第19話 下着事情と水魔術②
アナベルの普段着は白のブラウス。水など被れば薄いそれは肌に張り付き、その下のレース素材の水色をあられもなく透かしている。
ノースリーブ? キャミソールだっけか? ああいうやつならまだしも、透けているのは胸部のみを守る最低限の面積の布地。
知らなかったし知りたくもなかったわ。部下の下着事情なんて。
まだ早鐘を打つ心臓を、息を吐いて抑える。呼気時には副交感神経、すなわちリラックス系の神経が優位になるんだよ、うん。ブツブツと視覚と関係ないつまらぬことを考えながら、気取られぬようにひたすら息を吐く。その甲斐あって、優秀な俺の迷走神経は、速やかに心拍数を落ち着けてくれた。
いや、ガキじゃあるまいし、別にそこまで動揺なんてしてねえけど?
大人な俺様は、目線を左上方にあるキッチンの棚に固定して、できるだけ淡々と告げてやった。
「……あー、とりあえずお前、体拭いて着替えろ」
「あ、はい、そうだな! すぐに――」
アナベルも自らの状態を思い出したらしく、目線を下に向ける。
「……~~~っ、ごめん!」
顔を逸らしているから、アナベルの細かい表情の変化は見えなかったが、目の端に映ったアナベルの頬だか耳だかは真っ赤に染まり上がっていた。
そのままアナベルはあわあわと風呂場の扉を閉め、姿を隠す。
「……ククッ」
なんだよ、一応羞恥心くらいはあるんじゃねえか。スラムに泊まるわ、その日に知り合った男の家に住み込むわ。女を捨ててるか、逆に余程の痴女かと思えば、可愛いところもあるもんだ。
ていうか最後のあれは何の謝罪だったんだ。不可抗力というか、アイツ側が勝手に見せてきたわけだからこちらに落ち度はないにしても、かといって女が謝る事でもないだろうに。
体を翻し、ふとキッチンの水瓶が目に入る。中はほぼ空だ。
このところ俺は井戸から水を運んでいないが、毎晩就寝前に水を飲みに来ると水瓶はきちんと満たされているから、恐らくアナベルが夕方に水浴びで消費して、空になった所に新しい水を汲んできているのだろう。
――あれだけ濡れ鼠だと、多少は熱めの湯があった方がいいか。
何せこの気温だ。もう日が沈んでしまったから、これからさらに冷えてくる。大事な前衛が風邪を拗らせたら面倒だ。
かと言って、これから井戸まで行って、汲んできた湯を悠長に沸かしていたら、アナベルはとっくに冷えたまま着替えを済ませてしまうだろう。
空の水瓶の上に手をかざす。攻撃でもなんでもない目的で、懐に仕込んだ魔法陣を探る。
俺は今何をしようとしてる。柄じゃなさすぎるだろ。……でも、1回だけ試してみたってバチは当たるまい。
「《Wasser erzeugen》」
火炎魔術と同じく、体が停止する。しかし身体中の細胞が熱を吐き出すことはなく、代わりに血液が増えたような、体内を清涼な水が流れるような感覚。
――成功、すんのかよ。
瓶の底に僅かに水が溜まっている。その量およそ5リットル。
ええ、しかもこんな出んの? 俺の体内の水分、単純計算で40リットルちょいなんだけど。1/8持ってかれるのやばくね?
試しにもう2度ほど同じ水魔術を使って、瓶の7割程度を満たす。
「こんだけ出してもようやく喉がちょっと渇く程度か。魔術補正だな」
実際にミトコンドリアが生み出せる限界を超えて生み出す何らかの機構があるようだ。さすが魔術、さすがファンタジー。俺の頭じゃこれ以上はさっぱりわからん。
実際のところ「計算上より効果が強い」ことには困らないので、細かいところは無視して、溜まった水に右人差し指の先を突っ込む。
「《Wärme erzeugen》」
使い慣れた火炎魔術。これが産生しているのは火ではなく熱だから、水中で放出すれば即席に湯が沸かせるのだ。程よい温度より少し熱めで止め、鍋を持って風呂場の扉を叩く。
「おい、必要なら使え。ドアの前に置いとくぞ」
「は、はい!?」
声を掛けられると思っていなかったのだろう、少し裏返った声でアナベルが返事をした。
鍋を風呂場のドア近くに置き、さっさとその場を立ち去る。隣接するダイニングからも出ようとしたその時、背後からアナベルが声を張り上げた。
「団長、お湯まで、ありがとう!」
「おー」
「あと、あの、ごめんなさい」
「いや、オンボロの水瓶なんて惜しくもねえし」
「あ……それもだけど、あの、見苦しいもの見せちゃったから……」
見苦しいもの? ……あ。思い出させるなよ。
ぐ、と一瞬言葉に詰まりつつ、なんとか平静を装う。大人の余裕を失うな。顔に熱が集まってるのは気のせいだ。
「別に、見苦しいとかでは……あー、なんだ、こっちこそ悪かったな」
「いやっ、団長は何も! こんな貧相な体を好き好んで見る男性なんていないのは自覚してる。以後気をつけます……」
もちろん姿は見えていないが、声がしょんぼりしている。本当に悪いと思っているようだ。
こいつ、面は悪くねえし、多分良いとこ育ちだろうに、なんでこんなに自虐的なんだ。身体だって、自分では貧相と言うが、細身なだけで十分に……
――だから、思い出させんなって!!
「気にしてねえよ」
「助かる……ありがとう」
むしろラッキー、と茶化そうかと少しだけ思ったが、あまりにも自分のキャラに合わないから辞めておいた。にしても、礼を言われることでもねえはずなんだが。
儲けたような、安心したような、微笑ましいような、悪いことしたような。仕事でもプライベートでもそれなりの場数を踏んできているこの俺が、わけのわからない感情の渦に支配される。
うぜえなぁ、今世は他人に振り回されるのは真っ平だって決めてるんだ。
なのに口角が言うことを聞かない。
何で俺、これを不愉快と思ってねえんだよ。




