第12話 ぼったくり宿屋とカモ女
上級ポーションの効能は、細胞•組織の再生だ。内服、もしくは患部に振りかけて使えば、欠損した指とか内臓の一部くらいならまた生やせる。現代日本の再生医療のレベルを超えている。
上級ポーションをかければ、少女の頬や掌に刻まれた10平方cm程度の三度熱傷ごときは、たちまちに消え失せた。本来なら植皮がいるくらいには深手だろうに。こんなものが生み出せる聖職者の魔法は恐ろしい。
「よし、治ったな」
「すごい……初めて使ったよ。重ね重ねありがとう、団長」
「だから礼を言われる筋合いはねえって」
高難易度の依頼を、ソロで、上級ポーションに頼らず生き抜いてきたこいつは、間違いなく最上級の腕前の前衛だ。そんな優秀な人材なら、できるだけ長く使いたい。つまらないことで潰さないように、ある程度ケアしてやるさ。
「アナベルちゃんのケガが治ったところで、契約手続きを進めようぜー」
ロイの一言に俺とアナベル、受付嬢が頷き、ギルドの受付カウンターに向かう。
「では、こちらの書類に双方サインを……」
受付嬢が差し出した書類は、いつもの極めて簡素な契約書だ。今日からアナベルが俺達の団員になることと報酬の取り分が列挙された下に、互いの住所と名前を書く欄があるだけのものである。
にも関わらず、アナベルは困った顔で固まっていた。
「文字が書けねえのか?」
「いや、名前は書ける。だが……住所、どうしたらいい?」
「あん? ああ、常宿がないのか。じゃあ今泊まってる宿屋でも適当に書いとけ」
「わかった」
識字率の低いこの世界のことだから、てっきりサインしたくてもできないのかと思ったのだが、そうではないようだ。
確かにこいつは何となくある程度の教育を受けてきた雰囲気がある。着ているシャツやスカートも、ところどころ傷んでいるものの仕立ては良さそうだし、もしかしたら元は良家の子女だったのかもしれない。
それがこんなところで身をやつしている理由には興味がないし、詮索しないのがマナーってもんだ。
とにかく、文字が書けるというのは嘘ではなく、アナベルはさらさらと宿屋の場所と名前を記入し始めた。
「……は!?」
「えっ!?」
そして飛び込んできた宿屋の名前を見て、俺とロイは同時に絶句した。
書かれたのは、この街で最も悪質な地域にある、衛生面も利用者も経営者も最悪の安宿だったのだ。その地域出身の俺やロイでも使わない。到底、若い女が一人で泊まるようなところではない。
「おま、え? 何でこんなとこに泊まってんだよ」
「うん、さすがにやばい。アナベルちゃんの収入ならもっといい宿に泊まれるでしょ?」
「いや、そんなことないよ。この宿でもけっこうギリギリだ」
「んなわけねえって」
「宿屋のおかみさんにはそう言われたんだけど……」
「ぼったくられてる! あの業突くババア」
「とりあえず今すぐ引っ越しな!」
「で、でも、10日分ほど前払いしてあって」
「馬鹿野郎んなもんキャンセルだ!」
「き、急にキャンセルなんかしたら迷惑だろう? 多少多く取られてたとしても、お子さんの治療費が必要なんだから、気持ちはわかるし……」
「あのババアに子どもなんかいない!」
「えぇ!? 嘘なの!?」
アナベルの素っ頓狂な声に、俺とロイはがっくりと肩を落とす。
こいつ、腕前は一流なのに、頭は残念なのか……。
「ロイ、残りの手続き任せていいか」
「おう……そっちは任せたぞー」
「行くぞ。荷物と宿代、取り返して来ようぜ。……もう遅いかもしれねえけど」
「え? え??」
まだ事態を飲み込みきれていないアナベルを引きずるようにして、俺はぼったくりババアの安宿へ足を向けた。
***
勝手知ったる街の中、それも出身地かつ顔見知りの店なので、俺達は程なくして安宿に到着した。
——が、中はもぬけの殻。ベッドぐらいしか残っていない。
「え、あれ!? 今朝までは、もう少し家具とか……あ、私の荷物もない……」
「チッ、やっぱ遅かったか。こういうババアなんだよ。カモからふんだくるもんふんだくったら、ほとぼりが冷めるまで姿を消す。戻ってきた頃には、ふんだくった金は使い果たしてるから、例え殺しても一文の得にもならねえ」
俺はある程度予想しながら来たが、アナベルはここまで悪質だとは思っていなかったらしく、顔色が悪い。
「カモ……そんな……」
「しょうがねえだろ、世間知らずな自分を恨みな。だいたいこんなスラム地区の宿に女が泊まるなよ。命も貞操もすーぐ失くすぞ」
「うっ……すみません」
しゅんとしおらしく落ち込むアナベルの反応を見ていると、何となく居心地が悪い。俺は1つ咳払いをして、声のトーンを切り替えた。
「俺に謝るこたぁねえけどよ。とにかくこんなとこにいつまでもいるもんじゃねえ。さっさと中心街に戻るぞ」
「あぁ……」
アナベルは素直についてくるが、足取りは重い。
この調子だと、騙されたのは今回が初めてではないのかもしれない。中級ポーションすら財布の中身を理由に断っていた奴だ。本来、高ランクの依頼を請け負えているなら、中級ポーションくらいは苦もなく買えるはずなのだから。
「……お前、これからどうする」
「え? それは、団長達と依頼を——」
「そうじゃなくて、今晩の宿と飯だよ。まともな宿知らねえんだろ」
なんで俺がこんなことまで気にしてやらなきゃいけないんだ。そうは思うのだが、先程も言った通り、こいつは戦力としては掘り出し物なのだ。コンディションを十分に整えておいて貰いたい。
「あー、それが、ほとんど全財産を持っていかれてしまったから、このままだと野宿かな……はは」
「笑えねえんだけど」
「あ、そうだ、じゃあちょっとひと稼ぎしに行ってもいいだろうか? 街の外すぐのモンスターか薬草でも集めてくるよ。今の私は傭兵団員だから、こういうのは団長の許可がいるんだろう? 明日の朝には帰るからさ」
「それは行っても構わねえが、その辺でできる依頼は初心者向けだ。ひと晩中粘ったってせいぜいパン二、三個ぶんだぞ」
「あれ、そんなに安かったっけ。駆け出しの時は必死過ぎて、あんまり覚えてないんだよなぁ」
こいつ……とにかく生活能力がないと見た。というより世間の荒波に揉まれていなさすぎる。日本のような福利厚生のない個人主義なこの世界では、こいつは放っておいたら死ぬ可能性がある。
「おい、もうわかった、とりあえず暫く俺が生活費を出してやる。しばらく報酬から差っ引く形にしよう」
「え、いいのか、助かる! ありがとう、団長」
「いいってことよ。あとアレだろ、着替えとかも盗られたんだろ? そういうのを買い足すのも、一旦立て替えてやる」
「団長……!」
悪党として名が売れてから、こんな好意的な目を向けられたことがあっただろうか。いやない。今更他人からよく見られたいなどとは一切思わんが、この視線は悪くない。
「んじゃとりあえずこのくらいか? 女物の服だのの相場がわからねえが……足りなかったら言え」
むず痒いような、誇らしいような、よくわからないふわふわした気分である程度の金貨を渡す。アナベルは恭しくそれを受け取って自らの財布に大事そうにしまった。
「本当にありがとう、団長。この借りは必ず仕事ぶりで返す!」
頼もしい言葉を残して、アナベルは商店街の方向に向けて歩き出し——
ズシャアッ
——まもなく、盛大に転んだ。




