第31話 侮辱と衝動①
扉の中は、造りとしては執務室なんだろうが、普段は使われていない屋敷だけあってガランとしていた。置いてあるのは扉の正面に簡素なテーブルとやけに豪奢な執務椅子、そしてその向かって右、部屋の奥に誂られた大きな鉄格子の檻だけだ。
執務椅子には小太りの男が座っている。歳の頃は50半ばか。絵に描いたような昔ながらの貴族服に身を包み、葉巻を燻らせる。――こいつが、ヨシュア。
「やっと来たか。儂が貴様らの雇い主だ。給金のぶん、しっかり働くように。あぁ、密告しようとて無駄だぞ。これから当日まで、貴様らはしっかりと見張らせてもらうからな」
「……ンなことハナから考えちゃいねえよ」
「ふん。まあ、魔術師が衛兵に擦り寄るような真似をするわけがなかったか」
いかにも傲慢にヨシュアが鼻を鳴らす。あー、ムカつく。直視していたら目が腐りそうだから、部屋の奥へと目線を滑らせたら人影がもう1つ。檻の前に腕を組んで仁王立ちしている獅子の獣人がいた。3メートル近い長身と、それに見合うだけのガタイを兼ね揃えた、いかにもな強者だ。毛むくじゃらと簡素な鎧の下に、はち切れんばかりの筋肉が存在感を示している。
そして獣人が見下ろす檻の中に、小さく震えるいくつかの塊が見えた。アナベルが僅かに身じろいだ。
俺の視線に気づいたらしいヨシュアが続けた。
「あれも用心棒だ。他にも色々と声をかけたがな、最近は腰抜けばかりで、結局名のある傭兵は貴様と獅子だけよ。全く忌々しい」
「へえ。他にも俺みたいなのの1人2人はいるもんだと思ってたが」
「誰が好き好んで魔術師などを飼うものか。剣士や戦士がよかったが、それらが生意気にも依頼を蹴ってきよったのだ。して、やむを得ずお前を雇っただけのこと。これ以上抱えて制御出来なくなっても困る」
胡乱げな顔で、ヨシュアはしっしっと追い払うように手を振る。
おいおい、まさか数いる……いや、そんなにはいねえが、数人はコンタクトが取れる傭兵やってる魔術師がいるだろう中で、最初に俺に声を掛けたのかよ。最悪だ。我ながら運が悪すぎる。
苛立ちのままに懸念を吐き捨ててやる。
「……その『断った剣士』だのから事が露見するんじゃねえのか」
「ふん、全て始末してあるに決まっておろう」
「そいつらぜんぶ名のある傭兵だったんだろ? よくこの短期間に処理できたな」
「獅子は夜目が効くでな」
つまり闇討ちした、と。それはそうだ。24時間守りを貫くことなどできる訳もない。断った連中は余程のバカか自信家か、それとも正義感に溢れた奴らだったのか。しかしまあいずれにせよ、殺される程の落ち度はないはずで、ヨシュアへの嫌悪がまた増える。
「あ奴らのせいで、魔術師のような爪弾きを身の内に引き入れる羽目になったわ」
「随分な言い草じゃねえか」
「魔術師なぞ、よりにもよって奇跡の御業を掠め取って人を殺める悪鬼ばかりだろう? 恐ろしい恐ろしい」
「……違いねえ。が、そう言うからにはあんたは意外にも敬虔な教会の信者なんだな?」
ふ、とヨシュアは口の端から馬鹿にしたような笑いを漏らす。
「ふはは。そんなもの、信じる価値もあるまいよ。儂の知人に、神への祈りを朝晩欠かさなかった男がいるのだがな、あっけなく騙され、全てを失いおった。神とやらが本当にいるなら、随分と無慈悲な存在じゃないか」
「……そこは同感だが」
その男というのは、つまり。
「ああ、面白いものを見せてやろう。獅子、少し横にどけ。坊主の顔がよく見えるようにな」
「あいよ、旦那」
檻の真ん前に仁王立ちしていた獣人が、その巨躯を横にずらしたことで、囚われている人々が見えるようになる。中には少年とも少女ともつかない、アナベルと同じ亜麻色の髪をした美しい子供が1人と、若い女が2人。
「あの坊主は、その男の跡取り息子でな。中々綺麗な顔をしているだろう。どさくさに紛れて、獅子に攫わせた。これから儂の小遣いになってくれるというわけだ」
「こーんなナヨナヨした坊ちゃんがなんで高値で売れんのか、俺にはさっぱりわかんねぇんだがなァ」
ガン! 獣人が檻を蹴る。でかい足が少年の顔の高さに当たったものだから、少年はびくりと震えて涙目で蹲った。
アナベルが右手を剣の柄に向ける気配がする。その動きを俺とロイでさりげなく隠す。俺ですら苛立ちが止まらないのだ、アナベルの心情は如何ばかりか。だが、まだ動くな。まだ早い。できれば相手方の戦力とあの檻の鍵の在処を把握してから――
「本当は坊主の姉が欲しかったのだがな」
ぽつり。ヨシュアの口から零れ落ちたその一文が、ねっとりと耳に纏わりついた。
「無駄に剣が使えるせいで逃がしよった」
「へへ、すまねえな、旦那。とんだじゃじゃ馬、いやまるで山猿だったぜ。」
「確かに礼儀も作法も知らぬ山猿だったが、見目は申し分ないであろう? 大人しく座ってさえいれば、……ジョゼフの趣味ではなかったようだが」
「私は父上と違って、従順で、かつ艶やかな女が好みなのです。あいつは色気も胸も尻もまるで足りませんね」
「ああいう娘ほど、躾けてやれば従順に腰を振るものよ。あの娘が、儂に――あぁ、手に入れる好機だったのに。息子の中古品というのは少々気に食わんがな、ははは」
「まだ新品ですよ。猿らしく発情していましたから、あのまま飼っていたら間もなく自ら股を開いたでしょうがっぶえ……っ!?」
ばきっ!
パリーン!
小気味の良い効果音をあげて、片頬がひしゃげたジョゼフが窓の外へと落ちていった。
理由は、俺が殴ったからだ。
――あー、やっちまった。こんな正面切って喧嘩売るつもりはなかったんだがなぁ。
「貴様ら!?」
「何やってんだよ……」
怒るヨシュアに、呆れるロイ。悪かったって。でも、だって、ホフマン親子が下劣な言葉を重ねる度、アナベルの吐息が震えていくのを背中で感じてしまったから。
「悪ぃ。身体が勝手に」
「アルフがこんなに熱血漢だなんて知らなかったなー」
「うるせえ」
「こんな真似してタダで済むとは思ってないだろうな!? 獅子!」
「おうよ!」
ヨシュアの命令に獣人は俺達に向き直り、鋭い爪を構える。呼応するようにロイが弓を構え、背後でアナベルも抜刀したのがわかった。




