第10話 外傷性気胸と前衛探し
暗く淀んだ曇天。
鼻を衝く、得も言われぬ生臭さ。
そこかしこにある赤黒い水溜まりから、靴越しに伝わるほのかな生暖かさ。
全身にまとわりつく不快な何もかもは、戦場にはありふれたものたちだ。
「こういうのにもすっかり慣れたもんだな」
一瞬だけ空を見上げて冷めた独り言を終えたら、目の前の敵に視線を戻す。鎧すら着ていない農夫風の中年男が、俺の脳天を目掛けて鍬を振りかぶっている。
「《Energie erzeugen》」
短い詠唱に即座に反応して、魔法陣を刻んだ懐中時計が淡く光った。同時に、全身に力が漲る。早く己を開放しろと筋肉が湧き立つ。
俺は肉体の声のままに、中年男を鍬ごと殴り飛ばした。男は、数メートル離れたところに、ぐしゃりと嫌な音を立てて落っこちた。
「アルフ! こっちは片付いたぞー」
「おう。俺もだ」
「じゃあこっち、診てやってくれ。また前衛がやられた」
「チッ、またかよ。しょうがねえなあ」
声をかけてきたのは弓使い、ロイだ。一つに括った金の長髪に、深い二重の青い瞳、甘やかな顔立ちで、一見するとおとぎ話の王子様といった風貌だが、実態はこの傭兵団の副団長である。
団長はこの俺。重めの黒髪、切れ長の黒目で、ロイに比べると容姿はだいぶ平凡だと自分でも思うが、訳あって傭兵団を設立し、そのまま団長職に収まっている。
訳、というのは、複数ある。
一つは、俺もロイも貧民街の孤児であったこと。正攻法じゃあまともな職になどありつけないから、自らの腕っぷしを売りに生きるしかなかった。
二つ目は、俺が「魔術師」になれたこと。
この世界では、公に認められた魔術は、聖職者が使う治癒魔術のみ。だから、魔術師と呼ばれるのは、法を犯してまで他人を傷つけるための魔術を研究、習得したロクデナシばかりだ。それも、数百人に一人と言われる魔術適正と、自力で魔法陣を開発できるとてつもない頭脳と強運を兼ねそろえた、タチの悪いロクデナシ。
俺は孤児時代、突如としてそれらを全て手に入れた。とは言いつつも、強運というのには些か抵抗がある。なぜなら——
「団長! こいつが、胸が痛くて息ができないって……」
「あん? 診せてみろ――骨は折れてねえな。ちょっと叩くぞ」
座り込んだ戦士のシャツを脱がせ、左手を胸部に当てる。ぷつぷつと皮膚の下で泡が弾けるような感触がする。
左手の中指を、スナップを聞かせた右手指で叩く。打診というやつだ。上下左右、場所を変えて順番に音を確認する。
とんとん、とんとん、コンコン。
明かに右胸の打音の方が高く澄んで聞こえる。
「胸痛、呼吸困難。右胸に皮下気腫と鼓音。気胸だろうな。肺に穴が空いてるっつーことだ。なんかぶつかったか」
「敵に、蹴られて……」
息も絶え絶えといった様子で戦士が答える。
「おいおい、今回の敵って、ただの農民だぞ? 傭兵が素人にやられてどうすんだよ」
「すみません……」
「ちっ。とりあえず、この重症度だと脱気してやらねえとすぐ死にそうだ。どうする? やるか?」
「お、お願いします……」
俺はもう一つ舌打ちをして、懐から革製のケースを取り出した。中には金属製の細長い筒が、大小様々、太いのも細いのも様々、何本も整然と並んでいる。
今回使うのは、15cmくらいの筒。直径は1センチメートルもないから、筒というよりはストローと言った方がしっくりくるかもしれない。この世界ではおそらくここにしかない特注品だ。片側が鋭く斜めにカットされているのが特注の理由である。
ついでに油の小瓶も取り出して、そこらへんにあったボロ切れに滲み込ませる。
「《Wärme erzeugen》」
短い詠唱をもう一度。今度は火炎魔術だ。ボロ切れは瞬く間に立派な焚火になった。そこに筒の尖っている側を暫しくぐらせて熱する。
雑な器具の滅菌が終わったら、今度は人間側の消毒である。さすがに皮膚を炙るわけにはいかないから、荷物袋から酒精の強い酒の瓶を取り出して戦士の胸に振りかけた。
「っし、じゃあいくぞ。言っとくけど、これで死ぬ可能性もあるからな」
「えっ」
「気張れよー」
やる気のない励ましから間髪入れず、戦士のあばらとあばらの間に筒を突き立てた。
「ぐううっ」
前衛のうめき声に重なって、しゅー、と勢いよく空気が漏れる音がする。とりあえずは成功だ。
「あれ……痛い、けど、息が楽になりました」
「そりゃ何より。けどこれ、一時凌ぎでしかないからな。死にたくなきゃ、早く教会行って治癒魔術かけてもらいな」
俺の言葉に、戦士は仲間に肩を貸されて走り去っていった。俺とロイだけが残される。
「相変わらずすごいな、アルフは」
「すごかねえよ」
「でもお前のおかげであいつは命拾いした」
「命拾い……できたのかねえ」
驚いた顔をするロイを横目に、俺は冷たく続ける。
「まあ確かに何もしなければ今頃心臓も呼吸も止まってただろうよ。けどあんな風に穴を開けただけじゃ、逆にそこから空気が入っちまったり、感染したりのリスクがでかすぎる。治癒魔術じゃあ感染症は治らねえからな」
「カンセンショウって、アルフがよく言っている、目に見えない大きさの虫が体に入って悪さするやつだよな。そんなに怖いのかー」
「この世界じゃ、大抵の死因は感染症だろうよ」
この世界。
ロイは気にしていないようだが、それはつまり、俺がここ以外の世界を知っているから出る単語だ。
俺の前世は、医者だった。他人のためにと頑張り続けて、果てに自分の命を落とした馬鹿な医者。
事故だったのか、自殺だったのかはわからない。
電車に轢かれて呆気なく迎えた、ロクでもない最期だったことだけは覚えている。その瞬間に、恐怖よりも安堵が勝っていたことも。
永遠の眠りについたはずだったのに、今の俺——アルフが死にかけた幼少期に、前世としてこの記憶を思い出した。
記憶を取り戻して一番最初に湧いた感情は、怒りだった。
並々ならぬ努力をして、成果は挙げても幸福を掴めないまま命を落として。目が覚めたら、同じような、いやさらに劣悪な環境で人生をやり直せと突きつけられて。
――ふざけるな!
自分の運命を呪った。見も知らぬ、信じてもいない神を呪った。でも俺の咆哮に神は応えない。
俺はなす術なく、このクソッタレな世界で生きていかざるを得なくなった。
それならば、せめて、自分勝手に生きてやろう。
前世のように他人に尽くして死ぬなんて馬鹿げた轍はもう踏まない。例え他人を殺してでも、自分を幸せにしてやろう。
今世の目標を決めた俺は、その後まもなく、魔術の才能を開花させた。そこからかれこれ十年弱。今では身体強化魔術を武器に、若手の傭兵として名を売っている。
と、ここまで考えて思い出した。こんなところでもたもたしている場合ではない。依頼は終わったのだから。
「おう、ロイ、さっさと雇い主のとこに報告に行こうぜ。今回はたぶん報酬弾んで貰えんぞ」
「そうだな。あと、ギルドに行って新しい前衛を雇わないとなー」
「うっ……本当どいつもこいつも使えねえよなぁ」
ロイの冷静な提案には頭痛がするが、高額報酬のことを思えば自然と足取りは軽くなる。俺達は足早に、雇い主である小領主の元へ向かった。
***
でっぷりと太った小領主から、ぎっしりと金貨が詰まった袋を2つも受け取ったその足で、俺とロイは行きつけの酒場になだれ込んだ。
背後から悪評が耳に刺さる。
「おい、見ろ。悪党アルフだ」
「あれがあの、お金のためならどんな汚い依頼でも受けるっていう? 隣の男は仲間か?」
「そうよ、ロイって言う人。折角格好いいのに、中身は野蛮人よ……アルフなんかとつるんでるんだもの」
「聞いたか? 今回あいつらが受けた依頼。圧政に苦しむ農民が一致団結して悪徳領主に立ち向かったのに、それを皆殺しにしてきたんだそうだ」
「えぇ、ひどい! 私、この間ロイに声をかけられたんだけど、そんな恐ろしい人だったなんて……ついてかなくてよかった」
「私、うっかり遊んだことあるけど、もう近づかない。皆にも言っとかなきゃね」
俺は気にせず麦酒とつまみを煽る。お、今日の燻製チーズはなかなかいい味だ。一方、見た目はお伽噺の王子様なのに、中身は残念な女狂いのロイは、分かりやすく肩を落とし、テーブルに突っ伏した。
「あぁ……俺まで悪評がー……」
「今までだってあっただろ」
「ここまでじゃなかった! ああ、暫く女の子と遊べないかも」
「娼館にでも行きゃあいいじゃねえか。金ならあるだろ。たぶん今回の依頼を皮切りに、貴族からもじゃんじゃん依頼が舞い込むようになるんだから」
俺なりに励ましたつもりだったのだが、ロイは驚きと怒りを滲ませた声を出してガバッと顔を上げた。
「違うんだよ! こう、お店の子と街の子は!」
「知らねえよ。歩く不健全が」
「金があるのに女遊びをほとんどしないアルフのほうが、よほど不健全だと思うぞー」
「うるせえ。女嫌いとまでは言わねえが、面倒なのが嫌いなんだよ。大抵の女は面倒じゃねえか」
「可哀想に……だからいつも商売女としか……」
「憐れむな!! ……女のことより前衛探しだろ。今回もすぐ潰れやがって。どうするよ」
そう、気胸で離脱したあいつ。治るまで多少なり時間がかかるだろうし、復帰する気があるのかないのかもわからねえし、やる気があったところであの弱さではどの道長くは使い物にならない。つまり、新しい仲間を探し始めておかねばなるまい。
「やっぱギルドで募集するしかねえよな」
「ホイホイ集まる冒険者だと弱すぎるのが問題だよなー。かといって、強い傭兵は報酬の取り分とかで揉めそうだし」
「かといって他にツテもねえもんな……俺この後ギルド寄るわ」
この世界にはいくつか商業組合的なものが存在する。その一つが「ギルド」とだけ呼ばれる、有り体に言うと腕っぷしを商売道具にしている連中の組合だ。職名でいうなら冒険者、もしくは傭兵がギルドに所属している。
冒険者は、未開の地のお宝探索とか、モンスター退治で得られるアイテムの換金などで生計を立てる人間のこと。
冒険者として名が売れると、貴族や金持ち商人から指名で護衛とか反乱の鎮圧といった依頼が貰えるようになる。そういった個別依頼を主に請け負って生計を立てている者は、傭兵と呼ばれる。
俺達は今、この傭兵の寄せ集め、傭兵団として活動しているわけだ。来るもの拒まずで働いていたら、悪党という二つ名までついてきた。
傭兵「団」とは言っても、固定のメンバーは俺とロイのみ。あとはその時その時で必要な職種の冒険者を誘い入れている。俺は肉弾戦メインとは言え魔術師、ロイは弓使いなので、基本的にタンクというか、壁にもなり得る前衛職が欲しいのである。
こうして俺達は、新たに、大した期待もしないで、ギルドに前衛職募集を出した。2、3日もすれば、どうせ見知った顔の、命知らずな冒険者が誰かしら応募してくるだろう。俺達と行動を共にして名を売りたいやつは多いからな。
――そう暢気に考えていた俺のもとに、早くも翌日、ギルドから連絡が入った。
「アルフさん、早速応募がありましたよ。冒険者としてはまだ1カ月ほどしか活動していないのですが、近年稀に見る剣士で、既に高難易度の依頼もソロでこなしています。もう少し経験を積めば、そうですね、半年後には傭兵になっているでしょう。ただ……見た目からは、想像つかないと思いますが」
なんと。強いけれど経験が浅い、しかもソロで活動中ということは、仲間と徒党を組んで文句をつけてくることもない。条件としては理想的だ。相手の気が変わらないうちに話をつけたくて、俺は小走りでギルドへ向かった。
受付には既にロイが到着していた。
ロイの陰に佇む人影は、ずいぶん小さい。ロイの身長が目測175cmとしたら、その肩よりやや下、160cmもないかもしれない。ははん、それで見た目からは想像つかないと言われたんだな。
いい、いい。気にすんな、チビ野郎でもちゃんと働いてくれさえすれば、俺はバカになんてしねえぜ。
ニヤニヤと小柄な人影の顔を覗き込んで、俺は驚愕した。
腰まである、ふわふわの亜麻色の髪。同色の長いまつ毛に縁取られた大きな金色の瞳に、ぷっくりした薄ピンクの唇。骨張りを感じさせない、あどけなさの残る丸い輪郭。俺より数個年下、おそらく16、7くらいの——
「女?」
稀代の剣士として紹介されたその人は、どこからどう見ても可憐な少女だった。




