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第一章 2

「……そして、再建した我がシュテルツェル王国は、隣国ロンヴァリニア王国の移民を受け入れさらに強大なものとなりました――と、もう時間ですねっ。今日はお終いです。続きは、次の機会に。それでは、また!」


 さっさと参考書を閉じて鞄に詰めた家庭教師の足早に部屋から出ていく背中に、レティシアはそっと、手を振ってみた。逃げ帰るようにしている背中はそれに気がつくことは無いが、ただの自己満足である。

 良い先生には変わりないのだが少し気が小さいらしく、今日レティシアが小さな声で質問したときには飛び跳ねる勢いで驚いていた。丸眼鏡がずれていて少し面白かった。思い出して、レティシアは少し笑った。


「……せんせい、ありがとう」


 レティシアはそっと呟いてみる。先生が部屋にいないと意味がないのに、いざ目の前にいると言葉に詰まってしまうのだから不思議だ。あわあわしている生物が二人いる、異様な光景だろう。傍から見れば無表情なレティシアが先生を困らせているようにしか見えないだろうが。


 これでも頑張ってるんだよ。口角の可動域がちょっとだけ広がったし……。


 鏡に向けてにこ、と笑顔の練習をしてみる。前より、ちょっとだけ口角が上がっていて、絶え間ない努力の効果が伺える。ただ、寝起きはどうしようも無いらしい。どう頑張っても眠そうな顔のまま表情が動かないのは立証済みである。


 暇だし授業の復習でもしようかとレティシアが参考書を手にとったその時、重厚なドアの向こうから、優しげな女性の声が掛けられた。

 ほっと心が温かくなるのを感じながら、レティシアは部屋に入る人物を見る。


「失礼致します、レティシア様。お茶を淹れましたよ、ティータイムにしましょう」


 からからとワゴンを押して入るのは使用人のミリネだ。幼い勇気を振り絞ったあの日から、レティシアはぽつりぽつりとミリネに話しかけるようになった。小さくてたどたどしくて、聞くに堪えないものだったろうに、ミリネは頷いて優しい笑顔で聞いてくれて、優しさに触れて、レティシアは内心狂喜乱舞だった。

 最初は仕事の合間に短い会話をするだけだったが、次第にミリネの方からも声をかけてくれて、段々と仲良くなっていった。レティシアの希望的観測だが。

 そして先日。意を決して、ミリネにお願いをしてみたのだ。


「……み、ミリネ。…、ぁの…今度…何か、甘いものが、食べたい…です」

 

 頬をぽんわりほのかに染めながら話すと、ミリネは何か尊ぶように天を仰いで、少しの間のあと、にっこりと最高の笑顔で「お任せ下さいませ、レティシア様!」と言ってくれた。

 その瞬間の嬉しさと言ったら、今でもレティシアは思い出してにやけてしまう程である。前世で友達に「体が弱いとか関係ねぇ!友達だからお前といんだろうが!」と言われた時くらい嬉しかったし、レティシアはその日葵だったころの夢を見た。


 …僕が死んだあと、どうなったんだろう。元気かなあ。


 前世に思いを馳せそうになるのを、慌てて制す。レティシアの目の前ではミリネがお茶の用意をしてくれているし、それを心から楽しまないのは失礼だ。

 ワゴンの上にはティーセットだけでなく、花柄の布が掛かった見慣れないバスケットもある。お茶の用意をしたミリネがそっと布を取り払うと、中から色とりどりのクッキーが顔を出す。


「わぁ…!」


 小さな声で感嘆を漏らすレティシアに、ミリネは優しく笑いかけた。愛しい子供を見るような表情だが、レティシアは目の前のクッキーに釘付けになっており気がついていない。

 クッキーの甘い香りが部屋に充満して、レティシアはそわそわする。精神的には17歳だが、体は7歳なのである。前世でも甘いものに目が無かったとかは、置いといて。


「さあ、レティシア様、どうぞ」


 ミリネが椅子を引いてくれたので、レティシアはありがたく座った。床につかない足をぱたぱたとして、非日常に浮ついているのが丸わかりである。

 クッキーはオーソドックスなバタークッキーから、チョコチップの入ったもの、緑色のものなど様々だ。


「これは、“チャマ”というお味なんですよ」


 不思議そうに目を丸くするレティシアに、ミリネに言う。


 チャマ…?緑ってことは…抹茶みたいなもの、かな?


 一枚手にとって、食んでみる。さくっと軽い音を立てて口の中でほろほろとほどける食感は前に食べたものと同じだが、ミルクとは違う芳醇さが広がる。抹茶に似ているが、抹茶よりも甘みが強く、癖がない。小さい子にも食べられる味わいだ。


 ……美味しい。


 僅かに幸せそうに変わったレティシアの顔に気がついたミリネは、良かった、と胸を撫で下ろした。


 ティーカップを手にとって、ふうふうと少しだけ冷ましてから一口飲む。レティシアの体内の水分はミリネの紅茶でほぼ占められていると言っても過言ではない位馴染んだ味で、安心する――母の味のようなものだった。

 次のクッキーに手を伸ばしたレティシアは、ふと他とは違うものがあるのに気が付き手を止めた。崩れないようにそっと手にとってみると、それは黒くて、丸にふたつ、楕円形の耳がついたような――


――うさぎ?


「…うさぎ、みたい…」

「正解です!黒い兎ですわ。……レティシア様をイメージして作った、チョコレートクッキーです」


 黒髪で髪の毛を2つに括っているから、黒い兎。


 レティシアの胸が、詰まる。お礼を言いたくて小さな口を開くが、漏れ出るのは吐息だけで、言葉が出ない。嬉しくて、温かくて、とっても優しくて。じわりと視界が歪んでいき、表面張力を破って一滴、涙が膝に落ちた。


 あ、れ…ぼく、泣いてる?


 ミリネお手製のクッキーは、凍てついたレティシアの心を、お日様みたいにとかしていくようだった。


 ずっと寂しくて、でも、その感情すらわからなくて、部屋で一人眠っていた。被っていた鉄仮面は、それを隠すように。誰にも迷惑を掛けないように。――取り払った仮面の下はずたずたで、ただ人肌が恋しい子供だった。


わたしは、愛に飢えてるんだ。


  泣き出した7歳は止まれない。堰を切ったように溢れ出る涙を止めようとぐっと俯くと、優しい花の香りがレティシアを包んだ。


「レティシア様。もう、寂しくないですよ。私が、お側にいますわ」


 ミリネの腕の中で、レティシアは切なげに目を細めて、ぽろぽろと泣いた。人の優しさが、こんなにも胸に刺さるものだなんて、前世の自分じゃ、きっとわからなかっただろう。

 ただ、一人ぼっちの子供を抱く腕の中に、今はいたいと、思った。

 子供部屋にしては物の少ない無機質な部屋に、二人の泣き声が響いていた。


本小説はメリバ・バッドエンドを含む商品と共通の設備で製造しています。

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