえよな? え、謝るべき? 知らぬが仏?
柄にもなく冷や汗が頬を伝い、かと言って手を振り払うこともできず硬直している俺の耳に、控えめな声が届いた。
「あのぅ、姉様……?」
「!」
アナベルにも、いやアナベルにこそ、その声はきちんと届き、些か慌てたように俺の右手は開放された。そしてアナベルは軽やかに弟が待つ檻へと駆け寄る。
「フレディ!」
「姉様、姉様なのですね! ご無事で何よりです……!」
「フレディこそ! 怪我は? 体調は? 助けに来るのが遅くなってすまなかった。すぐにそこから出すよ。えーと」
「おら、鍵」
「! ありがとう、アルフ」
すっかり伸びているヨシュアの首から鍵を回収し、アナベルに向かって大きな放物線を描くようにパスしてやる。ついでにまだヨシュアに息があることを確かめて、カーテンを纏めていたロープで手足を縛っておいた。目が覚めた所でまともには動けないと思うが、またアナベルに近づかれてはどうにも面白くねえから。
檻から飛び出した弟――フレディと言ったか――は、姉に良く似た亜麻色の髪を揺らして、アナベルに飛びついた。アナベルはそれを全身で受け止め、また弟もアナベルの抱擁を全身で受け止めている。
――よかったな。
これにて大団円。折角の姉弟感動の再会に水を差すこともない。俺は未だ手を取り合って涙を流す亜麻色達を尻目に、後始末に奔走するのだった。
***
背中を庇いながら馬に跨る俺に向かって、横からロイが声をかけた。
「アルフ、本当に大丈夫か?」
「ギリギリだが、明後日には客が来ちまうんだろ? 急がねえと……今日中に街に辿り着けんのは俺だけだろ」
あの後、ロイを叩き起して屋敷内の物色に洒落込んだところ、中庭でのびていたジョゼフは、大怪我ながら辛うじて生きていた。ゴロツキ共は半数以上が死んでいたが、数名息があったものを縛り上げて一括りにしてある。その横に獣人の首を据えておいた。
フレディと同じ檻の中で震えていた、「目玉商品」たる若い女2人と、別室で見つけた「一般商品」らしき人々は、アナベル達と同じ部屋で待機させた。
これらをまとめて衛兵に引き渡そう。さすがの魔術師でも怪しさより手柄が勝つので、まともに調べてくれれば罪に問われないはずだ。
さらに探したところ、屋敷に馬車は1台しか無かった。この人数を引き連れて森を抜けるのは現実的でない。そこで代表者1人が少し街まで馬を走らせて、衛兵を連れてくることにした。
代表者……まあ、俺だよな。
俺も、いわゆる魔力……こういうとなんだかこそばゆいな。俺の場合、食い物から溜め込んだ熱量なわけだが、それはもう枯渇している。それでも、こう見えて内臓修復中のロイよりは馬を飛ばした際のダメージは少ないはずだ。
「悪いなー。じゃあこれ」
ロイは腰につけたポシェットから、ナッツを蜜で固めた菓子とビーフジャーキーの入った小袋を投げて寄越した。
「道すがら食えそうか? ないよりマシだろー」
「流石だな」
詳細を話したことは無いはずなのに、いつしかロイは「俺の非常食」として、ハイカロリーなものを常備するようになった。俺自身も多少の持ち合わせはあるのだが、如何せん戦っている間にどこかに行ってしまうことも多いので、この気遣いは素直にありがたい。早速菓子を1つ口に放り込み、ぼりぼり噛み砕きながら馬に跨る。
「たぶん帰りは明日の夕方以降になる」
「ああ。……なあ、アナベルちゃんと話しとかなくていいのかー?」
「……」
ここに戻ってくる時は、多分ぞろぞろと衛兵を連れた状態だ。そして、アナベルとフレディ姉弟は、今回の件の一番の被害者。つまり真っ先に衛兵に保護されることになる。
……そして、そのまま上流階級へと戻っていくだろう。最低限でも没収された父母の財産は戻ってくるし、今回の騒動の後処理としてフレディが叙爵される可能性も、高い。
「……住む世界が違えよ」
「だから最後に、話ぐらい」
「『商品』どもの顔みたか? 領主様のご令嬢が、身を挺して悪を挫いてくださった! とよ。正義の味方、英雄扱いだぞ。――あれなら、元に戻れる。あいつはまだ世間に愛されてる」
「アルフ……」
「したら、知られるわけにいかねえだろ。魔術師と組んでたなんて」
悪党に好かれてるなんて。
「じゃ、行ってくるわ」
「……頼むわー」
長年の付き合いだからこそ、傭兵の、魔術師の、底辺の現実をよく知っているロイだからこそ、それ以上は言い募らないでいてくれた。
余計な思いを振り払うように、俺は全速力で森を駆け抜けた。
***
夜半に街に辿り着き、即座に衛兵の詰所を叩いてみたら、めちゃくちゃ警戒されながらも一団が派遣されることが、割とすぐに決まった。
案内のために俺も新しい馬を与えられ、トンボ返りにまた森の屋敷を目指す。
「……」
「…………」
夜の森を駆ける道中、俺含めて20人弱の武装集団にほぼ会話はなかった。当然だ。衛兵は魔術師を捕縛することはない、というかできないがそれ故に恐れ嫌っているし、俺だって衛兵やら騎士やらは基本大嫌いである。
詰所に乗り込んだのが俺な時点で、そもそも事の顛末を信じてもらうのに相当根気がいると覚悟していた。事が事だけに先方も無視はできないだろうから、時間をかければ渋々でも着いてきてくれるだろうという目算で、明朝に出発できれば御の字と思っていた。
だが予想に反し、街に着いてからほんの1時間ほどで隊が編成され、こうしてまだ深夜と呼べる時刻に森を走っているわけだ。
――こいつが出てきてから、やたらと早く話が進んだんだよな。ちらりと隣を走る老兵を横目で見る。この街の衛兵の長らしい。なーんか、どこかで見たことあんだよなぁ。
訝しむ視線に気づいたのか、老兵がこちらを向く。やべ。
「……アルフ君、だったな」
「あ? ……そうだけど」
「君を捕えるどころか、こんな手柄をあげられてしまうはな」
「は? ……あ! ディックの時の!?」
幼い日、俺が初めて人を殺した日に駆けつけてきた衛兵の薄らぼんやりした面影に、目の前のヒゲ面が重なる。
「思い出してくれたか。5年ほど前にこの街に異動したんだよ。しかし、君の噂はここまで届いていた」
「あー、そりゃ、どうも……? 顔見知りのよしみで信じてくれたってわけか」
決して仲良く思い出話をするような仲ではないが、過去に上手く見逃してくれた実績から、何となくこちらの心理的ハードルが下がる。
「そんなところだ。君は、際どいことはやっているようだが、本気で騎士団が動くような悪事は働かないだろう」
「あの短時間で俺の履歴照会したのか?」
「いいや。噂は届いていたと言ったろう。活躍を追っていたんだよ」
「気持ち悪っ」
「幼気な子供が魔術師になったところに居合わせてしまったんだ。どうにも気になってな」
「……気持ち悪ぃって」
我ながら心底嫌そうな顔と声だったんだろう。でも団長サンは嫌な顔をせず、寧ろ朗らかに笑ってみせた。
「はは、そう言うな。今回のことも悪いようにはしない。君の無実は保証するし、なんならかなりの褒賞金も出るだろう」
「アナベル……あー、騎士爵の子供達はどうなる?」
「丁重に保護するよ。おそらく次の領主に据えられるだろうな。令息が騎士爵または男爵でで、成人するまでは姉である令嬢が代理人か」
「……よろしく頼むわ」
俺が頼む事じゃないんだろうけど。
でもこのくらいの我が物顔は許して欲しい。他の全てを諦めたんだから。
「あいわかった」
団長サンは、一瞬目を見開いて、嘲笑うでも窘めるでもなく、力強く頷いてくれた。やや脂を感じるその頬骨を朝日が照らす。
そこからは一切無言で馬を駆け、なんと俺達は昼過ぎに森の屋敷に辿り着いた。




