上山泉
「上山さん。……また此方にいらしたのですね」
月が昇り切った真夜中。私が立つ祠の扉を開けたのは、鏡子ちゃんだった。明日日本に帰るから、もう寝ているものかと思っていた。
「うん。……実花と湊の顔見てから、寝ようかなって思ってさ」
あはー、と頭を掻いて朗らかに笑って見せても鏡子ちゃんはにこりともしない。ちぇ、私が笑ってるんだから笑ってくれてもいいのに……。
鏡子ちゃんが無言で上着を脱ごうとしている。それを手で止めて、またむすりとした鏡子ちゃんに笑ってみせた。そうしたら、少し笑ってくれた。
「どうしたのでしょう。……鏡子が話を特別に聞いて差し上げてもいいんですが」
思わず笑みが吹き出す。脇腹を突かれて、頷いた。
素直じゃないんだから。
「……迷ってたんだあ、実花と湊を連れて帰ってもいいんだろうか、って。私は……二人の願いを、足蹴にしちゃう駄目な友人だから……」
二人の棺を覗き込んで、眠る顔を見た。綺麗に施された身体に、見える範囲での傷は無い。腐れも無い。ただ眠る様に死んでいる。
頬に触れると感じる温度が、その決定を裏付けている。
「上山さん。そのことなのですが――――――」
鏡子ちゃんの提案に、少し驚いてしまった。そしてそこまで迷惑を掛けられないと口を開こうとしたならば、その場で飛び蹴り100往復ビンタをかまします、とまで言われてしまった。
嬉しかった。その提案が、本当に心の底から嬉しかった。涙が出ない私の手を引いて、祠を出る鏡子ちゃんの背を――――――、
今、遥か後方にて見つめている。
「泉ちゃん、湊くん、実花ちゃん……こんにちは。生徒会長の坂戸愛です。本日は、さん、にんに、お別れの……言葉を、送りに、きました……っ」
生徒が並ぶ後方で、私は僅かに顔をあげる。
少し不思議な気持ちだ。……自分の葬式を、見ることになるなんて。
「三人はまだ見つかっていないのに……」
「でももう、絶望的なんでしょ……?」
「そうだけど、あまりにも……」
近いとも言えず、遠いとも言えない距離に三人の棺がある。少し大きなホール、そのことごとくを黒と白で彩られて、その棺達は横たわっていた。
誰かが溜息を吐く。その色は疲労が滲んでいた。残されたそれぞれの遺族たちは疲れ果てた表情でただ、忽然と姿を消した我が子の遺影を見つめている。
その中で微笑んでいる二人と目が合うのが苦しかった。だから私は極力俯いている。――無論、罪の意識も感じていた。
口から重い感情が少しだけ零れ落ちていく。
生徒が並ぶ後方で、私は大の男二人に挟まれて座っていた。生徒達は皆揃えたような制服姿だったけれど、私は一般的な喪服に身を包んで目立たない様に目線を上げた。前方に広がる花の海に立てられた、三人の延ばされた写真達。そのそれぞれの手前に、蓋の閉じられていない棺が寝かされている。中身は勿論、空だ。
エリーシアから、地球に還る際に教えてもらった。私三人は、行方不明として処理されているということを。死体を偽造することも、他者修正機関にとっては容易いことだった。エリーシアはそれをどうするか、と私が地球に帰る前に聞いてくれたんだ。
実花と湊の身体をご両親にお返しする。―――その言葉が浮かんだ時、頭の中が一瞬だけ停止した。抑え込んでしまったあの感情が、瞼を動かした。
馬鹿だと思う。ご両親に対して、あまりにも失礼極まりないとも……思う。私の中に培われた倫理観が、私の愚かな行為を止めようとしていた。
でも、でも!
私は、二人と離れたくなかった!!
その時、エリーシアには返事を待ってもらった。エリーシアは一言、静かな声で、月が沈むまで待つと告げた。
「いつも仲が良く、昔から三人一緒で居るのが当たり前の泉ちゃん達が……行方不明になって、もう、会えないことになるなんて……思っても、みませんでした。私は、当たり前に受験生となり、当たり前にそれぞれの道を歩んで……別れるものとばかり思って……」
エリーシアは、また言った。私の……未来についてを。
「……私の、処遇?」
「そうよ」
ぴり、と空気が張り詰めたのを感じる。私という人間の処遇、なんてもったいなく言葉を紡ぐものだから、大したこと無いとしても緊張してしまうじゃないか。
「…………穏やかに見えると思うけれど、世界が……いいえ、地球が崩れ出すのは、今からよ。いくらわたし達が君臨したとはいえ、何もしなければ少なくとも人間界は滅びを迎える」
皆、真剣な眼差しでエリーシアの言葉を聞いていた。
「その確固たる証左として、他者修正機関より報告が挙げられているの。各地に歪の発生、及び穢れの流入……。これらは人を侵し、天地を侵し、意識的無意識的を易々と飛び越えて災いを呼び起こす。歪の数は全部で四つ……目覚めた大罪の対を成す祝福が司る地、フランス、イスラエル、アメリカ、……そして、ギリシャ」
深く息を吸った。
大丈夫だよ、鏡子ちゃん。心配しないで。この瞳を受け入れた……それが、私の決意の証明なのだから。
「その全てを回り、ミストレスが直接歪を鎮めなくてはいけない。……泉。お前を人間界へ、地球へ送りましょう。けれどお前は、この名を使うの」
エリーシアが自身の胸に手を当てた。
「上山泉ではなく、エリーシア=ミストレスとして、他者修正機関を束ねるのよ」
「勿論。それが、最善ならば」
頷いた。エリーシアも頷いたが、その瞳が影に隠れてしまう。
「だから……上山泉の存在が、わたしを縛ってしまう」
「なら、そうするしかない」
私のはっきりとした声に、エリーシアは少しだけ眉を下げて微笑んだ。鏡子ちゃんは眉を少し寄せていたけれども、口を開かずに居てくれた。
「杭を抜いたのは、私だ。そして、世界を続けたいと願うのも真実、私の本当の意志。それを成し遂げる為に、……人間の私が邪魔なら、仕方ない。仕方ないんだよ……エリーシア」
胸中や穏やかな風が吹いている。……よかった。これは、本当に私が望んでいることなんだ。
「私だってわかってるんだよ。本当の最善は、私と貴女が一つに成ってすぐさま空へ昇ることなんだって。……でも、エリーシアは私の我儘を聞いてくれた。だから、その義理に応えるよ。―――上山泉を、殺すべきだ」
「そして、私は地球を統べるミストレスとして君臨する。安心して。四つ全てを浄化して、正常な流れに戻して見せるよ」
誰も、何も、言わない。
言わせない。私の決意に、わたし以外が口を挟む事など許されない。
「……20年、20年よ」
どくん、と心が鳴った。
無意識のうちで、手のひらを握りしめている。
「お前も、わたしも……きっとそれが、限界」
「……20年……十分だ」
「長く持って、ね。わたしも頑張るわ。お前が人間界でそうするように、わたしは天界の修復と浄化を続行し続ける。……そして、お前の還りを待っているわ」
エリーシアは微笑んだ。だから私も、微笑んだ。
私達は鏡合わせ。同じ魂に、同じ紅の瞳を持った――――。
黒一色の波がうねる。嗚呼、私達に線香をあげてくれるのか。
親族たちが、線香をあげようと頭を下げる人たちに応える為に何度も頭を下げている。眩しいな、と感じてちらりと横を見た。私の左右には、一般的な喪服に身を包んだ大の男が二人、腰かけている。彼らは他者修正機関の上級職員であり、地球での私の補佐官として傍に仕えてもらっている。現在このようにして、彼らは私が"上山泉がこの会場に存在すること"として人々に認識されないように、私を隠しているというわけだ。
「……行こうか」
私のその囁きに、左右の二人は立ち上がる。
私を他人の目から隠す様に、その男たちは動き出す。受け付けは、鏡子ちゃんの協力によって私達を引き留めることはしない。ただ参列した赤の他人の誰かと同じく、立ち上がって去る私達に深く頭を下げた。
自動ドアを出る前に、ちらりと中を振り返る。黒い垂れ幕の隙間から見える、色とりどりの花の海。あまりにも豪華な式典に、微笑む三人の写真達。その光が強ければ強いほど、悲しみの色を深くする遺族が控えるそちら側。
さようなら。
その言葉を伝える為に来たのではない。
ごめんなさい。どうか、お元気で。
声で伝えられない想いを伝えるために、今日ここに来た。この気持ちは、会場の隅に置いていくね。気づいてくれたら……嬉しいです。
引く手を振り払うかのように、私はその外に出た。空は曇天が掛かり、雨が降っている。少し寒いと腕を擦ると、右の微笑んだ男が私に薄手の上着をかけてくれた。眉間に深い皺を刻むことを常とする男は、もう一人に小さく言葉を伝えてくるりと踵を返す。
「車を取ってくるそうです」
と語る穏やかな声色と優しい瞳の温度が、胸に沁みた。
「助かります」
消え入りそうな声は、男に届いた様だった。僅かな吐息がそれを示していたから。
私は曇天を見上げた。
有難くも涙してくれる大勢の人々の気持ちに応えるように、雨は風も無くしとしと降って落ちる。雨音が包んだ木魚の一定のリズム、心を落ち着かせるために付き添いに外に出される人、時間だからと瞳を落としたまま会場を後にする人……。
境界の向こうで色を濃くするアスファルト。それを見つめていると、水面にあの日々が映る。木魚が鳴らす空虚な音の様に、彼らの笑顔が浮かんでは消えていく。湊……実花……私が手放せなかった、私の……世界が。
「――――真理ッ、いい加減にしなさい!!」
「なにを!?私、まだ早いって言ったよね!?まだお姉が居なくなって一ヶ月しか経ってないんだよ!?どうしてこんなことが出来るの!?」
突然の雷雨の様な飛び込みだった。隣に控えていた男が私を離れの壁に若干の強引さで引きずりこんで、その大きな体の内側に隠し込む。
私はなすがままだった。心臓が早く鳴っている。血液の循環を、感じた。
「まだお姉は死んだってきまったわけじゃない!!死体だって出てきてないし、警察の人も早すぎるって言ったじゃん!!どうして!?どうして、佐倉さん家も安藤さん家も、もう諦めちゃうの!?」
「死亡届けはまだ出していないし、このまま警察の方々に捜索は続けてもらうわ。……言ったでしょう。これはね、お母さんとお父さん……安藤さん家の、そして佐倉さん家のご両親と決めたことなの。みんな、納得しているの!」
「真理はまだ納得してないよ!!お姉は生きてる、生きてるの!!生きてるのにお葬式なんてしないで!お姉を勝手に殺さないで!!このまま……このまま続けたら、皆の中でお姉が死んじゃう!!」
「真理……‼」
「お姉が死ぬわけないじゃん!湊さんも、実花さんもお姉を残して死ぬわけないじゃん!!やだ……やだよお、お姉ちゃんのばか、ばかばかばか!!早く帰って来てぇ……‼」
口に手を抑えつけて、私は下を向いた。
ただひたすら堪えていた。全ての感情を、抑えつけていた。
私を覆い隠す男は、どんな顔をしているのだろう。彼女達が私の……この肉体の家族であることは、知っているだろうから。
「陛下。お車です」
随分と優しい声が降って来た。小さく頷いて、隠される様にして車に乗り込む。後部座席の窓から、私を見ることは出来ない。だから、言い争っている二人を隠れる事無く見つめた。
真理は泣きじゃくっていた。癇癪を起した幼子のように、母の腕の中で泣いていた。次に父が出て来た。父に渡された真理は、何かを父に言っている。どうしようもならないことを父に言っても、父は何も出来やしない。会場に戻る母は、手を目元に当てていた。
横に座る男が優しさの中に芯を通した声で「車を出してください」と、静かな男に伝える。「……わかった」と言う男は、少しの間の後にアクセルを踏んだ。
上山家、安藤家、佐倉家、と三者が並ぶ大きな看板を見て、私を乗せた車は左へ曲がる。進む道の所々にある小さな、それでいて大きな悲劇を伝える看板は、何も知らない人々の足さえも止める異様さを醸し出していた。
右の窓ガラスに頭を預けて外を見た。曇り空のせいで灰色な景色だからか、窓ガラスには私がよく反射されている。泣き腫らしてもいないのに赤く染まった両の瞳。……これこそが、この二人が私に傅く絶対的な理由であり、私がこの世界に帰って来た意味でもある。
「……紫陽、少し寄り道をしてもいいですか?」
「……寄り道、とは?」
前方の男が、静かに私に問い返す。
「丘に……―――薄明の丘へと、行ってください」
私の中に僅かに残る、上山泉。
今日は、私とあなたが別たれる日であり、それはあなたが死ぬ日でもある。
そう。あなたは、大罪を討ち滅ぼした日に死んだんだ。神を殺す人間は、世界を悪に貶める人間は、死んだんだ。それを理解しているでしょう。友を死に至らしめた、私。まだ、微かにこの心に息づいている私。
お別れをしよう。
私が、初めて彼の後ろ姿を見た場所で。私が、初めて彼の手を取りたいと願った場所で。
上山泉。
今日は、あなたのお葬式の日。
炎に包まれて、あなたは天へ昇る。愛しい友と共に、昇って欲しいと切に願う。
「陛下。私達は、この丘への入山を許可されていないので……」
「うん、少し時間かかるかもだけど……待ってて、くれる?」
「はい。当たり前です。ごゆっくり」
嗚呼、―――――もはや秋になろうという季節に。
この丘へ続く森は、未だ桜が風と共に舞っている。
先日、劇団四季の「ライオンキング」を見てきました。大西ライオンのライオンキングしか見たことがない私は開いた口と鳥肌と涙が終始止まらず「なんくるないさー!」をもう言えないと思ったけど今日普通に言ってました。
劇団四季、すごい!いつか薄明も舞台化して欲しい(言うだけタダ)
さて、次回で最終回となります。
次の更新は12月下旬を予定しております。早くなることはあろうとも、来年に持ち越す予定はありません!ご安心ください!
残り一話の薄明の丘、泉と共にここまで駆けて下さった読者の方、協力してくれた色々な人達!、最終話を泉と共に見届けてくださいますよう心よりお願い~~~ってなんだこのビジネス口調はぁ!




