26. ミゲル皇子現る
「お嬢様、今日は『近隣諸国の言語』を学ぶ日ですよ。さあ、図書室へ行きましょう。」
「今日の先生はナタリー夫人ね。あの方はとても素敵な方よね。」
「元は皇太子殿下の教育係をなさっていたとか。確かに聡明な方ですね。」
シャルロットとイヴァンはそんなことを話しながら城の通路を図書室に向かって歩いていた。
「貴女はもしやシャルロット嬢ですか?」
近くの扉が開いたと思えば、侍女と護衛騎士を連れた少年がシャルロットへと声をかけた。
シャルロットがそちらに視線をやると、赤みがかったブロンドと灰銀色の瞳を持つ少年が一見人の良さそうな笑顔を向けていた。
「ミゲル皇子殿下に拝謁いたします。」
「僕のことをご存知なのですか?光栄です。」
「僭越ながら、デビュタントの日にお目にかかりました。」
ミゲル皇子へ向けてカーテシーをしたままでシャルロットは答えた。
自分から声をかけてきた癖に白々しいと、シャルロットとイヴァンは口の中だけで独りごちた。
「そうでしたか。ああ、そうだ。シャルロット嬢は身体に毒を宿している猛毒令嬢で、母上のお気に入りの楽士を殺したというのは本当なのですか?そうだとすれば、貴女はそんなに美しいがとても恐ろしい御令嬢なのですね。ヴィンセント兄上のような腹黒の皇太子にはお似合いだ。」
近くに控えるイヴァンから殺気めいた気配がしたが、シャルロットは気にする素振りを見せずに質問に答えた。
「猛毒令嬢というのも、皇后陛下のお気に入りの楽士を殺したというのも真実ではありませんわ。」
「へえ。僕が聞いたことと真実は違うということですか?」
「まず、私の身体の毒は皇太子殿下の愛の力によって全て解毒されたのです。ですから、私はもう猛毒令嬢などではございませんわ。楽士のことはとても残念でしたけれど、私の毒はあのように苦しむことなくスウッと儚くなるものですから、きっとあの楽士ははじめから体調が良くなかったのですわね。残念なことです。」
「……。そうなんですか。毒が抜けたと。」
「はい。興味がおありのようでしたらば、お試しになられますか?」
シャルロットは片手からスルスルと手袋を脱ぎ、ミゲル皇子の目の前に跪いてその手を取ろうとした。
「やめろ!」
ミゲル皇子は青褪めた顔で後退り、侍女と護衛騎士を伴って足早に去って行った。
「意外にもお可愛らしいこと。」
ミゲル皇子の後ろ姿を見つめながら、シャルロットはフッと笑った。
傍で控えていたイヴァンは面白くなさそうな表情と、低い声で答えた。
「そうですか?全く可愛くなどありませんでしたが。お嬢様はご趣味がよろしいようで。」
「毒を吐くだけ吐いて逃げるくらいならまだ可愛らしいものよ。」
その後図書室でナタリー夫人から近隣諸国の言語を学び、その際夫人に先程ミゲル皇子と偶然出会ったことを話せば、皇子のことについて夫人から話を聞くことができた。
一歩間違えれば不敬罪で刑に処されるような内容でもあったが、皇太子妃教育の間は図書室は貸切となっており他に聞く者もいない為に夫人は皇太子妃となるシャルロットへ話し始めたのだ。
「シャルロット嬢は五人の皇子のうち、三人は皇帝陛下の血を引き継いでいないことは既にご存知でございましょう。」
「はい。聞き及んでおります。皇太子殿下と、末のミゲル皇子のみが陛下のお子だと。」
「そもそも、それがおかしなことであるのですがね。皇帝陛下は賢王と呼ばれる方ではありますが、恋愛においては非常に残念なお方なのです。ですからあのような皇后陛下の振る舞いを黙認されてきた。皇后陛下がその座でいる限りは、皇帝陛下は言い聞かせることをなさらないのです。」
「それほどまでに、皇帝陛下は皇后陛下を愛してらっしゃるのですね。」
あのような残虐な行為を平気で行える好色家の皇后のどこかそんなに良いのかは分からないが、皇帝陛下にとっては愛すべき人なのだと、しかしシャルロットは理解に苦しんだ。
「しかし、皇太子殿下は皇后陛下のことを忌避してらっしゃる。そして、皇帝陛下もお年を召されて皇太子殿下の時代ともなれば皇后陛下は今までのように好き勝手なことは許されないのです。それにやっと気づいた皇后陛下は、皇帝陛下との間にミゲル皇子を授かりました。」
「皇后陛下はミゲル皇子を傀儡にして、できればヴィンセント皇太子殿下を排し、ミゲル皇子を皇太子にしようと画策しているのですね。」
ナタリー夫人はシャルロットの言葉に頷いた。
シャルロットは、皇后の自己中心的な理由でこの世に生を授かることになったミゲル皇子のことを考えると複雑な気持ちになるのであった。
それに皇太子殿下も正真正銘血を分けた息子であるにも関わらず、自分の都合で排除しようとするなど皇后こそまさに毒婦だと、例えようのない憤怒を感じたのだった。




