ミストレスの帰還
丘の有様は悲惨であった。聖堂もそうであるけど、大罪との戦闘の跡が生々しく残っている。倒れた騎士、そして……フライアさん、実花の身体。
実花の身体を抱きしめた。冷たく凍った、もう目覚めない身体を。
比較的綺麗な場所に安置されていたから、私はもう一度静かにその場に実花を降ろした。
「――陛下、エリーシア陛下!よくぞ、よくぞご無事で……‼」
背後から声がした。
紅白の衣装はボロボロで、あんなに艶やかだった髪も不規則に千切れ荒れている。巫女と巫……世界を焼こうとする私の業火から世界を守っていた二人は、お互いを庇いながら丘へ辿りついた。
「お前達……よく、頑張ってくれたわ」
金色の髪を靡かせて、紅の瞳を微笑ませた女神は二人をねぎらう。その光景に、夢でも見ているかのように目を細めた二人は、静かに叩頭した。
「お帰りを、心よりお待ち申し上げておりました……!」
「丘、及び聖堂内に関しては、僕らにお任せ下さい……!」
エリーシアは頷いた。「迷惑をかけるわね」と言うと「このくらいの迷惑ならどんどん懸けちゃってください!」と破顔する巫くん。それをぺしっ、と叩く巫女さんの穏やかな表情に、私は小さく安堵した。
酷いことをしたと、痛感している。
エリーシアは頷くと、丘より空を見下ろした。私も見下ろした。赤い小金の空に、暗雲が立ち込めている。
「直接的な脅威は去ったけれど……間接的な脅威は未だ健在、ね」
「……自分で蒔いた種だから、きちんと自分で片づけるよ」
大罪達による直接的な、かつ猛攻撃による世界崩壊は免れた。しかし、現に世界の均衡を保つ大罪の杭は私の手によって抜かれている。そのために、世界は緩やかに崩壊する流れに漂っているまでに過ぎない。しかも、祝福はスワードの力によって蘇生はされているものの、簡易的なものに過ぎなかった。意志が無い、それではただの道具なのだ。
「ええ、わたし達が蒔いた種よ。でもね……やっぱり、少しだけお前に対して思うところがあるの。あちらで話しましょう。――アスティン、いいかしら」
「は」
緑の竜、生き残りの兵士達に遺体の並列を命じて私とエリーシアは、少し離れた場所に移動した。ここでなら誰も私達の声を拾わない。
「わたしと泉の魂は同一なもの。わたしがミストレスであるように、お前もまたミストレス……そこは、本質的なものは否定できない。けれどお前は、人間であり上山泉だわ。最終的には、違う存在だと信じてもいいのよ」
「……何が言いたいの?」
エリーシアは、紅の瞳で私を見つめている。
私も、紅の瞳であなたを見つめている。
「人間界へ帰りなさい。残りの生を、彼らが守り抜いたお前を生きなさい」
は、と空気が抜ける。
光が差すような言葉に、私は少しの間沈黙した。
人間として、戻れと女神は言う。私と同じ心臓を有した女神は、私と再び別たれようとしている。
目を閉じた。息を吸って―――、私は。
「言ったよね、エリーシア。もう忘れちゃったの?」
「……え?」
「自分で蒔いた種は、自分で摘む。……寂しいこと、言わないでよ。それに……あなたを一人残して、私だけ笑えないよ。わかってる?私もエリーシアなんだよ!つまり、記憶は共有されてるの!こんなに小鳥のように震えてるわたしを残して自分だけあばよーって、出来ないし」
エリーシアは声を詰まらせた。紅の瞳が揺らいでいる。
あの瞬間、スワードの記憶とシリウスの記憶が流れ込んで来た。泥に塗れた深淵の中で、私達は確かにあの日の真実を垣間見た。
震えるエリーシアを抱きしめて、私達の足元に在る枯花が音を立てて散る。乾いた音は、軽快な響きを持って散っていく。
「わたしが……わたしが人の心を持っていたら、少しは変わっていたの?わたしは、愛を掲げて、全てをわかったつもりになっていただけで……わたしは、なにも、なにもわかっていなかった……‼」
胸元に熱を感じた。嗚呼、この女神だってずっとずっと不安で仕方なかったのだ。朧げな摩耗していく記憶に、変わらないと言われた愛を捧げられて永劫の時を困惑し彷徨っていた。狂いだした針が止められないと焦って、それでも自分だけは正しく在ろうとして、振り返ることが出来なかったんだ。
それは……私も同じだ。
同じ檻に、囚われていたんだ。私達は。
「シリウスを苦しめて、苦しめて、あんな結末を迎えさせたのは、わたしだわ。スワードを狂わせてしまったのもわたしだわ!!リアラだって、アルピリだって……‼ごめ、んなさい、ごめんなさい……皆……」
孤独な時に己を抱きしめるように、私達は強く己を抱きしめた。
「愛を失うって――――」
零した言葉に、エリーシアが顔をあげる。
私は精一杯微笑んで、
「こんなにも、痛いよね」
穏やかに言ってみせた。
エリーシアは瞳から宝石のような涙を零し、唇を閉じる。強く強く奥を噛み締めて、涙を拭って、自分の足で立ち上がった。
「世界を今度こそ正しましょう」
私達は肩を並べて、空を見下ろす。赤黒く、辛うじて小金の陽が差す世界を見る。
「わたしは天界から」
「私は、人間界から」
頷いた。強く強く、頷いた。
「アスティン!アスティン!!―――今より下山し、王城へ行く!青旗を下げ、赤旗を掲げよ!!難を逃れた全領民に速達しなさい!!『女王、ここに帰還』―――と!」
「はっ、直ちに!」
戻って来た私の下に鏡子ちゃんが駆け寄った。大丈夫?と顔を傾げる私に、鏡子ちゃんはどうしてか「馬鹿!」と言って高速でたたいてくる。あたたたたた、と笑えば、今にも泣き出しそうな笑顔で鏡子ちゃんは笑った。
城へ戻ると、玉座の間に掛けられた旗が落とされた。城のどこかに安置されていたのだろうか、美しく重厚な紅の旗が二つ風に揺れている。エリーシアは玉座に腰かけると、跪く側近に向かい口を開いた。
「王都復興の後に、直ちに各聖堂へ魂を再分配する!大罪の杭を打ち直し、世界の均衡を正すものとする。こればかりは時間を要するけれど、丁寧にやらなくてはいけないわ。だから、わたしは二手に分かれる。一人を天の玉座に、そして……」
私は前に歩み出た。黒い髪に紅の瞳を玉座より下に見せつけて、この瞳を眼下に当てる。
「一人を、人間界の玉座に据える!いいわね、では手始めに王都に掛る雲を退けるわ。――差せ、光よ。わたしの帰還を全土に伝えるがいい!」
その瞬間、王都を煤が多い射光を遮っていた全てが消え失せた。端から順に日が差し、段々に玉座の間を照らしていく。最後に玉座に陽が当たる時―――皆が一斉に、深く頭を下げた。
まもなく、全領地より救援が駆け込むだろう。女王の帰還に歓喜した人々の手によって王都は迅速に修復される。お祭り騒ぎとでも、言っていい。失われた命に嘆き、手に戻る王に涙を流す。
たとえ落ちた青旗を顧みる人々が少なくとも、溢れる声が色鮮やかで……。
生き残った、王の騎士と魔導士は思わずには居られなかった。
やっと、やっと……世界に、色が戻った、と。
復興の最中、私と鏡子ちゃんにはそれぞれ一つずつ部屋が宛がわれた。無事な個室は数限りないのに、遠慮するなと皆が言う。
まだ私が離れられないので、鏡子ちゃんも傍に居ると言う一点張りに根気負けし、私達は優雅にお茶を飲んでいた。
今日はそこに、エリーシアが居る。そして、アスティンさんもいる。
鏡子ちゃんが――誰にもバレないと思っているんだろうか?――上機嫌なのを、エリーシアと私は目を合わせて微笑んだ。アスティンさんは何も変わらずにお菓子を摘まんでいるけれど、ここ数日の彼の働きぶりを思うともう少し此処で朗らかに笑っていてほしいくらいに思える。
アスティンさんは王の書庫。つまりは全記録を保持する権能を持つ神様だ。だから、この半壊した文化……を取り戻すのに、アスティンさんの記録は必要不可欠。常に書庫を開きっぱなしはしんどいよ~と涙ながらにせっせと働く姿を見て、私達は頭が上がらない。
「随分、王都の気が華やかになっているのを感じますわ」
鏡子ちゃんが言う。エリーシアはカップから口を離すと、「ええ」と頷いた。
「王都の民も少しずつだけど戻ってきているもの。赤子の声が常に響き渡っている……のは不思議な光景だけれどね」
「そうですね。わたしの領民は、子育ては久しぶりだーっと言って楽しんでいますよ!」
「……!そっか、今はアスティンさんが主人なんだっけ!」
私がアスティンさんを見ると、ふふんと鼻を鳴らしながら胸を張る大きな男が居た。
「そうだよ!わたしが、今やグリームニルその人!……期間限定だけどね」
スワードが死してから、その地位は自動的にアスティンさんに降りて来た。元々政にも長けている……というか、そっち方面しか長けていないのでその本領はめちゃくちゃ発揮されている。
「そのことで……辞令、というのかしら。そういうものをね、持ってきたの」
辞令。
あまりにも、日本社会。
ついツッコミを入れそうになるのを我慢して、私はその有様を伺った。まあ、何をエリーシアが言おうとしているのかそれはわかる。エリーシアは世界を正すと言っているのだから、きっとアスティンさんも自分が何を言われるのか見当がついているだろう。
「ここに、次期皇帝の名が記されているわ。……正当なる継承の儀を作って、わたしの後を継いでもらう王の名が」
ちらりと横を見ると、想像と違う顔がそこにはあった。驚いているかもしれないと、もしかしたら少し嫌な顔をしているかもしれないと……思っていたのに。僅かに瞳こそ下がってはいたけれど、その顔にマイナスな感情は無かった。
「……陛下」
「……あれから、考えたのよ。わたしのこの決定が、全てを歪めたんだもの……。でも、ね。もう……他の選択肢は、存在しないの」
にこりと笑うエリーシアに、アスティンさんは微笑みを返すだけだった。
「この王権譲渡に関して、権能の引継ぎは"王であること"のみ行われるわ。浄化も永遠も、次なる王には引き継がれないから、安心しなさい」
「なるほど。形だけ……ああ、そうですね。王という形が、世界には必要ですから」
「ええ……でも、王は誰でもいいわけじゃない。全てを観測出来、自分の外部にその記録を貯蓄できる……お前こそが、王に相応しい。さあ、立ちなさい。アスティン」
エリーシアが立ちあがる。アスティンさんは、私達をちらりと見た後に静かに立ち上がった。私達もそれに遅れずと、なるべく小さな音で立ち上がる。
するとエリーシアは、人々が療養や報告の為に集う広間に行くと言って歩み出す。民を見るのだろう……そう思って黙って後ろに従った。
案の定、エリーシアが立ち止まったのは広間を見下ろせる一つの小部屋だった。侍女が扉を開き、そこに私達全員が入るのを確認すると侍女は外に立ち扉を閉める。仄かに灯された光と、広間を見下ろせる小さな小窓にはヴェールが掛けられていた。
「永遠であるはずの王は一度死んだ。そのことを民は永遠に忘れられないでしょう……だからこそ、今でも思っている……いいえ、確信しているはずよ。わたしが長くあの椅子に座っていないことは」
アスティンさんはエリーシアを見つめたまま何も言わない。
「あの時は時間も余裕も無かった……けれど、今は違うわ。だから、次は大丈夫」
「わたしが……ミストレス、ですか。――似合いませんね」
「……ふふ、だからこうしようと思うの。王位はわたしから貸し与えられたもの。お前は来るべきその日にわたしへその座を返す為に、わたしが不在の間座を守り続ける」
「……なるほど」
エリーシアは広間を見て、小窓に手を掛けた。そのまま視線だけを私に移すから、私は小首を傾げた。
「泉……そろそろお前達を人間界へ送れそうよ。望めば明日にでも。だけど……その前に、話があるわ」
「話?」
「上山泉という、人間の処遇について」
私の風邪は喉からぁ!!!!
わかるんですよ……嗚呼、のどいてぇ、これ明日やべぇやつ……銀のベンザで凌ぐか……(エンドレスナイト)
風邪は引きたくないものです!!!……ともあれ、あと少しだけ御付き合いください。




