第一章 1
――と意気込んでみたものの、レティシアは勝手に部屋を出ることを許されていない。部屋の前には必ず護衛がいるし、食事も使用人が持ってくるし、湯浴みはこの部屋から直接繋がっている隣の部屋でするのである。基本的に例外は無い。月に一度くらい、お母様が訪ねて来たり、お医者様が訪ねて来たりなどのイベントが発生するが、決まった日に来るわけでも無いので、待つには時間が惜しかった。
――だから、ベッドに座って、待ち人を今か今かと待っていたのであった。
「失礼します。お嬢様、お食事の時間ですわ」
レティシアの小さい体が跳ねる。ドアの向こうから聞こえる女性の高い声に心臓が飛び出そうになるのを、胸を押さえて無理やり押さえつけ、姿勢を直した。
人と話すのってこんなに緊張したっけ?レティシアになってからは滅法無かったけれど、前世の17年分もあるのに。近所のおじいちゃんおばあちゃんに毎日トウモロコシをお土産に持たされてたのに…!何も関係ないけどっ!
「お嬢様、お食事ですよ」
「ぴゃっ」
わたわたとしている間に部屋に入ってきた人影がレティシアを覗き込んだ。突然のことに慌てて一歩後ろに退くと、その女性は人当たりのよい笑みを浮かべレティシアを見た。
――食事や湯浴みの世話をしてくれる使用人のミリネだ。レティシアがどきどきしながら待っていた人物である。
レティシアは、父から嫌われている原因を考えたが、特に心当たりがなかった。本当に。表情に乏しい子供ではあったが、父に嫌われるようなことはしていなかった。
そう、だから。好かれるよう努力しようと考えた。好感度上昇計画である。
そのためにも、使用人のミリネ――彼女の力が必要不可欠と思い至ったのであった。
ミリネは二十代前半位の女性である。それなりの爵位を持つ使用人の中では珍しく平民の出であったが、ふわふわとした雰囲気の人当たりのよい女性だ。そして特筆すべきは、お菓子作りが非常に得意なことである。
レティシアは、一度だけ彼女のお菓子を食べたことが有る。かろやかな口触りに、しつこすぎない甘さの可愛らしいクッキー。幼いレティシアは、それの虜になってしまったのを覚えている。しかし、毎度ながら残念なレティシアの表情筋のせいで、ミリネに「申し訳御座いません、お口に合いませんでしたでしょうか…」と言わせてからは、クッキーがレティシアの部屋に持ち込まれることは無くなった。残念、無念。
ミリネは幼い少女の落ち着かない様子に首を傾げ瞬きながら、慣れた手付きで食事の準備をする。クローシュを退かし、カトラリーを一通りセットすると、一歩引いて姿勢を正した。
…食事をしろと。
毎回思うのだけど、こんなガン見された状況で食事とか、精神的にくるよ……流石に。
食事中まで監視網敷かれるほど悪いことしたっけ?思い当たらないかも。
今日もシェフの仕事は完璧らしく、出来たてのランチは部屋に馥郁とした香りを漂わせている。意識をすると、ぎゅう、と腹が鳴って、レティシアは少し赤面した。
食事に向き直りふかふかのパンを一口食むと、ほのかなバターの味わいが広がって、思わずほっこりと笑みを浮かべてしまう。これはあくまでも主観なので、客観的には1ミリだけ口角が上がっただけとか、言わないでほしい。
二口めを食べようと口を開きかけたが、不意にミリネの存在を思い出してはっと顔を上げる。
いや……食べてる場合じゃなかった。ミリネさんに用があるのに。
意識すると、先程の緊張が帰ってくる。がちがちに震えそうになりながら、ゆっくりとミリネに向き直ると、ミリネは頭にハテナを浮かべてレティシアを見た。目の前の小さな令嬢が震えているのに気がついて、ゆっくりとしゃがみ、目線を合わせる。
「ミ、ミリネさん…いや、ミリネさま」
「!…はあい、お嬢様。ふふ、ミリネ、で良いですわ」
ミリネの茶髪が揺れて、垂れ気味の目が細まる。口は弧を描いていて、優しげな瞳でレティシアを見つめていた。
レティシアは、思いを決し、言葉を紡ぐ。
「あのっ……お願いが……。ぼ、私のこと……その……名前で呼んで欲し、くて」
危うく僕、と言いかけた自分にヒヤリとしながらも、レティシアは尻すぼみに告げる。
「あらまあ。えーと……レティシア様? どうかなされたのですか?」
「……っれ、レティシアと、呼んでくださぃ…」
ぎゅう、とたっぷりとしたドレスの生地を握りしめぷるぷると震えるレティシアは、いつもの無機物とは打って変わって愛らしい小動物のようである。
そんな愛らしい生物の懇願に、ミリネは困ったように眉を下げた。それはできません、と聞こえてくるかのようだ。
「……ごめんなさい」
レティシアはぽろりと呟いて、食事に向き直った。流石に無茶振りがすぎたか、と反省しながら。
コミュ障あるある、一気に一線を越えようとしがち。
……ぐさっ。
それなりの時間をかけて黙々と食事を平らげたあと、レティシアは食事の終了を示すように膝の上で手を重ねた。
すかさず食器をワゴンへ載せてドアへと向かうミリネに声を掛けるのも憚られて、ぐったりと俯く。低い位置で括られたツインテールが、レティシアの白い手に絡んだ。
どうしよう。うまくできなかった。これじゃあ、一生部屋から出してもらえない。
ずっと、おばあちゃんになるまでここで監禁されて死んでいくんだ!!うわああ!!
じわっと涙が浮かびそうになるのを、ドレスの裾を掴んで堪える。
「レティシア様」
穏やかなミリネの声に、目尻に涙を溜めたレティシアは弾かれたように顔を上げた。
ミリネはこちらに振り向き、たれ気味の目を細めて微笑む。
「また、お伺い致します」
律儀に一礼して、ミリネはドアをぱたんと閉めた。部屋に、元の静けさが戻る。
ひぇっ。
思わずぱちぱちと瞬いた。
「~~~~!!!!」
声にならない悲鳴を上げたレティシアは、ベッドに顔を埋めて、ばたばたと肢体を振り回す。
何を隠そう、めちゃくちゃうれしいのである。
ミリネの返答は、レティシアの希望とは少し違ったけれど、それでも呼び方を改めてくれたことに満足して、うんうんと頷いた。
またお伺い致します、だって!いやいやいや、食事も湯浴みもお世話になってるから当たり前だけれど、今まで、そんな、リップサービスなんて無かったから(レティシアが人形みたいに静かだったからだけど)、どきどきする。
実は、ミリネに近づいたのはお菓子作りを教わりたかったからだった。父にお菓子をプレゼントして、お近づきになり、晴れて解放されよう作戦である。
そもそもコミュニケーションすらままならないレティシアなので、まずは喪われたコミュ力を取り戻す所からなのだが、ミリネが歩み寄ってくれたことで幾らか自信に繋がった。
せめて、ふつうに喋れるくらいにはがんばろう……。
天蓋の付いたベッドの中でふうと息を吐き、レティシアは長い睫毛を伏せた。
鏡の中の少女は、今朝みた時よりも、少しだけ人間らしい表情をしていた。




