第20話 蜂蜜バターと生クリーム①
僅かな心境の変化がありつつも、同居生活に支障が出る程でもなく、それなりに穏やかな日常が過ぎた。殆どの時間は顔を合わせずに過ごしたが、顔を合わせても気まずさは感じなかった。
ひと月が経つ頃には朝夕の食事は共に摂るのが当たり前で互いに確認もしなくなったし、朝食メニューはホットケーキ以外も出るようになり、俺もアナベルのレパートリーを把握して夕飯のリクエストをつけやすくなった。
依頼も安定して入ってきていて、丁度昨日まで、5日ほどかけて、盗賊団を摘発してきたばかりだ。
「ふぁ……」
依頼翌日特有の達成感と気怠さを、欠伸に乗せて吐き出す。
いつもよりは少し遅い起床だが、それでも今日はまだ台所から甘い香りは上がってきていない。あいつもまだ寝ているのだろうし――
ちら、とテーブルに載せられた今回の依頼の報酬を見やる。
山分けにしてもぎっしりと金貨銀貨が詰まった袋。安宿なら50日ほど連泊できるだけの額だ。貴族からの依頼の割の良さを思い知る。いよいよの必要物品を買い揃え、俺への借金を差し引いたとしても、アナベルの手元にもまともな宿に2週間くらい泊まれる程の金額が残っているだろう。
今日にも出ていくか、どんなに遅くとも次回の依頼後には、アイツがここに留まる理由は皆無だ。
「宿選びには、口出さねえといけねえだろうな……」
部下のプライベートに踏み込むべからず、とはいえ、またぼったくり宿に取っ捕まられては敵わねえ。そうなれば、またこの家に居候をさせる羽目になる訳で、まあそれは別に……いや良くねえんだって。
良くないし、冒険者としてのアイツと普段のアイツはまるで別人で、放っておけば冗談ではなく命と貞操の危機がすぐそこにある。それはどうにも困るのだ。
貴重な前衛だからな。
「朝飯食うか……」
のそりとベッドから降りて、仕事着に着替える。手櫛で雑に髪を撫で付ければあっという間にいつものスタイルだ。その足で階段を降りきったところで、丁度自室から出てきたアナベルとかち合った。
「おはよう、団長」
「……はよ」
屈託のない笑顔で挨拶を投げかけてくるアナベルにはもう慣れたもんで、ついに俺側も挨拶を返すようになってしまった。我ながら牙を抜かれたものだ。
いや、なに、こんな生活ももうすぐ終わりだ。そうしたらすぐに元々の悪党アルフ様に戻れるだろうよ。
「すまない、今日はうっかり寝坊してしまって……少し待っていてくれれば、すぐに朝食を用意する」
「ああ、んじゃ頼むわ」
出ていくその日まで家事を担うとは、律儀な奴だな。手早く用意されたパンとオムレツとトマトの焼いたものを口に運びながらそんなことをぼんやりと考えていたら、アナベルはいつもの台詞を口にした。
「今日の夕飯に食べたいものはある?」
「夕飯って」
「うん?」
「いや……、あー……シチューがいい。茶色いやつ」
「! そうか、じゃあそうするよ」
少し面食らいながら、リクエストを絞り出す。
どうも今日出ていく気はないらしい。まあ、手元に残す金を考えて、次の報酬を得てから発つ気なのかもしれない。ということは、あと2-3週間ほどはこの生活が延長されるということだ。それなら――。
「おい、あれは俺でも作れるものか?」
「あれ?」
「ホットケーキ? パンケーキ? あれだよ」
「ああ! 出来ると思う。生地の分量と火加減さえ覚えれば、そうそう失敗しないはずだ」
「明日にでも教えろ」
「喜んで。――ちょうど、今日の夜に小さいのを焼く予定だから、一緒にやらないか?」
「夜? ……おう、頼むわ」
シチューとホットケーキを合わせて食べる習慣は無かったはずだし、翌朝用だとしてもアナベルはいつも作り置きではなく当日の朝に焼きたてを用意していたから、今晩焼くのは意外だった。
とはいえこちらとしては、こいつがいなくなる前に作り方をマスターできるならなんだっていい。俺は素直に頷いた。
***
遠征の荷物を片付けたり、買い出しに行ったりするうちに日が傾き、程なく台所から肉と赤ワインの香りが漂い始めた。夕食には些か早いが、恐らくここから1時間ほど煮込んで仕上げるつもりだろう。
「団長ー、今からパンケーキを焼きたいのだが、都合はどうだろうー?」
階段下でアナベルが叫んでいる。俺はと言えばすっかり荷解きも日課の筋トレも終わり、のんびり読書でもしようかという段階だ。断る理由もなく、大人しく台所へと足を向けた。
――ホットケーキは、舐めてはいけない代物だった。
アナベルは混ぜるだけ、焼くだけと言うが、料理スキル0の俺にしてみれば、混ぜ方も火加減も全くわからないのだ。何なんだ、適量って。何なんだ、弱めの中火って。生地はとにかくよく混ぜれば良いのかと思いきや、練ってはダメだと言われるし……。
悪戦苦闘しながらも、何とか見慣れた様相の3段重ねのホットケーキが完成した。いつもより少し小ぶりなのはアナベルの指示。いつもは正円なのに歪な凹みがあるのは、俺の生地の落とし方に思い切りが足らなかったせいだ。
「ここにバターと蜂蜜をかけたらいつものパンケーキだよ」
「は、自力でできる気がしねえな」
「何回かやればすぐ覚えられるよ。魔術よりは簡単だろう?」
「いやぁどうだろうな」
俺にとっての魔術は、魔法陣を触りながら一言喋るだけの物なので、粉から菓子を作る方が余程高度な技術に感じる。真顔でそう言ったら、アナベルは団長もそんな冗談を言うんだな、とけらけら笑った。本心だったんだが。
「んで、バターと蜂蜜は、今もうかけるのか?」
「あっ、待って。今日だけはちょっと特別なんだ。少しだけだけど、クリームを買ってきたんだよ。頑張って泡立てよう」
クリーム! 生クリームというやつか。前世でも今世でも、ケーキに塗られている最終段階しか見たことなかったが、元はこんなシャバシャバの液体なんだな。しかし確かにアナベルが牛乳にしか見えないそれをかき立て始めると、数分後に何となくもったりとしてきたのがわかった。
「ほお、これを続けるのか」
「そうだよ。単純だろう?」
と言いつつ、アナベルは一旦泡立て器を置き、右手をプラプラ揺らす。如何に鍛えている剣士といえど、剣を振るうのとはまた違った筋肉を使うようだ。
「……混ぜ方はこんな感じか?」
「うん。大きく混ぜて、こう、空気を入れ込むような……あ、そうそう、上手いな」
「ん。《Energie erzeugen》」
「え、何で今魔術!?」
「強化した方が楽だろ」
「えぇ……お料理、しかも嗜好品ににそんな贅沢な……」
「俺の能力だ。俺が楽するために使って何が悪い」
「そりゃそうだけど。……ふふっ」
アナベルは堪えきれない様子で軽快な笑い声を漏らす。嘲笑とか苦笑じゃなく、本当に楽しそうな、いや、嬉しそうな? 表情だったから、また毒気を抜かれた俺は「笑うな」と怒るタイミングを逃したのだった。




