第15話 追憶とホットケーキ
トントントン。
ジュージュージュー。
カチャカチャ、コトン。
「ん……?」
翌朝、俺は奇妙な物音で目を覚ました。まるで料理をしているような音だ。どうしてうちにそんな音が……あ。
「あいつか……」
好きに使えと言ったのは俺だし、別にあの簡易台所風情で良ければ、使うのを止める理由はない。
俺だって朝飯は食う派だしな。いざという時にエネルギー枯渇に怯えず魔術を使えるようにという、切実な理由からだが。
ちなみに、俺には前世から通して料理の経験などからっきし無い。だって前世ネグレクトからの今世浮浪児だぞ。上手く料理を作るという次元の生活じゃない。腐ってなければ、いやちょっとくらい腐ってても食わざるを得なかった。
生き残る過程で「火を通す」という技だけは身につけたが、例えば俺が生肉を焼いたら、ほぼ確実に焦げ散らかす。腹は壊さないけど、美味くはない。あれは料理じゃなく、生活の知恵の類だろう。
半面、酒場の飯って良いよなぁ。
夜は馴染みの酒場で好きに飲み食いすることにしているのだが、何を食ってもちゃんと美味いし、当然腹も壊さねえし。自炊出来ないだけで、決して俺は食に興味がねえわけじゃねえんだ。
つまり、階下から漂う香ばしい香りには、きちんと食思をそそられるわけで――
俺はのそりと立ち上がった。バサバサ、乱雑に脱いだ部屋着をベッドに放り、いつもの仕事着に着替える。
必要以上に顔を合わせるつもりはないが、こちらが家主、こちらが上司なのだ。俺の家の台所に買い置いてあるパンと水を俺が取りに行くのに、こっちが遠慮すんのはなんか癪だもんな。
誰に聞かせるでもないのに言い訳じみた独白を並べながら階段を降りていく。
特に足音を消したりもしなかったからだろう、リビングに入るや否や、向かいの壁付けになっているキッチンで作業していたアナベルがこちらを振り向いた。
「おはよう、団長!」
「……おう」
朝から喧しい奴だな。俺のことなんか無視すりゃいいのに。いや無視されたら無視されたでムカつくかもしんねえけども。我ながら正解がわからん。
「邪魔するぞ。ちょっと荷物取らせろ」
「もちろんだ! あ、鍋とか邪魔かな? どかす?」
「いい。用があんのはその棚だけだ」
ごそごそ、と昨日買ったパンを取り出す。前世の世界にあったものよりはだいぶ硬く黒っぽい。あー、昨晩乾燥したせいか、だいぶカチコチだな……。
パンの表面の硬さに少々眉を顰めつつ口元に運ぼうととした時、何となく視線を感じて左を向くと、アナベルが俺とパンを交互に見つめていた。
「あの、団長」
「んだよ」
「団長は、食事にこだわりがあるタイプだろうか?」
「このパンに素手で齧りつこうってやろうに言う台詞じゃねえな」
「もし、その、もし迷惑でなければ、朝食を一緒にどうだろうか?」
「はあ!?」
いや、踏み込み過ぎだろう。あくまで先行投資として世話を焼いただけで、こいつと同棲ごっこするつもりは俺にはない。
「いや、いい」
「そ、そっか……」
間髪入れずに断った俺に、アナベルはすんなりと引き下がった。
……尻尾が見える、気がする……。明らかにちょっとしょんぼりしている……。
しかし絆されてはいけない。こいつはあくまでビジネスパートナー。傭兵として自身の名が売れるか、依頼に失敗して死ぬかして、遠からず退団していく一時的な従業員だ。
「変なことを言って悪かった! その、せめてものお礼をと思ったんだ」
眉尻を下げ謝られても、ここで揺れては……
「これは私が後で食べよう」
アナベルは、キッチン台に乗っていた2皿のうちの1つをいそいそと手に取った。
その上に乗っていたのは――
「ホットケーキ」
「え、あ、ん? これ?」
俺の口から、我ながら似つかわしくない甘味の名称がポロリと零れる。アナベルが動きを止めてこちらを向いた。見られているのが分かっても、皿から目を離せなかった。
「えぇと……」
「それ、どうして」
「え? あ! ち、ちがうぞ、団長が買ってた食材を勝手に使ったんじゃないぞ!? 節約がてら自炊しようと思って、昨日は粉を買って帰って……団長?」
そのまま食えるもの以外を俺が買うわけもなく、それの原材料を疑問視してるわけじゃない。「どうして」という言葉がどうして出てきたのかは、俺自身にもわからない。
聞くつもりもなかったアナベルの言い訳は、さながら興味のないBGMのように、俺の耳に一切留まることなく通過していった。
遠くに聞こえるそれを背景に、頭の中にリフレインする、前世の記憶。
《ほら、――。 これ食いな!》
《いらないってんなら私が食っちまうよ》
《……おいしいかい?》
《ふふ。ゆっくり食いな。盗らないから》
恐らく、小学校にも上がる前、もはや焦点も合わないほど薄らぼんやりした思い出。酒に酔ってない母親、頭の上に振り下ろされたはずなのに痛みを生まなかった手、柔らかく撫でられた髪。
優しい、どこか満足げな微笑み。
目の前の皿には、絵本でしか見たことがなかった憧れの料理。恐る恐る食べてみたら、ふんわり柔らかくて、滅多に口にできないバターが乗ってて、しっとり甘い味もして、今まで食べた中で一番おいしかった。
団長、と呼びかける声で、意識を今世に戻す。
「パンケーキ、嫌いだった……? す、すぐ片づけるから」
「いい。……やっぱ食う」
「えぇ!?」
手近なダイニングに腰掛ける。俺の心情なんか知る由もないアナベルは、何が何だかと言った顔で俺の前に皿を置いた。
ふわり、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
添えられたフォークで、ひとかけら口に放り込む。
柔らかさと甘味と僅かな塩気が充満する。
……あの日のあれには、到底及ばないな。
だけど、バターと蜂蜜の風味だけは、少し似ていた。
「あのぅ、用意しておいてアレだけど、節約料理だから、口に合わなかったらごめん……」
一口食べたきり固まった俺に、不安を抱いたのだろう。アナベルがおずおずと横から声をかけてくる。
はっとしてフォークを再指導させれば、明らかにアナベルはほっとした顔をした。
「なぁ。これ、一般的なモノとはどっか違うのか?」
「うーん、普通は牛乳を使うところを水で作ったのと……あとは、バターが少なめなのと、メープルシロップは高いから蜂蜜にしちゃったのと」
「メープルシロップ? へえ、普通はシロップなのか」
「家庭料理だし、決まりはないと思う。けど、お店で食べると大抵シロップじゃないかな。
団長は、こういうものをお店では……」
「食うわけねえだろ」
そう、そうなのだ。
この世界は砂糖がそこまで貴重品ではないから、そこら辺のカフェにでも入れば、パイだのケーキだのも普通に売っている。
ホットケーキ、いやパンケーキか?
それらしきものも売っているのは知っていた。が、何となく、目つきの悪い男が一人で入っていい場所じゃないというか。
前世でもそうだったんだよな……。
ちょうど大学時代にパンケーキブームがあった。同級生の女子どもはこぞって有名店巡りをしていたが、俺は金が無かったからついぞ店で食うこともなく。
医者になった後は金はあっても暇はなかったし、恋人らしい恋人もいなかったから、結局あの日以来ホットケーキの類を食わずに生涯を終えたわけだ。
「家で焼いて食べたりは?」
「消し炭ができる未来しか見えねぇ」
だから前世でもホットケーキを自作することはしなかった。あの記憶を苦味で塗りつぶしたくなかったから。
「団長、料理苦手なのか。フライパンとかがひと通りあるから、普段からやってるのかと」
「泊まり込んだ団員が置いてったんだろ。……ごちそーさん」
皿の中身を綺麗に平らげ、フォークを置いた。
いつの間にか向かいに座っていたアナベルは空の皿に一瞬目線を落としてから、すぐに俺の目を見て、安心したように、嬉しそうに、満足そうに口角を上げた。
流し台に食器を置くと、アナベルが背後から声をかけてくる。
「私が洗っておくから置いておいてくれ」
「あぁん?」
「利子分は労働で返さないと」
「あぁ、……まあ、そうだな」
本当に利子を取ったっていいんだが、それを取り立てていたら余計にこいつが家に居座る期間が延びるわけで。
それならこいつの提案通り、労働で返してもらうのが正解だろう。なんなら、働きぶりによっては少しくらい元本をまけてやったっていい。安寧なひとり暮らしのためだ。
「あの、他にも何かやれることはない? もちろん一番は仕事で頑張るけど、何かちょっとした家事でもあれば」
必要ない。
そう言おうとしたのに、言わなければならないのに。
ふわりと漂うアナベルのぶんのホットケーキからの甘い香りと、先程の満足そうな口角と、それに重なる前世の記憶が、判断を狂わせる。
「……またこれ作れ」
「! わかった! また作る! 毎日でも!」
「それは飽きるわ」
あぁ、言っちまった。
やっぱり、2人分の記憶を同じ大脳を収めておくなんて無理な話なんだ。
自分の脳味噌のくせに、こんなに制御できなくなるなんて。




