第34話 電撃魔術と心肺蘇生
自分は何か叫んだだろうか。転がるように、這うようにアナベルへ駆け寄る。
「っおい、アナベル!」
抱き起こしたその体はくたりと脱力して、顔には一切の血の気がなかった。何度も、何度も何度も見たことがあるその質感。死人の顔色。
「おい……っ!」
背筋が粟立つ。冷や汗が伝う。
恐る恐る、でも素早く頸動脈を探る。――脈を触れない。同時に呼吸を確認。していない。
「うわあああああ!!!」
半狂乱で胸骨圧迫を開始する。戦闘中? どうだっていい。数秒の遅れがアナベルを連れて行く。
「おほっ、気でも狂ったか? その女がお前らの攻撃の中核なんだもんなァ。それがやられちまったら自分も死ぬってのはてめェらみたいなゴミクズにもわかるんだな」
「ハッ、ハッ、ハァッ」
「あァそれとも、てめェの女だったか。にしても、女抱いたこともねェのか? 随分乱暴な乳の揉み方じゃねェか、ひゃはははは」
獣人は気分良さそうに、腹を抱えて笑っている。好きに笑え。1分でも、30秒でも、攻撃の手が緩むならなんだっていい。
しかし、胸骨圧迫では心拍が戻らない。おそらくは外傷性の心室細動か。くそっ、ここが現代日本なら、AEDの1つだけでもあれば、助かるのに……!
除細動が、電気が使えれば!!
《ミトコンドリア……電子伝達系……電子を空中に放出したら電撃か? んな簡単に放電できねえよなぁ》
数週間前の、なんて事ない思いつきを呟いた記憶が蘇る。悪党ディックのように、離れたところに電撃を落とす方法は、あの時も今も思いつかないけれど。
「除細動っ、なんだから、接触、してて、いいんっ、だよなっ」
胸骨圧迫の手は緩めることなく、確かに生まれたその希望に縋る。
雷じゃなくていい。原理としては、静電気でいいんだ。腕の中のこいつに届けばいいんだから。
「《Elektronen erzeugen》」
身体強化に似た感覚。当然だな。エネルギーを生み出す過程で産生されるモノを使おうってんだから。使うのは、電子。マイナス荷電の正体だ。
一方で人間の皮膚はプラスに帯電しやすい。特にウールなんかで擦ればすぐにプラスに傾く。アナベルは今、毛糸で編まれたストールを首元に巻いている。柔らかい白の、俺があげた。
「使ってくれてありがとよ」
砕けた胸当てを外し、ブラウスの前を開いてストールで擦る。そこに右手をあてがい、さらに背中に腕を回したら、背中のブラウスは先程叩きつけられた際に既に破けていた。
「は、協力的なこって。
悪ぃな、アナベル。たぶん痛えぞ」
両手の10本の指先に、ありったけの電気を集め――
パチ。
情けない静電気の音。アナベルの胸に当てた右親指から電子を放った音だ。プラスに引かれて放電されるが、こんなんじゃ人の心臓は動かない。でも。
続いて背中に当てた左の親指から、即座にまた電子を流し込む。次は胸に当てた右人差し指から――アナベルの心臓が正常な動きを思い出すまで、マイクロ秒以下単位の一瞬で、何百何千とでも微細な放電を繰り返す。
――もっと。
――もっと、早く!
心房細動に当てる除細動は、物によるが最低120ジュールほどのエネルギー。こんな静電気で生み出せるのは、多くて30ミリジュール程度だったか。魔術で生み出しているから、謎の補正で普通の静電気よりは強いかもしれないが、それでも1000回分は必要だろう。
放電する傍から、体内から指先へ電子を動員する。反応速度を上げるため、強化と放電を併用する。2つの魔術の相性は良いとはいえ、同じリソースを酷使するわけで、全身が悲鳴を上げる。
「ガハッ」
鼻血が噴き出す。いや、吐血か? 頭も指も全身の筋肉も灼き切れそうだ。でも、たった千回、ただこの一瞬、歯を食いしばれば。
――こいつを救える可能性が1パーセントでもあるのなら。
「頼む! 戻ってこい……! 頼む!!!!!」
ドン!
びく!
小さな小さな放電の集合は、さながら落雷ように響いて、呼応するようにアナベルの体が跳ねた。期待を込めて顔に目をやれば、程なく血の気が戻る。
ROSC!
しかしまだ安心は出来ない。呼吸は停止したままだ。
「お? 諦めたか? いやァ、面白ェもん見せてもらったわ。腹痛てェ」
その時、目尻の涙を拭いながら、獣人がこちらに向いた。まずい。
「お陰で冷静になれたよ。女を殺しちまったのは失態だが、そのぶんおまえはしっかり殺さねェとな」
物騒に爪を構えているのを、目の端でしっかり確認した。冷静さを取り戻した上で強い殺意を抱えたあれから、アナベルを抱えて逃げ回るのは不可能だろう。
というか、アナベルは呼吸が止まったままだ。爪から逃れたとて、モタモタしていたら死んでしまう。
「命乞いもナシか? つっまんねェな」
結論。獣人に構っている暇はない。
「何度も悪ぃな、アナベル。嫌だろうけど、それならさっさと起きて俺を殴れよ」
小さく囁いて、アナベルの唇を覆うように、自らのそれを乗せた。




