第32話 侮辱と衝動②
ちらとアナベルの状態を確認すると、臨戦態勢で剣呑な、でも冷静な金色の端に、僅かな水の痕跡。
ザワリ、下がっていた溜飲がまたせり上がる。
「《Energie erzeugen》」
身体強化をかけ直す。持てる全てのミトコンドリアを動員。セーブする必要は無い。獅子は見るからに本気で相手しなければならない手練だし、ド屑野郎を殴るのに手加減する必要もないからだ。
「貴様ら、まとめて始末……む!? 待て、お前……リリアンナか!?」
「!?」
開戦の合図となるはずだったヨシュアの台詞が、途中で間抜けに萎んだ。身構える俺たちと、ぽかんとする獣人。対するヨシュアはまさに破顔一笑、ご機嫌にアナベルの全身を舐めるように観察している。
「その刀身の模様、それによく見ればその瞳……覚えているぞ。おお、おお、そうか、生きておったか」
ヨシュアは立ち上がり、俺達へ、いやアナベルへ数歩迫る。アナベルは一瞬息を飲んで、でも直ぐに呼吸を整え、覆面を取って俺とロイの前に出た。
「ヨシュアおじ様。なぜあのようなことを……」
「ははは。お前の父などより、私の方が金も人脈もある。その地位に相応しい。だから奪おうとしたまで」
「それだけで、母様を殺してまで!? 貴方には、人の心がないのかっ……!? 」
「……バカな女だった。何度もチャンスを与えたものを無碍にして」
「母様は良き騎士爵夫人で、まぎれもない才媛だった! 侮辱は許さない」
「そんなことは儂の方が知っているよ。……それよりお前はこの数ヶ月どうしていたのだ。冒険者に身をやつしていたか」
「っああそうだ! 弟を助け出し、両親の仇を討つため、お前をその座から引きずり下ろすために!」
アナベルは震える声で怒りをぶつけるが、ヨシュアは意に介さずアナベルへの歩みを止めない。
「仮にも貴族の娘が冒険者など、辛かったろう。そいつらの慰み者として拾われたのか」
「っ! ちがう、2人はそういう人じゃない」
「強がるな。さあ、武器を捨てて、儂のところに来なさい。儂に従うならば、慣れた屋敷で、不自由ない生活をさせてやるぞ。弟も売らないでやってもいい」
「断る!」
「迷うことがあるか? 弟を助けたいだろう?」
ヨシュアは上着のポケットに手を突っ込むと、鈍く銀に光る何かを取り出した。
「弟の檻の鍵だ。武器と交換しようじゃないか」
「なっ……」
「旦那ァ、やめとけよ。こんなの身中に置いたら、そのうち床の中で殺されちまうよ」
売ると言ったり、手元に置くと言ったり、ヨシュアの言い分はめちゃくちゃだ。一貫しているのは、アナベルにだけ向ける、舐め回すような視線だけ。
「躾ければいい」
「いやァ、売り飛ばして金にした方が……」
「黙れ! この娘は手放さん!」
ジリジリと近づいてきたヨシュアは、もう手を伸ばせばアナベルの剣先に触れる程の距離にいた。仮にも抜刀している傭兵の間合いの中にいるのに、ヨシュアの目に恐れはなく、ただただ狂った色に染まっている。
「さあ、儂のものに」
ヨシュアがさらに躙り寄る。切り伏せればいい。鍵を奪えばいい。アナベルにはそれだけの実力がある。弟の救出と仇討ちはアナベルの悲願で、目の前にその機会があるならば、俺はできる限り手を出すべきではない。
けれど。
「い、いやっ……」
「……っ!」
やっとのことで漏らされた、弱々しい拒絶が鼓膜を揺らしたから。
「てめえのじゃねえっ俺のもんだ!!!」
――目の前が赤く染まって、自分が何を口走ってるかもわからないうちに、ヨシュアが吹っ飛んでいた。どしゃり。
1拍遅れて、先程ジョゼフが割り落ちていった窓の近くに、すっかり顔面のひしゃげたヨシュアが落っこちた。チッ、惜しい。あいつも落ちればよかったのに。殴るベクトルを間違えたな。
「あ、アアアアルフ……?」
「手ぇ出しちまった。悪ぃ」
「いや、えっと、それは良い……ありがとう。けど、あの」
「なんだよ」
なんだろう。アナベルが、何やらそわそわしている。俺は何かやらかしたのか。
……やらかした記憶がうっすらあるけれど、しっかり認識したら負けなのもわかるから、アナベルにも俺自身にも気づかないフリを押し通す。
「……お前そんな熱い男だったんだなー……」
「は? 何が?」
「いやだってさっき『俺のも」
「あーあーあーもー」
「え、 アナベルちゃんも聞いたよね?」
「……聞いた」
「やめろ。気のせいだ」
「気のせい……そ、そっか……そうだよね……」
「うわぁ。それはないわー」
「じゃあどうしろと!?」
記憶は曖昧だが、反芻されていいような、胸を張れる単語じゃなかった。ヨシュアが「ワシのものにー」とか何とか言ってるのが気に食わなさすぎて、たぶんそれで。
ていうか、ヨシュアにそれを言われて怯えてるアナベルに聞かせる言葉としては最悪手に近くないか? だからもう思い出させないで欲しい。俺にも、こいつにも。
「それはアナベルちゃん次第だろー。ねぇ」
「わ、私は、その、困るような、嬉しいような……」
「真面目に答えなくていい! 」
「あっ、2人とも、イチャつくのはそのくらいにしてもらって、アイツをどうにかしないと」
「イチャついてねえって! ……けどま、そうだったな」
こんなに緊張感のない幕間を挟めるような相手では本来無いはずの敵が、すぐそこにいるんだった。




