第29話 重罪と仇
「うわ! おま、なんでここに、いつから聞いてた!?」
「剣の手入れに来たら、2人がいたから。聞こえたのは『俺達だけで』っていうのだけだよ」
「だってさアルフ、せっかくならもう少し前から聞いてもらえば株が上がっただろうになー」
「黙れ。……あー、アナベル、まあ聞いての通りだ。断れない依頼が入ったんだが、これはお前には向かない。俺とロイだけで行く」
ひゅ、アナベルが僅かに息を飲む。何故だ理不尽だとキンキン喚くかと思いきや、アナベルは声のトーンを落として一言だけ発した。
「理由を聞きたい」
「……重罪の片棒を担ぐ内容だ。騎士と戦う羽目になんぞ」
「なっ!? ……2人は加担する気か!?」
「正直割には合わねえ。けど、断るなり怪しい動きを見せたら消されると思う。だからお前は」
「アルフたちだけ危険な目に遭わせて、私だけ逃げろと? 」
「隙を見て何とか通報する役目だと思え。お前が上手く動けば俺達がお縄にならずに済む。な?」
「しかし……いや、まずは内容を聞こう。この手紙が依頼状か」
「っ待て!」
アナベルはテーブルの上の封筒に手を伸ばす。すんでのところで手紙に触れされることなく回収できた。
「何をするんだ。通報しろと言うならきちんと内容を教えてくれ」
「いや、それは……」
「依頼主は」
「とある新興の男爵だ」
「! まさか、ヨシュア・ホフマンか」
「な、」
「すまない。イニシャルが見えたから」
手紙の裏に記されたイニシャルを、俺が手紙をひったくったあの一瞬で捉えたのか!? これが稀代の剣士の動体視力。
人間離れしたそれに恐怖すら覚え、ついアナベルの眼を覗くと、いつもの金色は、初めて見る剣呑とした輝きを孕んでいて、余計に驚かされた。
「ど、どうし――」
「口にするのもおぞましいが、奴隷売買が関連する依頼か」
「!」
「そうなんだな。ならば私も絶対に同行する。いや、寧ろ行くのは私だけでいい。もしアルフやロイに刺客を差し向けるというなら、それごと斬り捨ててくる」
「ンなわけにいくか! 本当にどうした、お前らしくねえぞ」
「あいつだけは絶対に放置できないんだ。それに……弟が……」
「……事情があるのはわかった。だがちょっと落ち着け。ここじゃ長話は目立つから、とりあえず家に帰んぞ」
万が一にでも、ホフマン男爵の手の者にこちらの考えを聞かせる訳にはいかないのだ。今のところ近くで聞き耳を立てている輩はいなそうだが、これ以上の話は安全な場所で行うべきだろう。
ギルドから程近い自宅に戻り、しっかりと施錠をした上で、アナベルは過去を語りだした。
***
アナベルは騎士爵家の長女だった。武功を立てたことで1代限り、最低位だが爵位を賜った父と、裕福な商家の長女だった母の、恋愛結婚の末に生まれた娘。年の離れた弟とともに、両親から惜しみない愛情を受けて育った。
父のみの騎士爵位なので、アナベルも弟も身分としては平民だ。だから将来どうにでも身を立てられるように、と、父母は教育を惜しまなかった。語学や歴史、算術はもちろん、剣術や体術を父から、家事全般を母から叩き込まれた。
アナベルとしては体を動かすのが1番好きで、とりわけ剣術は同年代の令息たちにも負けたことがなかった。両親はよく、「お前が男だったら、何かしらの武功を立てて騎士爵を継承できたかもしれないのに」と惜しんでいた。
とはいえ仮にも女の身。剣の道に無謀に邁進するのではなく、愛し愛される喜びを知って欲しいと、数年前に婚約が整えられた。
婚約者は、幼なじみのジョゼフ・ホフマンだった。ジョゼフは父様の昔馴染みの武器商人、「ヨシュアおじ様」の息子で、度々家に遊びに来ては、アナベルのことを大切な宝物を扱うように接してくれる人だった。ぼんやりと「こんな人と結婚したら幸せなんだろうな」と思っている相手だったから、婚約自体は嬉しかった。あまりに仄かでアナベル自身にもわからなかったけど、たぶん初恋だった。
でも、あの日。
全てが終わった。
あの日は、朝からヨシュアおじ様とジョゼフが家に遊びに来ていた。おじ様は父様と商談があるんだと執務室に消えていった。家の経理を担当している母様も一緒に入っていったから、アナベルはジョゼフとデートの真似事をするつもりだった。
めいっぱい可愛い服を着て、焼きたてのクッキーをバスケットに詰めて、ジョゼフが待つ東屋に向かった。そうしたら――メイドの1人、よりによってアナベル付きの者と、「たまたま」では済まされないほど親密な距離で睦み合っているジョゼフを、見てしまった。
ジョゼフはアナベルに気づいても、メイドを膝に乗せたまま、その唇や首筋を食みながら、悪びれもせずに言った。
「貧相でガサツなお子様に興味はない」
「爵位が欲しいから耐えていた」
「未来の男爵夫人はこの女だ」と。
おかしな話だと思った。アナベルと結婚したって爵位は継げないし、父の存命中に別途功績を挙げて永代爵に昇格したとしても、滅多なことでは男爵に陞爵することはない。
きっと何もかも、何かの間違いだ。軋む心を奮い立たせて、ヨシュアに追い縋った。
そうしたら、こちらを心底見下した顔でたった一言。
「本当に馬鹿な親子だな」
その言葉が終わるや否や、正門から騎士と衛兵がなだれ込んで来た。父が謀反を企てている疑いがあると、口々に叫びながら。
清廉潔白な人間だった父は、騎士たちを丁寧に出迎え、どうぞ調べてくれと自ら捕縛され、連れていかれた。
アナベルは執務室にいるであろう母の元に走った。重い扉を開け放した瞬間、ぴしゃり、生暖かい液体が顔に飛散してきた。
見たこともない、体高2mはゆうに超える獅子の獣人が、母の心臓をその鋭い爪で貫いたところだった。母様の華奢な背中から、血に塗れた毛むくじゃらの手が生えていた。
背後から衛兵の足音が聞こえて、獣人は母を無造作に捨てると、窓から中庭の方へ逃げていった。母様に駆け寄ったけど、当たり前だけど、もう息をしていなかった。
震える足を殴りつけて、弟の元へ走った。確か中庭で遊んでいたはずだ。執務室の壁にかかっていた飾り剣を拝借して飛び出した。
果たしてそこに弟はいた。意識はなく、獣人の小脇にだらんと抱えられていた。獣人はアナベルが追いかけてきたのに気づくと、ニヤリと嬉しそうに笑って、襲いかかってきた。爪をまず警戒したけど、なぜか爪は出ていなくて、首や鳩尾を狙った拳ばかり飛んできた。
――気絶させて、攫おうとしてる!?
狙いに気づいて反撃に出ようとしたが、弟がぶら下がっている左脇に攻撃を当てる訳にもいかない。何かを庇いながらで勝てるような生半可な敵ではなかった。
攻めあぐねているうちに執務室に衛兵が入ってきて、獣人は舌打ちをして塀を飛び越えて逃げてしまった。アナベルも追いかけようとしたけれど、ひとっ飛びで塀を越えられる獣人に、よじ登る必要があるアナベルが追いつけるはずはなく、あっという間に見失ってしまった。
すごすごと家に戻ったアナベルに、衛兵を率いてきた騎士が淡々と告げた。
父母に謀反の疑いがあること。未成年かつ女であるアナベルと、幼い弟には謀反の疑いが向いていないこと。検閲を受ければ最低限の荷物を持ち出してもよいこと。代わりに二度とこの家に戻れないこと。
「ただの平民として生きていくなら目溢ししてやる。そうでなければ同罪で捕まえる」という言い分だった。
父様と弟を助けなければならないのだから、アナベルは捕まっている場合ではなかった。素直に自分の剣と防具、それに何日か分の着替えとパンを持って家を出た。お金や、騎士爵縁の者である証拠を持ち出すことは許されなかった。
情報を得やすく、できれば食い扶持が稼げる手段――思いついたのは冒険者になることだった。実戦経験も、市井で1人で暮らした経験も乏しいアナベルにとっては茨の道だったけれど、必死に生きた。
父様は無実だと確信していた。何かの間違いか、そうでなければ誰かに嵌められたのだと。
弟を攫った獣人が諸悪の根源なのだろうと。
だから獣人の行方を追った。頭の片隅に、獣人の背後にチラつく2つの影には、気付かないふりをして。優しいおじ様が、大好きなジョゼフが、とは信じたくなかった。
でも、家を出てから僅か数日後、父様の裁判で、ヨシュアおじ様が謀反の企ての証言をしたと噂で聞いた。さらに数日後、父様が獄中で亡くなったと聞いた。さらにさらに数日後、ヨシュアおじ様が、いやヨシュア・ホフマンが、謀反を未然に防いだ功績から男爵に叙されたと聞いた。謀反を企てた騎士爵の屋敷と領地を引き継いだのだと。
信じたくない。その一心で、こっそり自宅の様子を見に行けば、ゴテゴテと着飾ったヨシュアとジョゼフ親子、その間にこれまた着飾った元メイドがしなだれかかって、3人連れ立ってアナベルの自宅だった屋敷へ入っていくところだった。3人の背後を獅子の獣人が守っていた。




