第13話 ハラスメントと藁ベッド①
「悪いね姉ちゃん!」
顔面から地面に投げ出されたアナベルの横を、スラムの悪ガキが走り抜ける。ガキの手には、つい先程目にしたばかりの財布。
「チッ……はぁ」
舌打ちとため息をほぼ同時に落として、俺は悪ガキの前に立ち塞がった。
「返せ」
「な、なんだよ、これは俺が盗った俺の金だぞ!」
「残念、その中身は俺からの借金だ」
「あ、え、おま、お前、悪党アルフ……! ひ、ひぃぃ!」
本当のことしか言っていないのだが、悪ガキは泡を食って財布を投げ捨てて逃げていった。明日には俺が今日のパンにも困窮しているガキからカツアゲした噂が広まるかもな。
ガキが落とした財布を拾って土埃を払い、未だ地面に座るアナベルに投げ渡してやる。
「お前、何であんなに強くて、ガキに後ろからぶつかられたくらいでコケるんだよ」
「面目ない……。まさかあんな子供が強引に盗みを働くとは思わず……スラムだからか?」
「まあこの辺は確かにああいうガキが多いが、言っとくけど、中心街にだってそれなりにスリはいるからな。警戒心足りてねえぞ」
「……気をつけます……。ありがとう、団長……」
座り込んだまま、羞恥と絶望と感謝が混ざったような視線を上目遣いで投げてくるアナベル。やめろ、なんか俺まで居た堪れなくなるだろうが。
慣れない視線に判断力が鈍る。
突出したアナベルの世間知らずっぷりが、それに見合わぬ剣士としての実力が、俺に言い訳を与える。
かくなる上は。
「……俺の家は、中心街にある一軒家だ」
「そうなのか。羨ましいな」
「2階が俺のプライベートスペースで、1階は団員どもが会議をしたり泊まったりできるようにしてある」
「へえ! さすが団長、面倒見が良いな!」
「おう、俺は実は面倒見が良い。そしてお前には生活能力がない」
「そ、そうだろうか。私もこの1月、ひとりでどうにか生き抜いて——」
「その結果が文無し宿無しの今なんだろうが! 面倒見が良い俺様としては、お前をこれ以上放置できない」
頭に浮かんだ、自分にあまりにも似合わない台詞を、腹に力を入れて吐き出す。できるだけ何の色も乗せないように、抑揚を抑えて。
「お前、しばらく俺の家で暮らせ」
繰り返しになるが、この掘り出し物を、依頼の中以外でみすみす失うわけにはいかないのだ。
ひゅう。
スラムのスカスカの建物達の間を風が抜けていく音がする。周りには人っ子一人見えず、風音以外の物音は聞こえない。
俺は台詞は確かにアナベルの耳に届いたはずだ。
——勢いで言ったが、だいぶ気持ち悪い提案だっただろうか。俺は団長、こいつは団員。言わば雇い主と被雇用者。世が世ならパワハラとセクハラのダブルパンチで俺は更迭されてしまう。
今更ながら気まずさを自覚してアナベルを見下ろす。が、何、嫌悪丸出しの態度には慣れている。戦闘中に最低限の連携が取れればそれで良い。
誰に向けてとも知れない言い訳を並べ立てつつ女の表情を窺うと、大きな瞳が見開かれ、口はぽかんと開きながらも口角は上がっている。
「いいの?」
期待に弾む短い声。嫌悪でも警戒でもなく、純粋な好意のみを乗せた眼差し。
今世ではほぼ向けられたことのない類のそれらに調子が狂う。
「いいも何も、提案しているのは俺だ」
「ありがとう、団長! 本当に助かる!」
「……おう。じゃ、行くか」
スムーズに受け入れられすぎてもはや俺の方が引いている。
が、こんなところにいつまでもぼーっと突っ立ってるもんじゃない。とりあえずこいつを家に案内することとしよう。
「店は家に寄った後にしろ。適当な古着屋じゃなく、中心街の店にしたほうがいい」
「え、でもそうしたら余計なお金が」
「マトモな品ならどこでも大して変わんねえよ。むしろ安い店じゃあお前、またぼったくられるだろ」
「うっ……否定は、できない……」
「目に浮かぶわ。決まりだな」
今のこいつの服装は、シャツとスカートに金属製の胸当て、腰当て、膝当て。模擬戦の時には籠手やら額当てのようなものもつけていた。
と、いうことは、これは仕事着だろう。こっちが盗られなかったのは不幸中の幸いだ。防具類は、安物だろうとパジャマやら下着よりはだいぶ値が張るからな。
その上、こいつが使っているものは、安物どころか、まるで騎士の――いや。
ともかく、盗まれたであろう普段着ならば、うちの近所の平民向け服飾店でそこそこのものが揃うはずだ。
そうこう思案している内に、自宅にたどり着いた。
「ここだ。入ってすぐ左がリビングと台所な。その奥が風呂と便所」
「はい」
「2階は俺の部屋だから、その階段から先には入るなよ」
「はい!」
玄関正面すぐにある2階への階段を指差す俺に、アナベルは神妙な面持ちで良い返事をする。仮にも上司の自宅に厄介になるわけだからな。そのくらいの緊張感は持っていて然るべきだろう。
傭兵団なんて、いつ誰が死ぬかわからないんだ。互いに絆されすぎてはいけない。線引きは、必要だ。
「あー、風呂と便所はそこしかないから俺も使うからな」
「はい!」
「……気ぃつけろよ」
「勿論、邪魔にならないように約束する!」
家主兼上司への気遣いに溢れたその台詞は殊勝で大変結構だ。俺が言いたかったのはそういうことではないのだが。
この世界では、玄関以外には鍵がない。というか、こういう中心街の新築か貴族の屋敷でもないと、玄関にすら鍵は付いていない。
つまり、風呂もトイレも施錠不可。
初対面の俺からの同棲提案を秒で受け入れるわ、スラム街の宿屋に泊まるわ、こいつの危機管理能力は一体どうなっているんだ。
「風呂っつってもアレだぞ、貴族の屋敷にあるようなもんじゃねえぞ。水浴び場っつった方がわかりやすいか。水瓶と桶が置いてあるだけだ。湯が使いたかったら隣のキッチンで沸かして持ち込みな」
「十分だ! 冒険者になってからは体を拭くことすら出来ない日も多かったから、本当に嬉しい」
「そりゃ何より」
今まで金欠の部下を泊めたことも数度あるが、それらは全てむくつけき野郎どもだったので、水浴び場にここまで喜ばれるのは新鮮だ。
……使うな、とは言えねぇなぁ。俺側で気をつけよう……。
そして、むくつけき野郎ども相手なら案内はここで終わりなのだが、さすがにこいつをダイニングテーブルの下の床に転がしておくわけにはいかねえよなぁ。こちらの気が休まらん。
「あー、あと、寝泊まりすんのはあっちの部屋使え」
リビングを出て左手、玄関から見ると階段越しに突き当たりに見える扉を指差すと、後ろから付いてきたアナベルが目を丸くした。
「え、個室まで? いいの?」
「どうせ余ってるからな。でもあれ、部屋っていうか箱だぞ。狭いし、多分かなり埃っぽい」
「かまわない! 見てみても?」
「お好きにどーぞ」
るんるんと倉庫改め小部屋の扉を開けるアナベル。小さな頭越しに、ここ2年ほど見ていなかったクリーム色の壁紙がちらりと覗く。
角部屋なので2面が外に面しており、それぞれに明かり取りの窓が設えられているから、ランプなしでもまあまあ明るい。
でもそれだけ、テーブルも椅子もベッドもない、2m四方のあまりにも殺風景なその空間に対して、アナベルは感嘆の声を上げた。
「わあ、可愛い部屋! 本当に私が使っていいのか?」
「金ができるまでの間な。うちの稼ぎなら、2ヶ月もありゃまとまった金ができんだろ。それまでは勝手に使え。俺のテリトリーを荒らさないならどうでもいい」
「ありがとう!」
俺の憮然とした態度に臆することもなく、アナベルは窓を開けて部屋の換気を始めた。
「おい、空気入れ換えてる間に買い物行っちまおうぜ。店閉まるぞ」
「あ、そ、そっか。店って……」
「チッ、付いてこい。俺も商店街に用があるから、ついでに案内してやる」
「あ、はい! ありがとう!」
素直にちょこまかと後ろを歩くアナベルを時折目の端で確認しながら、商店街までの短い距離を歩く。目つきの悪い長身の黒ずくめが、この小さな女を従えて歩く様は、さながら奴隷商か女衒だろうな。
「ほら、ここだ。あとは勝手にしな」
「本当にありがとう、団長」
「いちいち礼なんかいらねぇよ、鬱陶しい」
俺は早々に背中を向けて肩越しにひらひら手を振り、アナベルを追い払うように服飾店に押し込んだ。
さて、これから俺は俺で買い物だ。
先行投資、先行投資。




