第25話 聖誕祭と苦い酒④
交渉が成立したところで、アナベルはきちんと向き直ってこちらに頭を下げた。
「えっと、じゃあ、改めてよろしくお願いします」
「おう。じゃ、これ今週分の食費な」
「あ、ありがとう……って、多すぎるよ! これじゃ足りない分を私が出すどころか、かなり贅沢しても余っちゃう」
「いいじゃねえか。何のために稼いでんだよ。良い肉でも酒でも好きに食うためだろうが。美味いもんを買ってこい」
「うーん……うん、頑張るけど……」
アナベルは押し付けた1枚の金貨を頼りなげに凝視している。あの金貨であれば、節約すれば5、6人家族が1ヶ月生きられる額だから、少なくとも今週中にあいつが金を持ち出す羽目にはならないだろう。
アナベルは怖々それを財布に仕舞いに自室へ行ったので、俺はその隙にテーブルの皿をまとめて流し台へ運ぶ。
次はグラスを……そう思って振り向いたら、戻ってきていたアナベルに全力で止められた。
「んだよ。俺だって皿くらい洗えるわ」
「そこを疑ってるわけじゃなくて!」
居候な上に、あれだけの対価を提示されてしまったのだから、簡単な家事くらいは全て私が担わなければ。アナベルがそう言い募っても俺は皿を手放さなかった。
「あの金は食費と雑費だ。気にせず遣え」
「多すぎる! 百歩譲ってそうだとして、家賃代わりなのが家事! そう言ってたよな、団長?」
「あーもう、細けえことはいいじゃねえか。俺の家の皿を俺が洗って何が悪い」
「悪くないけど、けど……せめて今日は全部私にやらせてくれ!」
俺とて別に好き好んで家事をしたいわけじゃないのだが、こいつは今日働きすぎだ。少しくらい休みゃいいのに。倒れられても俺が困る。そして俺は貰いすぎ。こうも一方的に与えられすぎてはどうにも落ち着かない。
種々の理由から、ついつい俺も意地と声を張り上げる。
「何のこだわりだそれは!」
「誕生日くらい気兼ねなく甘やかされてくれって言ってるんだ!」
「甘……っ!?」
甘やかす?
俺を? こいつが?
予想だにしなかった発言に耳がカッと熱くなる。
「はぁ!? なな何言ってんだお前! いい歳した野郎に言うセリフじゃねえだろ、バカにしてんのか!」
「ち、違う違う! 誕生日が特別なのは、いくつになったって、男性だって関係ないだろう!? とにかく今日は大人しく、私に世話を焼かれてくれ!」
「いや、だから」
「……だめ?」
アナベルは俺と流し台の間に回り込み、困ったように眉尻を下げ、コテンと小首を傾げて控えめに縋ってくる。強情な割に声色とシャツを掴む握力が弱々しくて、何だかやたらと健気に感じる。
離れろ、と言うために下を向いたら、懇願に揺れる金の瞳とモロにかち合った。初めて見る上目遣いに心臓が跳ねる。
「~~~だから……っあー、もう、いい」
ドッドッドッドッ、動悸が続く。
心なしか胸を掻きむしりたいような、締め付けられるような感覚も。何これ。心筋梗塞?
謎の狭心症状ゆえに右手で胸を、赤みを隠したくて左手で顔を覆っているうちに、背中を押されて台所から追い出され、肩を押されてダイニングの椅子に座らされる。服越しに感じた掌がやたらと小さく温かく、顔の熱を助長する。
はぁ。意識的に深呼吸を繰り返して動悸を鎮めつつ、せっせと片付けを進めるアナベルの横顔をぼんやり見やった。
ご馳走だったから皿の量もいつもより多いし、調理器具もいくつか残っている。こういう日くらい、というか、こういう日だからこそ人手を使えばいいのに、不器用な奴だ。
ていうかそもそも、今日、別に誕生日じゃねえし……いや実は冬生まれらしいから、まじで誕生日の可能性もあるけど……。
だとしても、今日は本来聖誕祭なわけで、アナベル自身にとっても特別な日ではないのか。
――そういえば。
そこで、はたと思い出した。柄にもなく、渡す覚悟もなく買ってしまったアレ。俺はそっと自室に戻り、例の紙包みを取ってきた。
抱えながら少々思案する。どう渡そう。
どこかに置いておくか? こいつのことだから、自分宛のものだと思い当たらず、家主たる俺に返しに来るかもしれないしなぁ……。
かと言ってメッセージカードだのを付けるのはなんだか逆に仰々しい。
何せここ20年、プレゼントなど一切縁がない生活だったのだ。いいアイディアは浮かばず、面倒になった俺はそのまま声を掛けることにした。
「おい。あー……これ、やる。置いとくぞ」
「えっ、えっ!? なんで!?」
「聖誕祭ってそういうもんじゃねえの?」
聞きかじっただけの知識だけど。クリスマスと似たようなもんなら、同居人だの部下にでも、深い意味のないちょっとしたボーナスを渡したって不自然ではないはずだ。
「そ、そうだけど……まさか貰えると思ってなくて……嬉しいな」
「中身に期待はすんなよ。文句は受けつけねえ」
「ありがとう。開けてもいい?」
「え、今? ここで? まあ、いいけど……」
できれば眼前での開封はやめてもらいたい。何度も言うが20数年ぶりの行為だぞ。我ながら贈り物選びのセンスがあるとも思えない。開けた瞬間の顔なんて恐ろしいもの、見たくねえ。が、同じくらい見たい気もして、中途半端に言い淀んでしまう。
俺の胸中も知らず、あれよという間にアナベルは丁寧に包装紙を剥いていった。
現れたのは当然、昨日見たままの白い厚手のストール。実用的、かつこれなら好みに極端に合わないこともないだろうと思っての、我ながら面白みのない選択だ。
それでもアナベルは感嘆の声を上げた。
「うわぁ……! 温かいし、すごく肌触りがいい……! こんな素敵なの貰ってしまっていいのだろうか。私は聖誕祭の贈り物を用意してないのに……」
へにゃりと相好を崩しながらのこの発言には思わずぶはっと噴き出してしまう。チャリ、と胸元の銀の羽に指を引っ掛けながら笑い飛ばしてやった。
「酒も飯もコレも、誰が用意したもんだったよ」
「それは聖誕祭用じゃなくて、団長のためのお祝いだもの」
「ぐっ」
俺のため。さらりと向けられたその言葉は、やはりついぞ馴染みのないもので。
「何用だっていいだろ。結果としてあるんだから。部下に借りを作りっぱなしってのは性にあわねぇんだよ」
「団長に喜んで欲しくて私が勝手にやったものなんだから、借りなんて思う必要ないのに」
「ぐっ……。じ、じゃああれだ。俺も勝手にやったっていいだろ。大人しく受け取っとけ」
別に、喜んで欲しかったとか、昨日のアナベルが寒そうで見てられなかったとかでは断じてないけどな。誰に言い訳してんのかわかんねえけど。
「ふふ。本当に嬉しい。ありがとう、団長。似合うだろうか?」
大判のストールを羽織ってくるりと回るアナベル。ストールとスカートの裾がふわりと舞い上がって、まるで白いドレスのようだった。




