第27話 アルフとアナベル①
ロイに恋だの好きだの言われてから、俺はどうにもアナベルとの距離感を決めあぐねている。
というか、何となくアナベルも引いているような。朝と夜の飯は一緒に食ってるし、目立って避けられるでもなく、何が変わったと言われると困るのだが……。
「団長、スープのおかわりは?」
「もらう」
「はい」
ほらな。こうやって快く家事なども担ってくれているわけで――
その時、受け渡したスープ皿の縁で親指同士が軽く触れた。
「ひゃあっ!? ごごごめん!」
「っと」
反射的にアナベルが手を引っ込め、バランスを崩しかけた皿をかろうじて受け止める。
――指くらいでそんなに避けなくてもよくねえか!?
こちとら現代日本の衛生観念持ちだぞ。この世界の平民としては小綺麗にしている方だ。それをほんのちょっと触るだけで悲鳴とか、神経質すぎるだろう。
それとも何か、貴族のボンボンのように、爪にオイルを塗ったり、手首に香水を振りかけたりしろってか。冗談じゃねえ。
ハッ、まさかアレか。実際に清潔かどうかは関係ない、女特有の感覚「清潔感」とやらが俺には欠如しているのか。
ぐるぐると落ち込んで、じゃない憤っていると、アナベルは慌てて取り繕う。
「す、すまない! なんか体が勝手に……火傷はしなかったか」
「……おう」
体が勝手に避けるほど嫌だったのか……。これが「生理的に無理」というやつだろうか。ついこの間までは平気で手でもシャツでも掴んできたくせに……。
「なぁ、俺何かやらかしたか?」
「ふぇ!? なんで?」
「いや、なんか、……何となく」
急速に嫌悪感を抱かせるような何かをしでかしたとしか思えず、だとしたらデリカシーなど持ち合わせていない自分が考えたところできっと答えには辿り着けないので、半ばヤケっぱちで本人に聞いてみることにした。
嫌われるのには慣れている。有象無象に憎まれるのはどうでもいい。
でもアナベルに嫌われてると思うと、どうにも心臓の調子が悪くなる。前にあった動悸とか狭心症状とは違って、底冷えするような痛みで、非常に不愉快だ。こんなもの放置したら体に悪いに決まっている。
「何か文句があるなら正面から言いやがれ。……善処するから」
「ち、違うよ! 団長に文句なんてないよ」
「じゃあなんで、」
遠くなったんだよ。
「~~~なんか、今更だけど、団長って男の人だよなぁって思って」
「は?」
「小さい頃から騎士団のお兄さん達に遊んで貰ってばかりだったから、その宿舎に遊びに行ってた感覚だったというか……でも、団長は歳も近いし、ここでは2人きりだし、その、何も考えないで居座っちゃったのが、申し訳ないというか、恥ずかしいというか」
「え、今更?」
「うう、だから恥ずかしいんだって……」
本当に今更どうしてそんな感覚を取り戻したのか、意味不明だ。意味不明だけれども、どうも嫌われてるのではなく、これはいわゆる意識されてる状態と言えなくもないのでは。
……ふーん?
「ガキかと思えば、随分殊勝なこと言い出すじゃねえか」
「ガキって……そんなに離れてないと思うけど。そういえば団長っていくつなんだ?」
「あー、たぶん20歳」
「じゃあ2つしか違わないじゃないか。私、先月で18になったところだよ」
「え、18にしちゃあ随分世間知らずじゃね? スレてないっつーか、女としての警戒心も足りねえし」
バカにしている訳ではなく、本当にもう少し下だと思っていたのだ。高校1年生くらいとか。素直な感想を漏らすと、アナベルは申し訳なさそうに目を伏せる。
「う、……正直、剣を振り回してばっかりで、生活力とか女らしさの鍛錬は殆どしないで来てしまったのは自覚してるよ」
「べ、別にそれが悪いとは言ってねえけどよ。ん、つーか、冒険者になって間もないと聞いてたが、剣は昔から握ってたんだな。そりゃそうか。素人の剣さばきじゃねえもんな」
「そうだよ。……私、実は貴族の家の出なんだ。ただし1代限りだから、私自身は平民だけどね。傭兵だった父が武功を立てて騎士爵に叙爵されたそうだ。剣はその父に叩き込まれたんだ」
「あぁ、やっぱり」
アナベルは、俺が驚かないことに驚いた様子で、目を丸くした。
「気づいてたのか」
「服とか防具が騎士っぽすぎるからな」
「なのに聞かないでいてくれたの?」
「仕事さえしてくれりゃあ関係ねえし」
「ふふっ、そうか。そういう人だったな、団長は」
「んだよ、文句あんのか」
「いいや」
やたらと嬉しそうに、アナベルは首を振った。普段は丸っこい金色の眼も、穏やかに細められて光る。無垢なようで、実は酸いも甘いも知っている、それでも濁らなかった強い瞳も、こうなると随分大人しく見える。お嬢なんだよな、こいつ。
お貴族様の身の上話なんて、興味本位で聞くもんじゃない。でも、これだけは。
「なあ、お前、これからどうすんの?」
「どう、とは」
「だから、あー……いつまで傭兵なんてやるつもりだ」
「それは、許されるなら、ずっと」
「意味わかって言ってんのか?
……答えられなきゃ無視しろ。戻らねえ気か? それとも戻れねえのか?
――戻りてえ?」
ひゅ、とアナベルが息を飲んだ。金色は強くなり、俺から目を逸らさない。
「戻りたいとは思う。でも、戻れない」
「手の打ちようはねえのか」
「ないな。死んだ人は生き返らないだろう?」
あぁ。没落組か。1代限りの当主が借金だけ遺して死んだとかかな。
考えてみりゃこんな甘ちゃんが望んで家出するわけねえわな。どう見ても家族に愛されて庇護されて真っ直ぐ育ってきたんだろうから。そんな人間が突然全てを失ったなんて、どんなに辛かったことだろう。
「だから、団長さえ許してくれるなら、ずっと傍に置いてくれたらすごく嬉しい」
「なっ」
……にを言ってきやがるこの女!
ちょっとしんみりしていたところにいきなりとんでもねえボールを投げつけるのはやめて欲しい。
「ずっとそばにおいて」という都合のいい部分が頭にリフレインし、顔が熱くなる。意思に反して口角が弛む。
それをごほん、と咳払いで何とか抑え込んで、いやきっと隠しきれてはいないけど、アナベルは鈍いから大丈夫だろう。
「気が済むまでここにいろっつったろ」
「――うん!」
やめろよ、そんな素直に嬉しそうに頷かれたら、折角誤魔化した表情が隠しきれなくなるだろうが。
上方に歪む口角を手で物理的に抑える俺の耳を、珍しく少し不安気なアナベルの声が揺らした。
「あ、でも……」
「どうした」
「あの、団長は恋人とかはいないのか……? 何も考えずにお世話になっちゃったけど、私のせいで拗れでもしたら……」
「ンなもん最初からいねえよ」
「そ、そうなのか。だって、なんか色々と対応が大人というか。慣れてるのかなって」
「むしろ特定の相手を作ったことがねえよ」
今世では。かといって前世でも生活と仕事優先のため長続きした彼女はいなかったから、そこまで大きな嘘ではない。
「あぁ、そういう」
「いや違くて! 不特定多数と遊んでるわけでもねえ!」
「……本当に? 私、邪魔じゃない?」
「ないない。この家に入れた女だってアナベルが初めてだ」
「え……そ、そうか」
先住猫のつもりで堂々としてろ、くらいの意味合いだったんだが、アナベルは何やらそわそわと顔を赤らめた。
今の会話の何処に照れる要素が……?




